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黄昏駅  作者: 青柳 蒼
2/21

一駅目

 ドアの先に広がっている室内は、待合室というよりは食堂と言った方が良さそうな趣の室内だった。ただ、壁一面黒いのが気になる。長テーブルと椅子が並んでいる先、部屋の奥に売店のようなものが見える。そして、一番扉に近い長テーブルの左側のところに三人の女性が座っている。女性達はこちらに気付くと、皆立ち上がってこちらに駆け寄ってきた。

 この女性達が先程言われていた『皆』なのだろう。一様に彼女に声を掛け、僕には気付いていない様子だった。けれど、その中の一人がふと僕に気付いて僕を指差して言った。

「で、晶子、アイツ誰?」

 モデルのような美人だが、その麗しい容姿からは想像もつかない男性的な喋り口調だ。

「ああ、今きたばっかりの……。そういえば自己紹介してないや。名前、何ていうの?」

 ここに来てようやく自己紹介になった。

「琴似明です。16歳で、2012年4月から来ました」

「琴似君だね。私は大谷地晶子、18歳。さっきも言ったけど2009年7月から黄昏駅に来たんだ。晶子でいいからね」

僕をここに連れてきてくれた人が晶子さんか。やっぱり僕より年上だったんだ。不味い。これからはちゃんと敬語にしないと。

「私は月寒朱里だ。28歳。2056年9月から黄昏駅に来た。私も朱里でいいからな」

 美人の女性が朱里さんか。喋りだけだと男の人を相手にしているようだ。

「澄川志乃といいます。14歳です。1982年5月から来ました。よろしくお願いします」

 セーラー服にお下げ髪の清楚な女の子がペコリとお辞儀をした。年齢から考えると中学二年生かな。喋り方といい、本当に真面目そうな子だな。

「菊水穂、15歳です。2012年2月から来ました。来た年代も年齢も近いですね。よろしくお願いします」

 この子が晶子さんが言っていた、僕と同じ年代から来た子か。明るい髪の色と柔らかい笑顔が印象的な子だ。この子の笑顔、どこかで見たような気がする。……いや、思い過ごしだな。印象に残る程女の子と接した記憶なんてないし、彼女の方も僕に対してどこかで会ったような記憶もなさそうだ。

「晶子さん、膝どうしたんですか?」

 穂ちゃんが屈んで晶子さんの膝を見る。

「ああっ忘れてた!琴似君、約束守ってもらうからね」

「約束守れって言われても……、電車に鞄置いてきちゃったのでお金を持ってないんですが」

 ポケットの中に入っているのは、ハンカチと携帯電話くらいなものだ。財布は鞄の中。

「鞄は元々持ってきていないはずだから、大丈夫ですよ。売店で払うものはお金ではありませんし」

「お金以外の物で払うの?」

「はい、払うのは『記憶』です。『思い出』とも言いますね」

「そ。店員に欲しい物言えば紙とペンを寄越されるから、それに何でもいいから思い出を書くの。事細かくなくていいけど、ある程度わかりやすくね。例えば、何歳の時に犬に噛まれて血がドバーで大変だった、とか」

「どんな思い出でもいいんですか?良かった思い出限定とか、そういうのは?」

「思い出の良し悪しは関係ないよ。物によっては提出した思い出だけじゃ足りないからもう一個別の思い出も寄越せって言われることはあるけど」

 つまり、過払いに関しては完全に払い損になるのか。小さなどうでもいい思い出を小出しにするのがベストなようだ。

「陳列されてる物にパフェはなさそうだけど、陳列されてない物でも売ってくれるものなんですか?」

「何だ晶子、お前パフェまで強請ってたのか」

「いいの。痛い思いさせられたんだから当然でしょ」

 朱里さんの茶々のお陰で質問が消滅しようとしている。腕を組んでそっぽ向いている晶子さんは答えてくれそうにない。

「あの……、陳列されていない物でも注文すれば必ず出してくれます。武器以外の物なら何でも」

 みかねた穂ちゃんが回答してくれた。けれど、『何でも』というのが気になる。

「……何でも?」

「はい。どんな特定の……例えば『ある洋菓子屋さんのチーズケーキ』とか、そういった注文でもきちんと本物が出てきます。特定のブランドの服でも、靴でも、対価さえ払えば出してくれます。喘息の薬だって出してくれるんですよ」

「……まさか。それじゃあタバコやお酒も出してくれるってこと?」

「麻薬も出してくれますよ。ですが、お酒・タバコ・麻薬に手を出すのは止めた方が身の為です。健康上の理由ではなく、もっと重大な意味で」

「それってどういう……」

「それについては後で教えてあげる。どうせその頃には常習者の成れの果てにでくわすだろうから」

「ほら、もう買い方はわかったでしょ。さっさと行ってきて。バナナチョコパフェでよろしく」



 さっそく売店に行ってみる。先ずは陳列された物を見回してみた。

 見た事がないパッケージの物がいっぱいだ。パッと見ただけでは食べ物なのか何なのか全く想像がつかない。

 けれど、一番目を引いたのは店員だった。

 店員は、……何て言えばいいんだ?

 ずんぐりしていて小柄で、大きな白いコックさんみたいな帽子を被り、給食のおばちゃんが着るような白い割烹着を着ている。真っ黒のフサフサの毛で覆われた丸い顔。二つの目は良く光る豆電球のようにピカピカ光っている。カワイイんだかキモイんだか、どちらとも言い難い。

「イラッシャイ マソ」

 マソって……。

「ゴチュウモンヲ ドゾ」

 アクセントが変だ。いやその前に、何だこの変な電子音みたいな声。

 いや、それよりも絆創膏を探さないと……。

「シナモノニ サワッテハ イクナイ ゴチュウモンヲ イッテクダセエ」

 品物に触っちゃいけないのか。良かった。探さなくていいんだ。

「ヒヤカシ ゴエンリョ シヤガレ」

 しまった。怒らせたかもしれない。

「すっすみません。バナナチョコレートパフェと絆創膏と消毒液下さい」

「コノカミニ オモイデヲ カイテ ヨ」

 僕は紙とペンを受け取ると、既に用意していた忘れたい思い出を書き始めた。

『小学校4年生の時、学校の帰りにトイレに間に合わなくて家の玄関前で漏らしたこと』

 因みにこの時は、幸い母が外出していたので証拠隠滅して事無きを得た。僕しか知らない事実だから、この際僕の記憶からも消去して全て無かったことにしよう。

 書き終わり、店員に渡す。

「これでいいですか?」

「コレデ イイ」

 思い出の書かれた紙をおもむろに口の中に入れた。

 しばらくもっしゃもっしゃと紙を噛む。咀嚼がおわると、片手にパフェの乗ったトレイを持ち、もう片方の手をおもむろに上げると、その腕があり得ないスピードで伸びて二つの品物を掴むとするすると戻った。それらをトレイの上にぽいぽいっと放る。なんだか見てはいけない物を見てしまった気分だ。

「オマタセ シタ」

 差し出されたトレイには注文した物に加えてパフェ用のスプーンと紙ナプキンが添えてある。

「どうも……」

 おずおずとトレイを受け取って売店に背を向けた。

 買い物をしただけだというのにドッと疲労感を覚えた。

 さっさと戻ろう。

 けれど、ふと手元にあるものを見て不安に襲われた。

 本当に覚えていなかった。

 自分がどんな思い出と引き換えにこの品物を得たのか、全く思い出せない。

 思い出せないことがこんなにも不安になるものだとは思わなかった。

 トレイを持っている手に力が入り、腕が震える。

「琴似さん、大丈夫ですか?」

 気遣わしげな様子で話しかけてくれたのは穂ちゃんだった。

 この子だってこの売店で買い物をしたことがあるはずだ。もしかしたら買い物のたびに同じ思いをしているのかもしれない。

 いや、もう慣れてしまって何とも思っていないかもしれない。

 それなら一々それをこの子に言うのは良くないことなんじゃないのか?

「ううん、大丈夫だよ。何でもない」

 何事も無かったように笑顔で答える。

 穂ちゃんは何かを察した様子だったが、何も言わず微笑んで「皆の所へ戻りましょう」とだけ言った。



 皆が居る席に戻って晶子さんにトレイごと渡した。

「うわーおいしそう!」

 怪我よりパフェか。

「あっと、その前に手当てしなきゃ」

「私手伝います」

 すかさず穂ちゃんがトレイに乗っている消毒液と絆創膏を取って晶子さんの前に屈む。

「はい、終わりましたよ」

「ありがと……って、ちょっと琴似君、何なのコレ?」

「え?」

「何よこのふざけた絆創膏は!?」

 晶子さんは怒りに任せて絆創膏の箱を僕に投げつけた。

 とっさにキャッチした絆創膏の箱の中を見てみた。すると、絆創膏にマークがついていることに気付いた。

 僕の手元を覗き込んだ朱里さんが大爆笑している。

 先程見た売店員と同じ顔をしているけれど、頭には立派な帽子が乗っている。何ていうか、駅長っぽい感じだ。

「これ、駅長ですか?」

「そーよ。こんな可愛かないけどね。……じゃなくて、アンタ一体どんな注文したの?」

「いや、僕はただ絆創膏を下さいとしか言ってませんよ」

「こりゃケッサクだ!あいつバケモンのくせに何こんなトコで可愛さアピールしてんだか」

 晶子さんに言いがかりを付けられているのを横目に朱里さんはまだ笑っている。

「朱里さん、そんなに笑ったら駅長に悪いですよ」

 そんなことを言いながらも穂ちゃんもさもおかしそうに笑っている。

 志乃ちゃんの方を見ると、呆れたような顔でため息を吐いていた。

 


 そんな和やかな空気を壊すように、急にドアが開く。

 入ってきたのは40代位のくたびれたオッサンだ。ドアの前できょろきょろしていたが、こっちを見た途端に嫌らしい汚い笑みを浮かべてこちらへやってきた。

「おうおうおう、今日もカーワイーコちゃん達そろってるじゃなーい」

 志乃ちゃんと穂ちゃんが怯えた顔をしているのに対して、晶子と朱里さんは噛み付かんばかりの勢いな目でオッサンを睨んでいる。

「とっとと失せろ。駅長呼ぶぞ?」

 朱里さん、怖いです。

 オッサンも怖かったらしい。モゴモゴ言って救いを求めるようにあちこち見回し始めた。そして、うっかり僕と目が合ってしまった。

「おお?おおお?何でぇ、お前!一人で女の子こーんなにはべらしやがって!」

 マズイ。朱里さんが言うように駅長を呼んだほうがいいのか?

 オッサンが僕に向かって来ようとした瞬間、バンッと机を叩く音がした。

 晶子さんだ。

「誰がはべらされてるって?こんなチンクシャに?いい加減にしないとホントに大声出すわよ」

 酷い言われようだ。

「大声を出されて困るのはそちらではありませんか、福住さん?先日の騒ぎの時駅長さんは『次は連行する』と仰ってましたよ」

 怯えていたはずの穂ちゃんが毅然とした様子で言う。でも、よく見るとキュッと組んでいる両手が小刻みに震えている。

 福住と呼ばれたオッサンは急に怯えた様子で辺りをキョロキョロし、そして待合室から逃げるように走って出て行ってしまった。何しにここへ来たんだか……。

 待合室のドアが閉まり、静寂が訪れると、僕はホッとして溜息を吐いた。

 他の皆もやれやれと溜息を吐き、互いの顔を見合わせて安心した顔をしたその時、再びドアが開いた。

5人共一斉にドアの方を振り向くと、普通の駅員が着るような青い制服らしいものを着た大きな人が入ってきた。

 僕はその人の顔を見て、悲鳴を上げそうになった。

 だって、その人の顔は、売店の店員同様顔が真っ黒くて、2つの丸い目だけが光っていたから。

 売店の店員との違いは、着ている服と帽子、あとその体の大きさ位だろう。

 身長は190cm位で、大木の様にずんぐりとした体格だった。

 他の皆は驚いた様子は無く、『何だ、この人か…』と言いたげな顔をしていて、入ってきた人物を見ても大した反応は見せなかった。

「駅長、どうしたんですか?」

 穂ちゃんがその人物に声を掛けた。

 駅長…、これが?

「オマエラ ヨンダダロウ」

 地響きの様な低い声で駅長はそう言った。

「呼ぼうとはしましたけど、呼んでないですよ」

「ナゼヨボウトシタ」

 重ねて問う駅長の声は、更に低い。

 何だろう?もしかして、怒ってる・・・?

「福住さんが絡んできたんです。しつこいので貴方を呼ぶって脅しただけです」

 穂ちゃんは簡単に説明した。

 駅長は何度か頷いた。

 そして駅長は大してズレてもいない帽子を被り直すと、裁きを下すような声でこう言った。

「ツギニ ナニカヲコシタラ フクズミ アウト」

 まるで死の宣告の様だった。

 アウトって、あの白い手…いや、駅員にどこかへ連れて行かれてしまうって事だろうか?

 駅長はそれだけ言うと、ずんぐりとした身体をゆさゆさと揺らして待合室から出て行った。

 その場に残された全員が、暫く口をきく事が出来ずに、ただ駅長が去って行った方向をみつめた。

 暫くして、呪縛から解かれたかのように朱里さんと晶子さんは互いの顔を見合わせると、会話を再開させた。

「ま、あーゆーのも居るってこれでわかったでしょ。ちなみにアイツは酒を常用してるの」

「あれはまだ軽度ね。でも、重度になるとマトモな会話も出来なくなるんだよ」

 朱里さんが言うが、意味がよくわからない。

「あのオッサンはまだ来たばっかりだからただの呑んだくれのチンピラにしか見えないけど、その内ゾンビみたくなるんだよ」

 パフェのバナナをスプーンでつつきながら晶子が言った。

「酒・タバコ・麻薬の常習者の成れの果てって奴ですか」

「常習性が高いから落ちるのは早い。対価をゴッソリ持って行かれるからどんどん記憶が無くなってくのも要因の一つなんだろうけど。その内マトモな会話なんか出来なくなるし、自分が誰かも解からなくなる」

 そういうカラクリだったのか。

「あの人はまだそんなにおかしくなってなさそうでしたけど……」

「まだ自制できてるだけだ。来てまだ日は浅いからな。段々とブツブツ独り言いうようになって、目の焦点が合わなくなってきて、ヨダレダラダラながすようになって……」

 言ってる朱里さんの顔の方がむしろ怖くなってきた。

「あっ、あのっ、何か飲みませんか?空気暗くなってしまいましたし、気分転換に、いかがですか?」

 志乃ちゃんが発言をするのは珍しい。

「そうですね。じゃ私、行って来ますね」

 いつもそうしているのか、穂ちゃんが自然な様子でさっと席を立つ。

「待って下さい、穂さん。言い出したのは私ですから、私が行きます」

 皆は特に遠慮することなくコーヒーをオーダーする。

「琴似さんはどうなさいますか?」

「え……いや、えっと、それって代償が必要なんじゃないの?」

「志乃、琴似も連れてってやんなよ」

「そうですね。では、琴似さんも行きましょう」

 志乃ちゃんはさっさと席を立って行ってしまう。僕はそれを慌てて追いかけた。

「志乃ちゃん、本当に大丈夫なの?」

「はい、大丈夫です。あの奥に自動販売機のような物がありまして、ボタンを押せば飲み物が出てきます。コーヒー、紅茶、緑茶、水、お湯しかありませんが」

「いや、そうじゃなくて……」

「無料です。代償を払う必要はありません」

「……なんだ、そうだったのか」

「…………」

「…………」

 会話が続かない。

 無言のまま、売店の向かいの辺りに着いた。志乃ちゃんはその壁のある一点を指差す。そこには壁に組み込み式になっている、よく高速道路のサービスエリアにあるお茶のサーバーのような物だった。

 横にあるワゴンにカップや砂糖・ミルクにティースプーンが置いてある。ワゴンは二段になっていて、下の方の段に使用済みの物を置くようになっている。

「これです。コップはここ。コップはここにセットして、あとは好きなボタンを押せば飲み物が出てきます」

「これ、どれを押すと何が出てくるの?」

 カップを設置する場所の上の辺りに5個ボタンが並んでいる。それぞれに色が付いているからなんとなく分るけれど、イマイチ判別つかないものがある。

「緑色が緑茶で、青がお水。黒がコーヒーで、茶色が紅茶です。オレンジ色はお湯になっています」

「そっか。よくわかったよ。教えてくれてありがとう。ところで、ここって僕達とさっきのオッサン以外に人は居ないの?」

「そうですね……、大体30人程になります。休憩室で休んでいるのかもしれませんね。それ以外の方は多分……構内のどこかをウロウロしていらっしゃるのだと思います」

「ウロウロって、まるで浮浪者みたいだね。福住さんもその一人なの?」

「……ええ」

 なんだか歯切れが悪いな。どうしたんだろう?

「そっか。何か納得した。そういえばあの人、この前騒ぎを起こしたって言ってたけど……」

「あの、いい加減にしてもらえませんか?あの人の話はしないでください。先程私が何故話を打ち切ったのか、察することすら出来ないんですか?」

 物凄い剣幕だ。福住の話は地雷だったのか。

「ご……ごめん。もうしない。別の話にしよう。休憩室ってどんなところ?」

「もうあなたとは話をしたくありません。他の方にお聞きになってください」

「……ごめん」

 気まずい空気の中、二人で手分けして皆の分の飲み物を運ぶ。

「お帰り。どう?親交は深まったかな?」

 茶化して晶子さんが言う。

「……」

「……ご覧の通りです」

「……ま、しゃーないね」

「それはおいおいということで。それよりも、琴似さんは晶子さんからどこまで事情を聞いているんですか?」

「ルールの説明と、売店の使い方……くらいかな」

「それじゃ、正しい電車の乗り方を説明しないとだな」

「自分が乗っていた電車と同じ行き先で同じ路線のものであればいいんですよね。電車さえ来ればそれに乗れば帰れる

んじゃないんですか?」

「そんな甘いもんじゃない」

「そう。ここに来て直ぐに見たでしょ?正しい電車じゃないから降りた私達を駅員が追い掛け回したのを。あれと同じことが起こるの」

「正しい電車に乗るのを駅員が邪魔するってこと?」

「バカじゃないみたいで助かった。その通り。電車に乗っても駅員が追い出しに来るの」

「だから時間ギリギリまで駅員をかわし続ける必要がある」

「そっか、そうだったんですね。未来の話のルールがあるのにわざわざリスクを犯して固まっている理由はそれだったんですね」

「ま、単純に私たちが女子だからってのもあるけどね。福住みたいのも居るから」

「でも、具体的にどうやって駅員をかわし続けるんですか?」

「走るんだ」

 僕の質問に、朱里さんはニヤリと口の端を上げて答えた。

「駅員は単純だから、動いている対象を追いかけるの」

「ホームには階段が二つある。片方をA、もう片方をBとしよう。先ずは電車に乗る人間が電車に乗り込む。駅員が出てきたらAから一人目の走者がスタートする。Bに入った時点でAから次の走者がスタートする。そうやって延々電車のドアが閉まるまで繰り返す」

「体力勝負ですね」

「走者は捕まったら問答無用で連行される。命懸けになるよ」

「電車に乗る人は電車からポイされるだけなんだけどね」

 まずい。朱里さんが説明をしているところに次々と晶子さんが情報を追加していく為、いい加減頭が追いつかなくなってきている。

「すみません、ちょっと整理させてください。乗り込む人は先ず電車が来たら乗る。その後に駅員が乗る人を電車から叩き出す前に走者が走って駅員を引きつける。走者は捕まったらアウトで、乗る人は電車に留まるのを邪魔されるだけで連行はされない。駅員が追いかける優先順位は乗る人よりもホームに入ってくる走者、ってことでいいですか?」

「そう、それでいい。あとな、乗る奴がホームで走っても駅員は現れない。電車に乗り込んだら駅員が出てくる仕組みになってる。駅員の優先順位はさっきお前が言った通りだが、ホームで走ってる奴よりも優先されるものがある」

 そんなものがあるのか?駅員はとにかく何でもいいから捕まえたいだけなんじゃ……。

「ルール違反者だよ。ルールその5、覚えてるだろ?」

 はっとした。なるほど。ここでそのルールが初めて意味を持つのか。

「……駅で得た物を持ち出してはならない」

「そーゆーこと。ま、説明はこのくらいだな。後は実践あるのみだ」

 朱里さんは早々に立ち上がり、今すぐにでも始めようという勢いだ。けれど、他のメンバーはまだ何か言い足りない様子だ。その中で、穂ちゃんがおずおずと口を開いた。

「琴似さん、その靴で走れますか?」

 言われてみればと、ここに来てすぐに駅員に追いかけられて走ったときの事が頭をよぎる。

「脱げるね。走ってる途中で。さっきも走ってる途中で脱げそうになってたんだ」

「だよね。私達も来た時ローファーだったし。朱里さんはハイヒールだけど。だから売店でランニングシューズ買ったんだ。アンタもそうしたら?」

「それが良さそうだね」

 それしかないのは分っているけれど、早々にまた記憶を削らなければならないかと思うと、少し気が重い。

「よーし、それじゃあ琴似がランニングシューズゲットしたら練習行こうか」

「ちょっと待って下さい。履き替えた靴はどうしたら……?」

 常に靴を持ち歩かなければならなくなるのは困る。

「休憩室に琴似君専用のロッカーがあるから、そこに置いておけばいいよ」

「いつの間に?」

「ここに来てすぐに連行されない限りはその人専用のロッカーが休憩室に用意されることになっているのだそうですよ」

「そうなんだ。それじゃあとにかく靴を買ってこなきゃ……」

「待って。着替えもあったほうがいいよ。特に下着。汗かくから」

「タオルは休憩室に備え付けがあるから必要ないよ」

「今着ているものと着替えとはきちんと分けておいた方がいいですよ」

「そう?別に大丈夫じゃないかな」

「何言ってるの。ここで得た何をも持ち帰っちゃいけないルール、忘れたの?」

「ちゃんと覚えてますよ」

「危機感ないねぇ~。参考までに一つ話してやろう。電車が来て、乗り込んだのはいいけど、走者が走り出しても駅員は乗ってる人間を執拗に追いかけて来るんだよ。おかしいと思ったらそいつ、売店で買った靴下履いたまんまだったんだ。慌てて脱いだんだけど、結局そいつ、靴下無しで帰る羽目になったんだとさ」

「置いていったものは現実に戻っても、返ってこないんでしょうか?」

「前に一回だけ、ここに来るのが二回目だって人に会ったことがある。その人曰く、ここに置いてった物は現実に戻っても返ってこないそうだ。靴下置き去りにしたなら、現実に戻った電車の中で、さぞ恥ずかしいだろうな」

 朱里さんがニヤニヤしながら僕を見る。

「君、これ靴下だからまだセーフだけど、ぱんつとかだったらどうするの?先ず、ここのホームでぱんつ脱がなきゃいけないんだよ?帰ってからも家に着くまでノーパンでいなきゃいけないんだよ?」

 それはイヤだ。物凄くイヤ過ぎる。

「気をつけます」

「そうして。誰もアンタのストリップなんて見たくないし」

「さて、それじゃあ琴似、さっさと買出し行ってこい。その後休憩室に案内してやるから」

 結局ランニングシューズとジャージと下着をいっぺんに買った。やっぱり代償を払った後の、あの何とも言えない嫌な感覚には慣れない。いや、慣れない方がいいんだ。恐怖を持っているからこそ、無駄遣いはしないし出来ないから。


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