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黄昏駅  作者: 青柳 蒼
9/21

八駅目

 けれど、僕の祈りは届かなかった。



 あれから三日程経った日、練習から待合室に戻ってくる時に、事件は起こった。



 練習でしごかれて足がヘロヘロの状態だったせいで皆から少し遅れて歩いていた。女性陣は皆先に待合室へと入って行き、僕も中へ入ろうとドアノブに手を掛けたその時だった。

「あっ、新人君みーっけ」

 つい逃げたくなって後ずさりしてしまったが、逃げちゃいけないと思い直して足を止めた。

「ね、今度こそ名前教えて?今はあのこっわーい女もいないことだし、オネエサンとゆっくりお喋りしよう」

 近づくなり僕の腕に胸を押し付けるように抱きつく。

 やっぱりキツイ。抱きつかれている方とは間逆の方向に顔を向けて鼻を逃がそうとするが、慰め程度にしか軽減されない。

「ほら、こっち向いて?」

 嫌がっていると気付いていないのか、無遠慮に顔を寄せてくる。

 朱里さんには『やってみます』なんて言ってしまったけれど、いざ目の前にすると気が引ける。一応相手は人間の女性だ。いくら事実とはいえど、面と向かって『あなた臭いです』なんて、失礼にも程がある。

 どうしたものかとグルグル悩んでいると、待合室のドアが開いた。

「おーい琴似くーん、へばってるのかなぁー?」

 底抜けに明るい声で言いながら晶子さんが顔を出した。

 はい、別の理由でへばりそうです、と心の中だけで答える。

 晶子さんはこちらを見るなり、嫌悪を露わにした表情でにらみつけた。

「あ~あ。またコワイのが来ちゃった。ねえ、あんなの放っておいてオネエサンとあっち行こう。ね?」

 円山は僕の腕を引っ張って移動しようとする。

「ちょっと琴似君、いつまでそうしてるつもり?」

 晶子さんの後ろから朱理さんや穂ちゃんまで出てきた。

「ほら、あんなの無視して、行きましょ」

 多勢に無勢で旗色が悪くなったからか、円山は急いでこの場を離れたい様子で僕を引っ張ろうとする。

「おい琴似、言ってやれよ」

 朱里さんはこの状況を楽しんでいるのか、ニヤニヤしながら言う。

「何よ?」

「琴似さん、言ってあげてください。その方が彼女の為でもありますから」

 穂ちゃんまで煽ってくるとは思わなかった。ここまで言われたら行くしかない……。

「ちょっと、何なのよ?」

 苛立った様子で円山が言う。

「すみません、でも、もう限界です。離れて下さい」

「はぁ?」

「あなた、物凄く臭いです。頭が痛いし、吐きそうなんです……」

「なっ……、なんですってぇ!?」

 みるみる顔を真っ赤にして逆上した円山は僕の頬を平手打ちした。

 痛みで頭が真っ白になる。けれど、すかさず円山が尚も殴ろうと右手を挙げる。

「やめてください。何をするんですか!?」

 穂ちゃんが円山の腕を掴んで制止に入った。

「うっさいわね!小娘はひっこんでないさいよ!」

 円山は乱暴に腕を振り解く。か弱い穂ちゃんはそのまま吹っ飛ばされて転んでしまった。

「穂ちゃん!」

「ちょっとアンタ、穂に何するの!?」

 キレた晶子さんが掴みかかろうと手を伸ばした。

「止せ晶子!」

 朱里さんがそこに割って入り、晶子さんの手首を掴む。そこへ、円山が手を振り上げて朱里さんの綺麗な頬にバチーンと一発喰らわせた。

「朱里さん!だっ大丈夫ですか?!」

 収集が付かないヤバイ事態になる、と思ったが、朱里さんはゆっくり顔を上げた。朱里さんは、ニヤリと笑っていた。

「駅長!!」

 叫んだのは朱里さんだ。あの笑みの正体はコレか。

 いつの間に来たのか、円山のすぐ背後に現れた駅長は、問答無用で彼女の首を掴んだ。そして、ぐるりと首を巡らせて僕達を見回す。

「イチ、ニィ、サン……」

 言いながら僕と穂ちゃん、そして朱里さんを順に指差す。

「アウト」

 駅長が感情のこもらない声で言うと、円山のすぐ足元が丸くぽっかりと黒くなり、そこから無数の白い手が伸びて来た。

「イヤッ!何よコレ!?イヤッイヤッ」

 事態を把握した円山が悲鳴をあげて駅員を払う。

 僕はあまりの怖さからその場に尻餅をついてしまった。

「イヤ!助けて!助けてよぅ!!」

「ダメ オマエ アウト」

「イヤァァァァ!!」

 駅長が手を放すと、円山はそのまま床の下へと引きずりこまれていった。

 黒い穴が消えると同時に円山の悲鳴もかき消えた。駅長は何も言わず、自分の仕事はもう終わったといった様子でさっさと駅長室へ戻っていった。

「おい琴似、立てるか?」

 座り込んでいる僕の前に朱里さんが立つ。

「……どうして?」

「ん?」

「どうして最初に僕が殴られた時に駅長を呼ばなかったんですか?ああなるって、本当はわかってたんじゃないんですか?」

「なったらいいなーくらいにしか考えてなかったよ。うまくいってラッキーとしか思ってないね」

 円山がどれだけのことをしたのか、僕は知らない。けれど、朱里さんはその目で見てきた。だからあんなことになったのは因果応報なのだろう。けれど……。

「あそこまでする必要があったんでしょうか?」

「あったんだよ。お前、あの女の食い物にでもなりたかったのか?」

「そんなんじゃありません!ですが……何も命まで取ることは……」

「ヌルイな。そんなだからタゲられるんだよ」

「それはそうかもしれませんけど……」

 朱里さんは、ヤレヤレといった様子で前髪をかきあげる。

「お前ね、お前が来る前に、あの女がここまでされなきゃならないようなことをやってたんじゃないかってことは考えたことがないのか?」

「それはわかってます。でも、だからといってそれを朱里さんがやる必要がどこにあったんですか?」

「あの女はな、男をたらし込んで貢がせてたんだよ。一応ギブアンドテイクで身体を提供していたらしいけど。でもな、前にも言ったが思い出を削りすぎるとおかしくなってくんだよ。そうやって廃人になっていった奴が何人もいるんだ。その中には仲間だった奴も居る」

「……その人はどうなったんですか?」

「おかしくなって手が付けられなくなって、暴力沙汰を起こして駅員に連行された。私は何度も止めた。そしたらそいつ、何て言ったと思う?『だったらアンタが身体を提供してくれよ』って。それ言われてからはもうそいつを見捨てた」

 朱里さんは見捨てたことを後悔しているのだろう。その仲間の復讐の為?

「お前から見たら残酷なことをしたと思うだろう。けどな、ここで止めなきゃあの女は永遠にここで来る男達を食い物にして廃人にして殺していくとこだったんだよ。良い機会だったんだ。これ以上犠牲者を出さない為にも、あの女の無駄で空しい行為を止めさせる為にも」

 たまたま朱里さんが手を汚したに過ぎない。でも……。

「それでも僕は、朱里さんがやることはなかったと思います」

「お前ね……」

「朱里さんがあんな女の為に手を汚すことは無かったんじゃないかって、言いたかったんです。あなたが背負わなきゃならないことじゃなかった、そう思っただけです」

 ふっと朱里さんが笑った。

「お前、やっぱりバカだね。頭イイ学校行ってるくせに、本当にバカだね」

「……皆にいわれてますから、別にいいです」

 ケラケラと笑いながら僕の頭をグリグリと撫でる。けれど、急に真顔になって言った。

「いいか?ここに居ると嫌でも腹を決めなきゃならない場面に出くわすことがあるんだ。そんな時に『誰かがどうにかしてくれる』なんて甘い考えは捨てろ。嫌なことを他人にやらすなんて最悪だぞ。それが仲間だったりしたら最低のクソ野郎だ。お前はそんな奴になるなよ。いいか?その時が来たらためらうな。自分の為にも、仲間の為にも」

 どれだけ正当化してみたところで、駅長を呼んで駅員に連行させることは、人殺しに等しい行為だ。分っているからこそ、心に大きな傷と責任を負うことになるだろう。朱里さんは、自分と仲間の為に、自ら進んで必要悪をやってのける。他の誰にもその傷を負って欲しくないから。他の誰にも、その重た過ぎる責任を負わせたくないから。

 とても厳しい、重たい言葉だ。けれど、何が起こるかわからないこの場所で、とても大切なこと。

僕は朱里さんの目を見て、しっかりと答える。

「はい」

 僕の真剣さが伝わったのか、朱里さんはふっと微笑んだ。

「ほら、いつまでも座りこんでないでさっさと立て。反省会始めるぞ!」

 その言葉を機に皆待合室へと入っていった。

 いつか、朱里さんも帰っていく。僕より早く、ここから居なくなるだろう。その時、僕が朱里さんのように皆を守れる人間にならなければ……。

 僕は、彼女の言葉をしっかりと胸に留めて待合室へと入って行った。

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