ツアッシュクロスと魔術師
「財布を取りに戻ったはずの君がなんでミイの腰を抱いていたのか、その理由を聞いてもいい?」
カシュールカはサクの問いには答えず、無言のままサクに近づいた。
サクの左前髪をかきあげる。
普段は長く伸びた前髪に隠されている、サクの顔の左半分があらわになった。
目をひくのは、サクの閉じた左目の上に描かれた印。
複雑な文様の十字架が刻まれ、更にその十字架には二匹の細長いモノが絡み付いてる。
黒いその印が、月光に浮かび上がる。
「ミイがここに現れることができた理由がわかった。術者だとか、潜在能力があるわけじゃあなかったんだ」
「まさか……」
「そう。ミイの左首筋に、これと同じ印が刻まれていた」
「ツアッシュのクロスが?」
「そうだ。色は黒。ツアッシュクロスの印を刻まれているおかげで、ここに来ることができたんだな、きっと」
「僕には身に覚えがないね」
「だろうな。だが犯人は、ツアッシュに学んだ者の中の誰かでしか有り得ない」
ツアッシュは、偉大なる魔術師。
そしてラクドット家付きの魔術師。
つまり、五年前のあの事件に何らかの関与があってもおかしくはない。
そういう立場に居る者がミイにあの印をつけたのだ。
同じ師に学んだ者たちは、同じ術式を用いる。
ツアッシュに学んだ者が使用する印は、ツアッシュクロスを元にしたものばかり。
サクと同門の魔術師で、生存している可能性がある人物といえば……。
サクが部屋から飛び出そうとするのを、カシュールカが止める。
「待てよ。様子を見た方がいい。本当にあいつが関与しているのなら、あせらなくても向こうから姿を現すさ。遅かれ早かれ、な」
「ミイに確認すればいい話じゃないか」
「ミイは喋らないさ」
「脅してでも喋らせる」
「だから、脅しが通用しないって言ってるんだ。まったく、今までどんな生き方してきたんだ……」
カシュールカは先ほどの無表情なミイの顔を思い出して溜め息を吐いた。
その様子を見たサクも、肩の力を抜いて息を吐いた。
「復讐が目的なら、彼女を送り込んだりせずに直接攻撃を仕掛けてくると思うけど?」
「ミイはなにかを探している。それは命令とかじゃなく、ミイ本人の意思かもしれないだろ? それがわからない」
「ミイはどうでもいい。敵の目的は復讐以外にない。ここにあの印を持つものがやってくる意味。そこに偶然は有り得ないんだよ」
「それじゃあ、相手は復讐と、それ以外にも求めているものがあるかもしれないってことか?」
「カシュールカ、君はどうする? 僕はあいつが許せない。再び僕の目の前に姿を現すようなことがあれば、彼には死をもって償ってもらうことになる」
サクはカシュールカの手を軽く払った。
ツアッシュの印が髪に隠れる。
「俺は……。俺は、あいつが俺たちに二度と干渉しないんだったら、放っておいてもいいと思ってる。俺は今の生活に不満はない。おまえにも復讐なんてして欲しくはない」
「本気で言っているのか!?」
「本気だ。俺は面倒が嫌いなんだ。おまえだって知ってるだろ。一度腰を上げたら、そこから次々としなけりゃならないことが出てくる。そうなったらおしまいだ。だから、そんな事態はできるだけ避けたい」
「復讐を面倒だと言うのか?」
「死んじまったもんは仕方ないだろ。俺だって、憎くないと言えば嘘になるけどな、必死こいて復讐しょうとも思わない」
そう言って、カシュールカは長い息を吐いた。
「信じられない」
サクが、厳しい口調で告げる。
「俺はそういうヤツだ。そうだろ?」
「カシュールカ、君は逃げているだけだ」
「逃げてなにが悪いんだ」
カシュールカは、サクの強い眼光を受け止める。
そのまま無言で対峙していたが、やがてサクが目をそらした。
「そうだね。君が逃げるのを止める権利は、僕にはない。悪かった。おやすみ」
サクは短く告げると、そのまま部屋を出て行く。
それを見送り、カシュールカはベッドの上に仰向けに倒れこんだ。




