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黄昏駅  作者: 青柳 蒼
10/21

九駅目

 円山の件から数日が経った。

 あれから特に何も起きず、平和といえば平和だ。嬉しいことなのだけれど、全く変化が無いこの状況は、あまり喜ばしいことではないと思う。


 志乃ちゃんのことだ。


 ずっと姿が見えず、たまに穂ちゃんや晶子さんに聞いてみるが、一応生存しているということ以外は全く掴めていない。



「あの……、志乃ちゃん、無事なんでしょうか?全然姿を見ていないので、ちょっと……」

 いつもの練習を終えて反省会も済んだ頃合を見計らって、僕は思い切って尋ねてみた。

「ああ、志乃なら大丈夫だよ。昨日も会ったし」

「そうなんですか?!」

「ああ。毎日会ってるぞ。志乃と特訓してるから」

 特訓て、何の?

「特訓、まだ続けていたんですね」

 穂ちゃんも知っているのか。

「練習終わって休憩室戻った後にね。経過は順調だ。もう少しで仕上げってとこかな」

 晶子さんはそれにうんうんと頷いている。知らないのは僕だけだったのか。

「ただなぁー……。意固地になってるのは相変わらずだ。アイツ、そこもちゃんと気付いて直さないと意味がないんだよな」

 朱里さんはため息交じりに言う。

「そーだね。特訓の成果が出せても、今のままじゃまた同じ事の繰り返しになりそうだもんね」

 どうやら特訓は、志乃ちゃんが現実へ戻った後の為のものの様だ。

 詳しく聞きたいけれど、遭えてそれがどんな物で何の為の物なのかを言わないのは、志乃ちゃんのプライベートに関わることで、とてもデリケートなことだからなのだろう。

 こういう時、少しだけ疎外感を感じる。どうしようもないことだとわかっている。それでも、いつか、話してもらえたら……。結局のところ、そんな話でもしてもらえるような、そんな人間に、僕がならないといけないんだよな。

 それなら、やはり今のままじゃ駄目だ。ただ待っているだけじゃなく、僕から動かなきゃ。交わした言葉の少ない状態で離れてしまって、お互いにそれ以上何の交流の無いままでは何も進みはしない。

今まで以上に周囲に気を配って、志乃ちゃんを探そう。そして、話をしよう。



 休憩室に入る直前、廊下のずっと先に志乃ちゃんが居るのが見えた。あのお婆さんも一緒だった。

 穂ちゃん達は僕を振り返る事無く女子部屋へと入って行ってしまった。

 一人で行動することにいささかの不安を覚えつつも、僕は志乃ちゃんを追いかけた。

 なるべく足音を立てないように早足で追いかけていくと、途中から話し声が聞こえてきた。どうも角を曲がった所で会話をしているようだ。

 会話がきちんと聴こえる辺りまでそっと歩を進める。ぼそぼそと話をしているらしく、内容が全く掴めないが、特に問題は無さそうだ。

 けれど、それが突然穏やかではなくなった。お婆さんが急にわめき出したのだ。

「お前、ほんとは知ってたんじゃな!?このウソツキめ!ずっとわしのこと騙してバカにしておったんじゃろ!」

「ちっ、違います!私はそんなつもりじゃ……」

「なんて女じゃ、この薄汚い雌狐め!若いくせに年寄りをたぶらかしてどうするつもりだったんじゃ、え?」

「誤解です。私はただお婆さんが心配で……」

「何が心配じゃ!嘘ばかり吐いて人を騙くらかして、その真っ黒な腹の中でわらっておったんじゃろうが!もういい。今度こそ吐いてもらうぞ。あらいざらい知ってることを全部吐いてもらうぞ!吐くまで離さんからな!」

 どうやら志乃ちゃんは来た年代を偽ったか、或いはまだ授業で教わっていないとか言ってお婆さんの質問を回避していたのだろう。それがうっかりばれてお婆さんは逆上したわけか。

 これは不味い。

「やっやめてください、離して!」

「何してるんですか!?」

 慌ててお婆さんと志乃ちゃんを引き離し、志乃ちゃんを背中に庇う。

「琴似さん……」

「邪魔をするでねえ!退かんか、この物知らず!お前なんかに用はねえ!」

「退きません。あなたが退いてください」

「年寄りに向かってなんて口のききかただい!?お前なんてはいはい言うこと聞いてりゃいいんだ!」

「あなたの言うことは聞けません。この子に未来の話をさせることも出来ません。何も聞かずに自分の時代に帰って下さい」

「ふざけるな!何故わしがあんなところに帰らなにゃならんのだ!?冗談じゃない!何も知らんくせに勝手なことを言うな!」

「勝手なことを言っているのはあなたの方じゃないですか。未来の話を聞けばどうなるか、話した方もどうなるか、あなたはご存知でしょう。あなたの身勝手にこの子を巻き込むつもりですか?」

「こんな雌狐一匹、どうなろうが知ったことか!いいからさっさと退かんかい!」

「冗談じゃない。死にたいなら一人で勝手に死んでください。若い、未来のある女の子を巻き添えにするなんて、それが年寄りのすることですか?」

「うるさい!お前には関係ないじゃろうが!」

「関係あります。この子は大事な仲間です。仲間を守るのは当然のことですから」

 勝手にこんなことを言って、志乃ちゃんが気を悪くしたかもしれない。確かに僕と志乃ちゃんは大して言葉を交わしたわけでも、長く一緒にいたわけでもないけれど、それでも、朱理さん達は彼女を大事に思っていて仲間だと思っている。僕が何も知らずに無神経に傷付けてしまったけれど、それならこれから分かり合っていけばいいし、分かり合っていける。これからいい関係を築けるはずの仲間を、ここで失うわけにはいかない。

「……琴似さん」

「志乃ちゃん、僕は君がどうしてお婆さんに対してきちんと接していたのか、今まで皆の話を聞いたりして、なんとなくわかったよ。志乃ちゃんはお婆さんに、自分の意志で帰ってその時代を強く生きて生を全うして欲しかったんだね」

「……はい」

「誰彼構わず聞いて回っていたら、その内誰かが口を滑らせるかもしれない。そうなればお婆さんは元の時代へは帰れなくなる。嘘を吐いてでも、それを阻止したかったんですよ。全てはお婆さん、あなたの為だった。この子はとても優しい子です。本当にあなたのことを心配していたんですよ。そんな子をあなたは道連れにしようとしているんですよ」

「よっ余計なお世話じゃ!わしはもう帰りたくないんじゃ!でも、何も知らんで死にたくない!」

「だからといって、この子を道連れにしていい理由にはなりませんよ」

「お前に何がわかる!?日に日に食べ物は減って不便になってく。夫は病死して、戦争に行った息子達も死んでしまった。東京で爆弾の雨を降らされて娘夫婦が生きてるのか死んでるのかももうわからん……。もう嫌じゃ!家族が死ぬのはもう嫌なんじゃ!安否なんて……、死んだ事なんて……もう知りたくない!誰があんなところに帰りたいもんか!ここに居れば安心して、腹いっぱい飯食って、誰にも邪魔されずにあったかい布団で眠れるんだ!」

「ここは、そんなに素敵な場所ですか?ただ時が止まった、生きる為だけの何も無い空しいこの場所が、そんなに素敵ですか?ルール違反さえしなければ、変な物さえ口にしなければ、恐らく永遠に歳を取ることも無く生き続けられるでしょう。でも、それだけですよ。友達も家族も居ないこの孤独な場所で、一人で生き続けることの何が素敵ですか?」

「少なくとも帰るよりマシじゃ!」

「戦争がいつ終わるのか、日本が勝つのか負けるのか、それを聞いたところであなたはそれを確かめることすら出来ない。それが日本にとって、あなたにとって、良いものになるのか今よりもっと悪いものになるのか、そんなものはその場に居てみなきゃわからないじゃないですか。ならその未来の話に一体何の価値があるんでしょうか?帰れないのならそんな未来は無いも同然です。それがあなたの望む未来だったにしろ、望まない未来だったにしろ、それをあなたは確かめることすらできないんですよ?」

「そっそれは……」

「先がどうなるか、それは自分の目で確かめなければ意味がないんです。今あなたが何を聞いても、あなたは満足なんか得られない。それどころか、ただ空しく死んでいくだけなんですよ」

「……それじゃあ、わしはどうしたらええんじゃ……」

「辛くても、自分の足でここから出て自分の時代に帰って、何があっても生き延びて、その先にある未来を自分の目で確かめるしかないんです。でなければ、あなたは何も納得できず、無駄死にするだけです。娘さん夫婦がもし生きていたらどうするんですか?こんなところで母親が無駄死にしたとわかったらどう思うか、そんなこともわからないわけじゃないでしょう」

「でも……でも……」

「娘さん夫婦が生きていたら会うことができるんですよ?今希望を捨ててしまうのは、娘さんに失礼なことだと思わないんですか?例え残念な結果だったとしても、亡骸を弔ってあげられる人はもう、あなたしか居ないのでしょう?」

「……」

「生きて下さい。どんなに辛くても。きっとお婆さんなら乗り越えていけます」

 志乃ちゃんがお婆さんの肩に優しく手を置く。お婆さんは志乃ちゃんに縋り付いて子供のようにわあわあと泣いた。



 廊下の奥の方からコツコツと足音が聞こえてきた。こちらに向かってきている。現れたのは見たことが無い中年男性だった。

 ヘラヘラ薄ら笑いを浮かべてブツブツと独り言を言いながら待合室の方へと歩いて行く。その手にはビール瓶が握られている。

 これは相手にしちゃいけない相手だ。

 間が悪いな。

 お婆さんは気付かずに泣いていて、志乃ちゃんも気付いた様子はなくお婆さんの背を撫でている。

すると、男性は立ち止まってこちらを見た。

「お、何だババア。うるせーぞ。汚ねえ泣き声あげやがって」

 本当に間が悪い。よく見ると、酔っ払っているのか顔が赤い。

 ようやく気付いた志乃ちゃんが声の主を見て嫌悪の表情を浮かべた。

 男性は結局それ以上は何も言わず先へと歩を進めた。

 ホッとした。このままここに居ては危険だ。二人をどこかに移動させなければ……。

 二人の腕を掴んで立たせ、小声で移動しようと促す。

「辛気臭えなぁ。酒が不味くなるだろぅがよ!」

 男性が振り返って怒鳴り始めた。

「志乃ちゃん、お婆さん、早く行きましょう」

「おいババア、ざまあねえなあ!どーせ日本は負けんだよ!原爆で広島や長崎なんざ木っ端微塵よ!うひゃはははっは」

 僕も志乃ちゃんも、皆が凍りつく。廊下に男性の嘲笑だけが響いた。

「お……お婆さん……」

 お婆さんは崩れるように膝を付いた。直後、『ぎゃっ』という声がして、ガラスが転がる音がしたが、そこに目を向けている余裕は無かった。

「そんな……そんなぁ……」

 お婆さんの周りの床がぽっかりと黒くなり、そこから白い手が無数に伸びて来た。

「お婆さん!」

 志乃ちゃんがお婆さんを助けようと手を伸ばす。

「志乃ちゃん、ダメだ!」

 とっさに志乃ちゃんの腕を掴んでお婆さんから引き離す。

「離してください!お婆さん、お婆さん!」

「……すまんかった……。ありがとうなぁ」

 無数の手がお婆さんをそのまま床の下へと引き込んでいった。

 男性の居た方を見ると、もうそこに彼の姿は無かった。薄暗い廊下の床に、ビール瓶だけが残っていた。

「そんな……、せっかくこれから……。お婆さん……」

 すすり泣く志乃ちゃんに、何て声をかけたらいいのかわからなかった。

 そっと志乃ちゃんの肩に手を置く。これだけは言うべきだろう。

「志乃ちゃん、ごめん。何も出来なくて、ごめん」

 志乃ちゃんは目元を拭って立ち上がると、ゆるく首を振った。

「いいえ……。お婆さんは、琴似さんの説得で帰る気持ちになってくれていました」

「それでも、結局こんなことになってしまった。最後までちゃんと出来なかった」

 怒鳴られてすぐに駅長を呼んでいたら、現状は変わっていたかもしれない。

「琴似さんが責任を感じることはありません。あの状況では駅長を呼んだとしても、きっと来てはいただけなかったでしょうから」

 志乃ちゃんの言う通りだ。怒鳴られた程度では駅長は来てくれない、そう思ったから呼べなかった。

「それでも僕は、何かしたかったんだ。僕のせいで志乃ちゃんとお婆さんを不快にさせてしまったから……」

「そんな……。琴似さんは来て日も浅くて、知らない事が多かったからこその失言で、それに腹を立てるのは筋違いでした。私の方こそ、酷いことを言ってすみませんでした」

「いいんだ。僕は本当に、気遣いの出来ない奴だから。さっきだって本当は何て声をかけたらいいかもわからなかったから」

 志乃ちゃんはもう一度首を振った。

「いいえ、琴似さん。琴似さんは、ちゃんと他人を気遣える優しい人です。私、勘違いしてました。琴似さんのこと、他人なんてどうでもいい冷たい人なんだと思ってました。でも、酷いことを言った私を仲間だと言ってくれて、助けてくれました。お婆さんのことも……。琴似さん、ありがとうございます」

 そう言って、深々と僕に頭を下げる志乃ちゃんに、少し申し訳なさを感じた。

 志乃ちゃんがお婆さんを助けたかったのをわかったからそれに協力したかっただけで、別にお婆さんのことは本当は、どうでも良かった。僕はどこまでも、自分と自分が大事にしたい人のことしか考えられない、冷たい人間なのだと思う。けれど、今それを言うのはやめよう。せっかくこれで志乃ちゃんが戻ってきてくれる。

「志乃ちゃん、みんなの所に戻ろう」

「はい」



 二人で休憩室の前まで行くと、そこには朱里さんと晶子さんがいた。志乃ちゃんが二人に駆け寄ると、朱里さんがこちらを指差して声をあげた。

「あ、志乃!どこ行ってたんだ?……って、琴似、お前まで何で一緒なんだ?」

 二人に先程あったことを話すと、晶子さんに軽く怒られた。

「琴似君、君ね、一人で行動するなってあれだけ言われてたでしょ?今回はたまたま大丈夫だったけど、何かあってからじゃ遅いんだよ」

 ……ごもっともです。

「晶子、まあそんな怒ってやるなよ。琴似だってそれくらいわかってるって。琴似なりに考えて行動したんだろ」

 朱里さんは何気なくそう言って、僕の頭をわしゃわしゃと撫でた。

 頬が熱くなるのを感じた。朱里さんは、きちんと僕の行動を理解して、褒めてくれてる。

 どうしよう……。物凄く、うれしい。

 こんな風に褒めてもらったのは初めてだ。

「んん?何だお前、泣いてんのか?」

 ぎょっとした様子で朱里さんが手を引っ込める。

「……いえ、泣いてません。あの……、こんな風に褒めてもらったのは初めてで……」

 朱里さんは、しばし目をぱちくりさせて、僕を見る。

「琴似さん、照れていらっしゃるんですね」

 微笑ましい、という様子で志乃ちゃんはニコニコしている。

 ぶはっと朱里さんは笑い出して、更に僕の頭をがしがしと撫でた。お陰で僕の髪はぐしゃぐしゃになった。

「そりゃ褒めるさ。お前、このままじゃイヤだって思ってたから、チャンスを見つけて行動したんだろ。結果、志乃と和解できた。お前、頑張ったよ」

「はい。ありがとうございます」

「よし、それじゃあ今日はもう休もうか。明日、穂も交えて情報交換しよう」

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