十五駅目
志乃ちゃんが帰って、福住を葬ってから暫くが経った。
あれから結局新しい人は現れず、僕と晶子さんと穂ちゃんの三人だけ。このままだと、誰かの電車が来たら、送り出すのも一苦労だろう。
僕が来てから暫くは電車が来なかったというのに、何故か最近やたらと電車が来るようになった。この駅は、どこか人を試している節がある、と僕は思う。
電車が来る間隔もそうだけれど、特に電車が出る時だ。あの発車警報音の長さ。本当にこちらが限界だと思ってから、ようやく鳴り止むのだ。あれもまた、人を試しているのだろう。
そして、僕の予想は最悪な形で的中した。
三人だけになった僕達は、朝は皆がソファーの部屋に集まってから待合室へ移動することになった。
今日も三人連れ立って待合室へと移動して、練習の前にこれからどうするかという話をしている最中に、鐘が鳴った。
バタバタと壁にはめ込まれた黒いプレートが回転し、時刻表を表示させていく。順番からいくと、次は晶子さんか穂ちゃんだろうと思い、自分の物は無いだろうとたかを括っていた。
けれど、発見してしまった。僕の乗る電車……。
「あ……」
「あった!」
僕が言い出す前に晶子さんが声をあげた。
「晶子さん、あったんですか?」
「あった!やった、帰れる!」
声を聞きつけた穂ちゃんがこちらへ来て時刻表を確認する。
「晶子さん、この丸の内線荻窪行きですか?」
「うん、そう」
そういえば、晶子さんとは乗る電車について話をしたことはなかった。
「あの……、琴似さんもこの電車ではありませんでしたっけ」
「はぁ!?」
二人の視線がこちらへ向く。
非常に言い難い。でも、言わなきゃ。
「……うん。僕もこの電車」
晶子さんが頭を抱えて座り込む。
「ちょっと、どーすんの、コレ?」
僕も、どうしたらいいかわかんない。
「とにかく、着替えてエレベーター前に集合しましょう」
そうだ。いそがなければ……。
「わかった。ギリギリまで各自、対策を考えよう。穂一人を頑張らせるわけにはいかないもんね」
「はい!」
慌てて着替えの為に休憩室へと駆け込む。
着替えながら、どうしたら穂ちゃんに負担を掛けずに駅員を撒いて無事帰れるか、そのことで頭がいっぱいだった。
今回僕と晶子さんのどちらもホームで走っても駅員からは一切関知されない以上、どちらかが残留して走るという選択肢は無い。駅員はホームに居る部外者を優先的に追いかけ、排除する。走者として走れるのは穂ちゃん一人だけ。とにかく、考えるんだ。きっと良い方法があるはずだ。
大階段の手前にエレベーターがある。ドアを開けて、売店で売っているコインを投入口に入れると動く仕組みになっている。待ち合わせ場所であるそのエレベーター前には、まだ誰の姿も無い。少し遅れてパタパタと足音がして、二人が到着した。
「ごめん、遅くなって」
「いえ、それよりも作戦なんですけど……」
エレベーターに乗り込みつつ、早々に作戦会議に入る。
「一つ考えたんですけど、電車に乗る時に端の車両に乗って、反対側の階段の所で穂ちゃんに待機してもらうんですよ」
「あ、それ、アウト」
最後まで言っていないんですけど……。
「私がホームに出たり入ったりすればってことですよね。それ、一度やってみたことがあるって朱里さんが言ってました。楽したかったから……だそうですが、結果駄目でした。二回は引っかかってくれますが、それ以降は無視されたんだそうです」
駅員もそこまで馬鹿ではないということか。それにしても朱里さん、本当に色々試したんだな。
「電車の連結のドア全部開けて、電車の中で走るっていうのはどうですか?」
「その手があったか。私と琴似君は一緒に走らなきゃいけないけど、その間穂は休憩出来るね。捕まっても私達は連行されるわけじゃないし……、うん、いいかも。その作戦、やってみよう」
方針が定まり、エレベーターを降りてホームへと向かう。
「穂ちゃん、絶対に無理はしちゃ駄目だよ」
責任感の強い穂ちゃんだからこそ、ここはキチンと釘をさしておく。
「そーだよ。私らは乗り損なったからって死ぬわけじゃないし、次を待てばいいんだから。気負わずにね。穂は駅員に連れて行かれたりしないように、そこだけは絶対に守ってね」
「はい」
返事はするものの、穂ちゃんの表情を見る限り、どこか不承不承といった様子だ。
この電車を見送るべきなんじゃないか?もし無理をされて転ばれでもしたら、助けられないかもしれない。それだけは絶対に避けたい。もしそうなったら……。
「あの、やっぱり今回は見送りませんか?ちょっと危険すぎます」
先に階段を上っていた二人がこちらを振り返る。
「ダメです!私なら大丈夫ですから」
「琴似君、とりあえずやってみよう。ダメだと思ったらその時点で止めればいいんだから」
そのダメだと思った時点で危険な状態になったら止めることすら難しいんじゃないか?
「私は何もやらずに諦めたくありません」
穂ちゃんは必死な顔で言う。こんな顔で言われたらもう、止めようとは言えない。
「わかった。やってみよう。その代わり、少しでも無理するようならすぐストップするからね」
「はい。よろしくおねがいします」
電車がホームに入ってきた。アナウンスが入った後、晶子さんは先頭車両に、僕は後部車両に乗り込んで中央までドアを開けながら進む。その隙に穂ちゃんが走って駅員を引きつける。全て開通したところで、先頭車両へ行って穂ちゃんが走り終わったと同時に駅員を引き付けてから後部車両へ向かって走る。
最初は上手くいっていた。けれど、実質二人でリレーをしているようなものだから、どうしてもすぐに走る順番は回ってきてしまう。
鳴り止まない発車警報音にイライラが募る。穂ちゃんもそろそろ限界が近い。どう見ても足取りが重たくなっている。
もうストップを掛けよう。
「晶子さん、もう無理です。見送りましょう」
「もうちょっとだよ……。あと一回だけ、ね?」
晶子さんが珍しく泣きそうな顔で懇願する。けれど、今回ばかりはその願いを聞き入れるわけにはいかない。
「わかりました。晶子さんはここに居てください」
僕はそれだけ言って、走っている穂ちゃんの背中を追う。そして、穂ちゃんの真横まで来た時、あってはならないことが起きた。
穂ちゃんを横目に見て走っていたが、その姿が突然消えた。ホームに出てみると、穂ちゃんは倒れていた。
不味い。駅員が迫ってきている。このままじゃ穂ちゃんが連行される。
どうする?どうすれば駅員を引きつけられる?
ふと、以前朱里さんとした会話を思い出した。
『駅員が追いかける優先順位は乗る人よりもホームに入ってくる走者、ってことでいいですか?』
『そう、それでいい。あとな、乗る奴がホームで走っても駅員は現れない。電車に乗り込んだら駅員が出てくる仕組みになってる。駅員の優先順位はさっきお前が言った通りだが、ホームで走ってる奴よりも優先されるものがある』
『ルール違反者だよ。ルールその5、覚えてるだろ?』
迷っている暇は無かった。すぐに穂ちゃんの所へ駆け寄って、彼女のポケットに無断で手を入れた。目当ての物は、そこにあった。
「借りるよ。早く逃げるんだ」
以前見た、見覚えのあるハンカチ。僕はそれを持って電車の中へ入る。
「おい、駅員!駅で得た物を持ってるぞ!捕まえられるもんならやってみろ!」
ドアの所で駅員に向かって挑発してから、全力で走る。駅員が物凄い勢いで僕を追いかけてくる。後ろを振り返りながら走る。まだ駅員と穂ちゃんの距離は近い。もう走れない穂ちゃんが立ち上がってホームから脱出するのを確認してから電車から出る算段だ。
穂ちゃんが階段の所に着いた。よし、電車から出よう。そう思った瞬間、あれほど鳴っていた発車警報音が止まった。
急いで降りようとするが、間に合わず、ドアに弾き返されてしまった。
……終わった。完全にアウトだ。
「琴似君!」
いつの間に来ていた晶子さんが泣きながら僕を呼ぶ。
何か言おうと思ったが、駅員が僕の身体に絡みついてくる。下を見ると、そこはもうぽっかりと丸く真っ黒になっている。
これから連行されるというのに、不思議と恐怖は感じなかった。穂ちゃんを守れたし、晶子さんを無事に帰すことができた達成感しか感じられない。
手に持っていたハンカチを、何処にも落としたりしないよう、そっとポケットにしまった。
「晶子さん、朱理さんと志乃ちゃんに伝えて下さい。最後まで頑張ったって。あと、穂ちゃんに、ごめん、て……」
言い終わらない内にそのまま真っ黒な穴の中へと引きずり込まれていった。




