逃走と乱闘
場所は伯爵家を出てすぐの角を曲がった所。
門からミイたちの様子は見えないだろう。
そしてお屋敷の広大な敷地を囲むこの壁沿いの道には、普段からあまり人通りが少ない。
そう、ちょうど今のように、助けを求めようにもその対象がいなくなることもしばしばだろう。
「なんの用だ?」
ムウルがミイを背にかばい、男たちと対峙する。
「例の指輪を渡してもらおうか」
「知らねえな。他を当たってくれ」
「嘘はいけねえぜ。素直に喋れば、痛い思いをせずに済むぜぇ」
「素直に俺たちを行かせる気はないってことか」
ムウルは鼻で笑った。
「そういうこった。連れもいるんだ、無理はしない方がいいんじゃねえか?」
男たちの一人がミイに目を向ける。
「余計なお世話よ。ムウル、まさか負けないわよね」
「当たり前だ」
「なんだとぉ? おい、やっちまえ!」
それが合図だった。
ミイは即座に数歩下がる。
残念ながら、ミイに戦闘能力はない。
簡単な体術ならば一応教えてもらったことがあるが、相手の不意をつくような場合を除いて、まず成功することはないだろう。
ムウルは素手。
相手のうち二人は素手だが、三人が短剣を手にしている。
ムウルはもちろん弱くはない。
問題は数で圧倒している相手方がどれ程の腕かということだ。
が、どちらにせよ正攻法では分が悪そうだ。
ムウルが最初に向かってきた一人の腹に拳をめり込ませた。
男は唾液だか胃液だかわからないものを口から吹きながらその場に沈みこむ。
その場の全員がムウルに注意を向けている。
「そんじゃ、後はよろしくねっ」
ムウルに気を取られている男たちの脇をこっそりとすり抜けたミイは、ひらひらとムウルに対して手を振って見せると、即座に踵を返した。
「待てっ!」
男二人が慌ててミイの後を追う。
「おまえらの相手は、お、れ、だーっ」
一瞬、ミイに気を取られた男の、短剣を持つ手を蹴り上げる。
続いて拳を男の顎に見舞うと、男は後ろにふっとんだ。
ムウルは素早く短剣を拾い上げ、殴りかかってきた男の攻撃をかわすと共に、男の後頭部を短剣の柄で殴りつける。
しかし残りの二人は既にミイを追って走り出していた。
ムウルは舌打ちして、男たちの後を追う。
角を曲がったところで、前方に肩を並べて走る男たちが目に入った。
ムウルは手に持っている短剣を、狙いを定めて投げる。
短剣は惜しくも男たちをかすめただけだったが、背後から飛んできた短剣に驚いた男がムウルを振り返った。
その分、ペースは落ちる。
ムウルは一気に距離を詰めた。
逃げ足だけは速いミイの姿は、いつの間にか消えていた。
ムウルを置き去りにして一人逃げたミイを恨む気持ちはない。
むしろ、無事に逃げてくれたことに安堵する。
ミイを見失い、男たちの足が止まった。
「どういうことか、説明してもらおうか?」
ムウルは不適な笑みを浮かべて、男たちに詰め寄る。
「誰かーっ!助けてーっ!」
その時、ミイの声がやや離れた場所から聞こえた。
この先には大通りがある。
そこまで無事逃げきったミイが、助けを呼んでくれたに違いない。
チッと男たちは舌打ちをすると脱兎のごとく逃げ出した。
「あ、おいっ」
「バカ、ムウル。あたしたちも面倒なことになる前に逃げるわよ」
見上げると、塀の上にミイが膝をついて立っていた。
「なんでそんなところにいるんだよ」
「ここのお屋敷の中を勝手に通り抜けさせてもらっただけよ。それより、早く」
ミイが手招きする。ムウルは軽く助走をして地面を蹴った。
自分の身長ほどの塀に手をかけ、体を持ち上げる。
ミイは既に塀の内側に下りていた。
「あいつら、何者だろうな?」
ムウルもひょいと壁の内側に着地すると、ミイと並んで歩き出す。
敷地が広すぎるためか、二人に気づく者はいないようだ。
「さあね。でも、もう依頼は完遂したし、指輪はムウルの探している物とも違ったわけだし、あたしたちには関係のないことだわ。面倒ごとになんてかかわりたくないもの」
「ま、そりゃあそうだな」
「そ。あたしはまたあの家に戻って、家事をこなしながら目的の物を探すし、ムウルはムウルで自分の求める物を探す。通常業務に戻るだけよ」
「確かにな」
ムウルは腕を組んで深くうなずいた。