六駅目
練習をして、反省会をしてのんびりとお茶して、シャワーを浴びて寝る。日々、その繰り返しだ。起きて身支度を整えてソファーのある部屋へ行って、先に起きている誰かと、コーヒーを飲みながら喋って皆が揃うのを待つのもその一つだ。
今日の朝のお相手は朱里さん。
実は、朱里さんは起きるのがいつも遅い。晶子さん曰く、寝起きが悪いらしい。こうして朝一緒になるのは、今回が初めてだ。
いい機会だと思い、かねてから聞いてみたかったことをぶつけてみることにした。
「朱里さん、前に言ってましたよね。二度ステーションに来た人に会ったって」
「ああ、会った」
なんでもないことのように朱里さんは答えるが、これって結構レアケースなんじゃないだろうか?そんな人に会ったのなら、朱里さんはきっと疑問をマシンガンの如く聞いたに違いない。
「その人に色々と聞いたからここのことに詳しいんですね」
「聞きたいことがあるなら今の内に聞いとけ。答えられる範囲で答えてやる」
朱里さんからGOサインが出た。それじゃあ遠慮なく聞こう。
「わかりました。じゃあ……、ここってどうして『黄昏駅』って名前なんですか?どこにもそんな表記も無いのに」
この駅には看板というものが存在しない。最初にここに来て気付いたけれど、ホームにさえ駅名を示す看板が無い。一体誰がそんな名前を付けたんだろう?
「ああ、それな。駅長がそう言い張ってるんだよ。最初にここ来た時に駅長に訊いたんだ。ここは何処なんだって。そしたら『タソガレエキ』としか言わねーの」
何となく状況が目に浮かぶ。朱里さんはきっと、『ここの何処が黄昏てんだよ!?』とか言ったんだろうな。
とにかく、理由は分らないけれど、とにかく駅長が言うのだからここは『黄昏駅』という名称以外には無いのだろう。
「そうだったんですか。もしかして、ルールも同じような感じですか?」
「そ。とにかく情報が欲しくて色々訊いたんだが、奴から得られた情報は、ここの名前とルールだけ。しかも、ルールは説明ナシ。ほんっとポンコツだよな、アイツ」
あの駅長にそれだけ喋らせたのならば、むしろ上々な方だと思う。何しろいつも面倒くさそうにしているから……。
さて、次の質問に移ろう。
「売店で払った代償は現実に帰っても戻って来ないんですか?」
「戻ってこない、そう言ってたよ。ステーションに来た記憶はきちんと残ってるって。ここでの思い出も、代償として売店で払えるってそいつから聞いて初めて知ったんだ。酒やタバコ自体がヤバイ物ってのもそいつが教えてくれたんだ」
「その人、どうして戻ってきてしまったんでしょうか?」
一度目の時に誰かに協力してもらったり協力したりしていたはずだ。協力してもらって帰ってきたはずなのに、協力してくれた人達の苦労を無駄にしてまでここに戻ってくるなんて、僕には出来ないな。
「生きてるのが辛くなったんだとさ。最初はさ、わけわからんところに来ちゃったから怖くて帰りたい帰りたいだけど、暫くすると、『あれ?ここ、結構ちゃんと過ごせるじゃん!ルールさえ守っておけば現実より楽じゃね?』ってなるんだよ。だって、困んないからさ。現実に帰るとさ、生きてく為に色々しなきゃいけないだろ?嫌な思いも沢山しなきゃいけない。その人はさ、割と早い段階で電車が来たから、とにかく帰らなきゃって思いがあったんだって。でも、いざ戻ってみると、そこまで必死になって帰る価値が『現実』には無いと分っちゃったんだって」
「それで戻ってきてしまったんですね」
確かに、現実世界では生きるためには何かしなければならない。生きる為には学校へ行って学歴を付けて、社会人になったらお金を稼ぐ為に仕事をしなければならない。毎朝毎晩通勤ラッシュで疲れて、人間関係の維持や仕事なり勉強だって、楽しい物ばかりじゃない。楽しいことよりも、辛くて逃げたくなるような事ばかりだ。
僕は、今はまだここが怖い場所だという認識があって、現実の方がまだマシじゃないかって思ってる。でも、言われてみれば、ここなら勉強に追われることもないし、うっとうしい親も居ない。殺伐としたあの教室へ行かなくていいし、受験もテストも無い。もし『ここが怖い』という感覚が麻痺してしまったら、僕自身、ここに留まることを望んでしまうかもしれない。
「そ。電車で何度も居眠り繰り返してようやく来たって言ってた」
「その人、今は……?」
まだここに居るのなら既に紹介されているはずだ。帰りたくないとはいっても、頼めば帰る時に協力くらいはしてくれそうだと思う。きっともうここには居ないのだろう。
「駅の外に行ったよ」
予想の外の回答だ。話の感じから、変な物に手をだすわけでも、誰かに害を成すわけでもなさそうな人だから、どうせ説得されて帰ったんだろうとタカをくくっていたのに……。
「どうやって?晶子さんは出口なんて見当たらないって……」
「隠し扉があるんだよ。知らないほうがいいから教えないよ」
朱里さんの声が重たい。言外に、『だから余計な所には触るな、近寄るな』という警告が滲んでいる。
「外、見たんですか?」
「薄気味悪い色してた。遠目からチラッとしか見てないから具体的にどんなとまではわかんないけど、おおよそ人が住めなそうな環境っぽい様子だったよ」
「そんなところに自分から外へ出たんですか?」
「ん~、微妙なトコだね。外へ続くドアを探していたのは事実だ。ただの暇つぶしのつもりでやってた。たまたま見つけて、ばたーんってドア開けたらさ、そのまんま駅員に外に引きずり出されていったよ。体の一部がほんのちょっとでも出ただけでアウトなんて詐欺だよな」
出たのは手だけなのだろう。足を一歩踏み出してしまったなら仕方ないと思うが、それじゃあ確かに詐欺もいいところだ。
「怖いですね」
「目の前で見たこっちの方がびびったよ。あっけなかったね」
目の前で、直前まで会話を交わしていた相手が突然居なくなる。ここはそんな場所なんだ。きっと、電車に乗って帰っていく以外の別れは、そんなものなのかもしれない。
考えながら、ふと、怖いことを考えてしまった。
「もしかして朱里さん、駅員に連行された人達って……」
「ああ、そうだよ。前に面白半分で駅長に聞いたことがある。駅の外に放り出されるんだってさ。で、更に怖いこと、聞きたくない?」
言いたくて仕方ないという様子で、せっかくの綺麗な顔が台無しになるくらいにニヤニヤしている。
「……何となくわかりました。それ以上言わなくていいです」
「だよな。でも言う。外で死んだ奴が駅員になるんだって」
ああ、やっぱり……。
「あの、その話って……」
「ああ、それはここに二度来た奴が言ってた。駅員の中に見たことがある手を見たってのが居たらしい」
それはそれで怖いな。ここで会った誰かに襲われるなんて、考えただけでも怖い。もしそれが自分が外へと送り出してしまった誰かだったりしたら……。
「……何か、駅員が必死かつ執拗に追いかけてくる理由がわかった気がします」
「だろ」
でも、駅の外で死ぬってどんな感じなんだろう?時間の流れの無いこの場所で、年老いて死ぬわけはないし、飢えて死ぬこともないはずだ。それとも、外は時間の流れがあるのだろうか?
そもそも、ここで死んでしまったらどうなるんだ?考えたくなくて避けていたけれど、今ここにいるこの状態って、一体現実ではどうなっているんだろう?死んだら戻れなくなるらしいとしか聞いていないけれど、もしそうなったら現実ではどうなるんだ?
「あの、もしここで死んだらどうなるんですか?」
「知らん。麻生は……、ああ、ここに二度来た奴の名前な。で、麻生に聞いたけど、連行された奴が実際に現実で生きてんのか死んでんのか、調べる方法が無くて裏が取れなかったって言ってた。まぁ、ネットもまだそこまで充実してなかった時代の人間だから、そんなもんだろ」
「それじゃあ、帰れないって確証が無いわけじゃないんですね」
「どーだかな。連行された時点で現実の身体が死ぬ、と私は考えてる。良くて植物状態かもな。お勤めが終わったら帰れるのかもしれんけど。もしそうなら駅の外には時間の概念が存在することになるよな。ま、どっちにしろ頭のおかしい連中しかいない上にあんな薄気味悪いトコに放り出されてマトモでいられるとは思えないけどな」
僕の希望的観測はあっさりとぶち壊されてしまった。言われてみれば、駅の外なんてただのゴミ箱のようなものだ。駅の中ではルールに縛られ駅員に追い掛け回されて、外では逃げ場のない無法地帯の牢獄に閉じ込められる。結局ここに居る限り、安全なんてものは存在しないんだ。
「やっぱりここは、とても怖い場所なんですね……」
ふっと朱里さんが息を吐く。
「この場所がただ怖いだけの場所か、それ以外の何かがある場所か、決めるのはお前自身だよ」
「……それはどういう……」
「琴似と朱里さん発見。おはよう!」
言葉の真意を問う声は晶子さんによってかき消されてしまった。朱里さんはもうその質問には答えてくれる様子ではない。
結局それ以降、朱里さんと朝を過ごす機会が来ることはなかった。