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黄昏駅  作者: 青柳 蒼
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Case 穂

 優秀な兄と姉、出来損ないの末っ子の私、いつもそう言われていました。親からも、親戚からも、学校の先生でさえも。


 母はそんな私の存在を恥じていて、家の中では空気を吸うように私をけなします。そして、それが終わったら勉強だけを強いられてきました。毎日がその繰り返しでした。


 それが更に酷くなったのは中学校受験に失敗した時でした。母の大本命の中学に落ちてしまい、結局滑り止めに受けた中学に入りました。不合格の通知を受け取った母は、それはもう人間とは思えないくらいに泣き叫びました。そして、私を罵り、殴りました。それからの中学生活は真っ暗闇でした。何かにつけて、受験に失敗したことをちくちくと責め立て、通っている学校の制服を見ては『そんな学校に行ってるなんて自分は馬鹿だと吹聴しているようなものだ。私にもお兄ちゃんやお姉ちゃんにも恥かかせて』とけなされ、時に暴力を振るわれました。


 そんな日々を経て、高校受験を迎えました。


 今日2012年2月16日は、母が絶対に合格しろと言った私立の最難関の進学校の受験日です。

 一応滑り止めを受験させてもらえましたが、今日受ける学校に落ちたりしたら、今度こそ殺されるかもしれません。


 今日の受験を成功させることが出来たら、少しはマシになるのだろうか?

 こんなこと、いつまで続くんだろう?

 失敗したらどうしよう?


 そんなことを考えて、昨日からずっと胃がキリキリと痛んでいました。

 そして試験が始まり、2教科目を終えた後の休憩時間、お手洗いへ行きました。他の受験生達が自分達の出来についてお喋りしているのが、個室から聞こえてきました。お喋りしていた子達がいなくなったのを確認してから個室から出ました。鏡に映った自分の顔は、幽霊みたいに真っ青でした。

 彼女達の話を聞いて、かなり大きい点数が配点されている問題を間違えてしまっていたことに気づいてしまったのです。『失敗した。もう、ダメかもしれない』そう思いました。

 震える手を何とか洗って廊下に出ました。教室に戻る途中、また胃がキリキリと痛み出してしまって、歩けずに屈みこんでしまいました。


 『どうしよう?また同じことを繰り返すの?』


 終わったことはどうにもなりませんが、これから更に酷い目に遭わされるのだと思うと、もう一歩も動くことが出来ませんでした。

 目に涙まで滲んできてしまい、もう試験会場へ戻ることすら無理だ、と思った時のことでした。

「どうしたの?大丈夫?」

 不意に背後から男の子の声がしました。顔を上げて振り返ってみると、ブレザー姿の男の子が立っていました。この学校の生徒でした。試験中に在校生が試験監督をしていたので、彼もその一人なのでしょう。

 男の子は私の顔を見て、ハッとした顔になると、サッとポケットからハンカチを取り出して、私に差し出しました。

「はい、これで顔を拭いて。まだ3教科も残ってる。大丈夫だから、落ち着いてやろう」

 嬉しかった。今までこんな優しい言葉を掛けてくれた人なんて、一人も居ませんでした。

「はい、頑張ります。ありがとうございます」

 ハンカチを受け取って涙を拭きました。彼の言う通り、まだ終わったわけじゃない。頑張れば何とかなるかもしれない。

「うん。じゃあね」

 男の子はそのまま自分の受け持ちの試験会場へと去っていってしまいました。結局私はハンカチを返しそびれてしまいました。



 その後、彼には会うことがないまま試験が終わり、帰りの電車に乗りました。ポケットには彼に借りたままのハンカチが入ったまま。

 残りの三教科、全力を尽くしたつもりだけれど、正直自信は全くありません。

 このまま不合格なんてことになったら、彼にハンカチを返すことも出来ないし、また暗黒の生活が両手を広げて待っていることでしょう。


 不安を抱えたまま乗った電車で、疲れから眠ってしまいました。そして、目が覚めたら知らない場所に来てしまっていたのです。その場所の名前は黄昏駅。


 黄昏駅に来て、私はようやく私らしくなれました。ここには、勉強だけを強要して友達を作ることすら許さない母は居ない。安心して笑顔でいられるこの場所を、私はとても気に入っていました。ここはとても怖い場所ではありますが、それでも私にとっては天国のようでした。本当は帰りたくありませんでした。帰って母の顔を見るのが、心底嫌でたまらなかった。そんな話を皆さんに話したところ、皆さんは口々にアドバイスをくれました。

「穂は真面目過ぎだよ。毒にしかならない親なんて居ない方が良くない?いっそ捨てちゃいなさい」

「ちょっと……晶ちゃん、さすがに言いすぎだよ。捨てるって、抵抗があるでしょ。みのちゃん、『距離を置く』って考えて欲しいな。程良い物理的な距離を置いて、おかーさんと丁度良い関係になるんだよ」

「距離置くとか、めんどー臭ぇな。レコーダーで親の虐待記録取って児相に駆け込むのが手っ取り早いだろ。子供虐待する奴はムショぶちこむのが一番だ」

「ちょっと、しゅーちゃんカゲキ過ぎ。それじゃあ上手くいっても将来を狭めるし、学費払ってもらえなくなったら元も子もないじゃない」

「んなもん慰謝料ふんだくりゃいいだろ」

「はいはい、言い争いはおしまい。穂、とりあえずそれも一つの方法ってのだけ心に留めておけばいいよ。今から私が言うことも、もう一つの方法と思って聞いて」

 晶子さんはそう言って、もう一つの方法を教えてくれました。それを聞いた私は、これだと思いました。高校三年間、耐えるのは辛いけれど、それでもその先に自由が待っていると希望を持てる方法を、晶子さんは教えてくれたのです。

 晶子さんは既にその方法を実行している最中だったそうで、現実に帰ったらサポートをするとまで言ってくれました。

 現実に帰ってももう、一人じゃない。ここに来れたことだけじゃなく、彼女達に会えたことを、とても感謝しました。

 その後志乃さんが来て、昭美さんが現実へ帰っていって、入れ替わるようにやってきたのが琴似さんでした。


 本当は私、最初の頃は琴似さんに嫉妬していました。だって、琴似さんはあまり努力とは無縁そうで、ただ何となく生きてきている感じだから。私があんなに努力して受験した高校にも、きっと、ただ何となく受けて受かっちゃったから通ってるように見えて、本当に腹立たしかったんです。もちろん口にも態度にも出したりはしません。どんな相手であれ、帰る為には仲間が必要だし、それなら表面上だけでも仲良くする必要がありましたから。


 その考えが誤りだと気付いたのは、朝初めて彼と一緒になって、二人だけで会話をした時でした。

 私と似たような境遇で育ってきて、彼もまた過酷な努力を強いられてあの学校に通っているとわかって驚きました。

 彼も私と同じ痛みを抱えているとわかってからは、親近感さえ湧くようになりました。


 琴似さんは、初めこそ皆からも私からも『ヘタレな男の子』という目で見られていましたが、朱里さんや晶子さんから揉まれる内に、どんどん成長して頼れる男の子になりました。そして、私も彼のように変わってゆけるんじゃないかと、もっと強くならなきゃと思うようになりました。


 琴似さんはいつも私に優しく接してくれて、時には自分を省みずに守ってくれたりもしました。私はそれまでずっと、ハンカチを貸してくれたあの人のことを想っていたのに、気付いたら琴似さんを想うようになっていました。


 そしてあの時、私が無理をして転んでしまったばっかりに、大切な人を死に追いやってしまった。私は、どうしても二人にあの電車で帰って欲しかったんです。一人でも大丈夫と胸を張りたかった。それが裏目に出てしまいました。悔やんでも悔やみきれませんでした。


 一人ぼっちになった私の前に駅長が現れた時、私も連行されるのかなと思いました。でも、もしそうなっても、その先には琴似さんが居る。だからきっと大丈夫、そう思いました。

 その駅長が琴似さんだとわかって驚きました。そして、琴似さんがあのハンカチの人だとわかって、本当に嬉しかった。だから未来を変えて、彼が死なない未来を作ろうと思いました。けれど、未来を変えることを必死に止められました。理由を話してもらえなかったのは、未来の話をしてはいけないルールはまだ私には適用されてしまうからだったのでしょう。

 琴似さんが必死に、未来を変えず私を現実へ帰そうと説得するのを見て、私は気付いてしまいました。未来を変えてしまって、その結果影響を被るのは朱里さんなのだろう、と。

 琴似さんは、自身よりも、私との将来よりも、朱里さんを選んだのです。琴似さんらしい選択だと思いました。自分より仲間の幸せと、ここで皆と過ごした時間のどちらも彼にとって、彼の先の将来を捨てられる程かけがえのないものだった。そんな彼の気持ちを肌で感じました。今の彼の意志を無視して、彼の望まない未来を私が勝手に作っていいわけはありません。だから帰ることも未来を変えないことも、受け入れることができたんです。


 現実へ帰ると、目の前に晶子さんが立っていました。晶子さんは未来を変える為に私に会いに来たと言いました。その瞳はとても真剣で、きっと帰ってきてからその為の方策をずっと考えてきたのでしょう。恐らく彼女はずっと自分を責め、悔やんできたのだと思います。

 晶子さんの気持ちは痛い程よくわかります。ですが、気持ちは揺らぎませんでした。私は晶子さんに、琴似さんからの伝言と、琴似さんの意志を伝えました。説得の末、最後には晶子さんは理解してくれました。



 琴似さん、私、高校受かっていました。あなたのお陰です。あの時のあなたの励ましの言葉が、私に力をくれたのです。


その後、遠方の大学へ進み、親元を離れることができました。晶子さんの言いつけ通りに勉強とバイトを頑張る最中、私に彼氏ができました。大学の先輩で、琴似さんのようにとても優しい方です。


 ある日、私の親友が私の彼の友達に恋心を寄せていることを知りました。引っ込み思案な私の親友は、彼女から意中の相手に話しかけたりすることさえ困難なタイプです。そこで、私と彼氏でキューピット役を務め、二人はめでたく付き合い、結婚までいきました。

 その時までは全く何も気付きませんでした。あの二人が付き合い、結婚し、子供が産まれるまでは。

 彼氏の友人の苗字が『月寒』。産まれた子供は女の子で、名前は『朱里』にしたとメールが来て、私はようやく全てを理解しました。


 琴似さんはこの事を知っていたのでしょう。だからあんなに未来を変えることを止めたんですね。

 

 あの二人は、恐らく私と彼氏の手助けが無ければくっつく事も無かったでしょう。そもそも、私が彼氏と付き合わなければ、二人が顔を合わせることさえなかったかもしれません。

 もし未来を変えて琴似さんが生きていたら、私は琴似さんと付き合っていたと思います。そうなったら、彼氏と付き合うことも無かったかもしれません。

 全ては憶測でしかありませんが、きっとこれが事実なのだと思います。



 過去も未来も繋がっている。その一つ一つに理由があり、どれかが欠けてしまったら、予定されていた未来は狂ってしまう。私も琴似さんも、皆も、その歯車の一つに過ぎなかった。



 それなら私は、彼の分まで、彼が身を以って繋いでくれた未来と私の人生を全うします。



 さようなら、琴似さん。私の初恋の人。

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