かつての主と魔術師と
ミイが二階へ消えるのとほぼ同時に、サクが帰宅した。
両手に抱えた酒を窓際のテーブルに下ろし、その中の一本を手にカシュールカの向かいのソファに腰を下ろす。
「随分とご活躍だったね」
開口一番のその台詞に、カシュールカは苦笑を浮かべた。
おそらく、先ほどのミイの騒ぎをどこかで見ていたのだ。
「まあな」
「君らしくない」
「仕方がないだろう、うちの従業員なんだから助けないわけにはいかない」
「建前は結構。君は彼女をこのままここに置くつもりだよね。僕はそれを利用させてもらう」
「俺がなんて言ったって、やめないんだろ」
「やめないね」
カシュールカはサクの手から酒瓶を奪い取ると一息に半分ほど飲んだ。
この国では、18歳で成人とみなされる。
酒を飲むのも、問題はない。
カシュールカは、口の端からこぼれた酒をぐいと手のひらでぬぐった。
「じゃあ、もう止めないさ。おまえには随分と世話になった。借りが山ほどある。俺はそれを返そう」
カシュールカのその言葉にサクは目を見張った。
「面倒……なんじゃなかったのか?」
「面倒だ。当たり前だろ。でも、借りは返す。返すから借りなんだ」
「返さなくてもいい。いや、君のそれは元々借りなんかじゃないんだ。僕は僕のやるべきことをやっただけなんだから」
ふと、サクは立ち上がり、テーブルの上に片手をついた。
ぐいとカシュールカの方へと身を乗り出す。
カシュールカの手から酒瓶を取り返し、それをテーブルの上に置いた。
そして更にカシュールカに伸ばされた手は、カシュールカが着ているシャツのボタンをゆっくりとはずしてゆく。
カシュールカは黙ってサクの手の動きを見守る。
ボタンをはずし終えたサクは、ぐいとカシュールカのシャツをはだけさせた。
鍛えられた胸があらわになる。
サクはその胸に軽く触れた。
カシュールカの左胸。
心臓の上。
そこに刻まれた赤いツアッシュクロスに。
「カシュールカ、君は僕の主なんだ。主の意に沿わない行為をしようとする僕を、もっとしかりつけるべきだ」
「主従関係はあの日崩れ去った。ここにいるのはひとりの魔術師と、その魔術師に命を救われた者だ」
「何度も言ったけど、僕は君を救ったんじゃない。自分の過ちでその命を奪ってしまった。それも大事な人の命を。だから僕は必死になってその命を取り戻した。ただそれだけだよ」
「おまえがなにもしなければ、俺はあいつらに殺されていた。そして今、ここにはいない」
「それはどうかな。……こんなモノが残ってしまったから、君はこれを見る度に思い出すんだ。でもあの時の僕は未熟で、この印の持つ力に頼るしかなかった。すまない」
サクは目を伏せ、詫びた。
「詫びてもらうことはなにもない。さ、飲もう。事が動き出せば、こうして飲んでばかりはいられなくなる。そうだろ?」
カシュールカはサクの両肩を軽く押し返す。
「そうだね。今晩で飲みおさめだ」
サクはくすりと笑った。
アルコールはサクの魔術師としての能力を鈍らせる。
発揮できる能力は弱くなり、魔力を感じる能力も弱まる。
平穏な日々に魔術は必要ない。
だからこそ好んでアルコールを摂取していたのだ。
しかし、魔術師を相手にしなければならないとなったら話は別だ。
軽く頭を振り、サクは立ち上がった。
とりあえず、今夜は思いきり飲もう。
家中の酒とつまみをかき集め、カシュールカとサクは明け方まで飲み続けた。




