#4 過去の自分よ懺悔なさい。
「藤野………ろす?」
変な名前だ、と思ったが、自分の名前も十分に変わっている。声に出すのは慎んだ。
「そう!藤野でいいよ。君の事は何て呼んだらいい?」
女ーー藤野はにこにこと無邪気な笑みを浮かべて私を見上げている。
その顔を見ていると、案外普通の女の子なのかも、という考えが浮かぶ。
否、入水なんて言って自ら川に飛び込む女だ。普通である筈が無い。騙されてはいけない。
「蒼、でいいけど」
「じゃあ蒼ちゃんだね!よろしく!」
思わず毒気を抜かれる。
身長に見合った屈託のない笑顔だ。
愛らしい、とはこういう事を言うのだろう。
「へくしっ!」
それはさておき、そろそろ風呂に入ろう。寒い
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シャワーを浴びてシャツに着替え、戻った時、テレビを置いている台所兼リビングに藤野の姿はなかった。
「あれ?藤野?」
見回してもいない。まさか、と思いもう一つ、別の部屋に繋がる扉を開く。
六畳程の其処は、依頼人との面会用兼仕事部屋にしている部屋で、机を挟んで向かい合うように置かれたソファと、資料の詰まった背の低い棚、そして仕事専用の木製デスクが置かれている。
そのソファに座って、藤野は私が置いていた手帳を読んでいた。
「お前何やってんの!?」
慌てて藤野の手から手帳を引ったくる。
藤野から奪った黒い表紙のA6サイズの手帳は、簡単に言うと予定帳だ。
便利屋とは仕事が多いもので、メモを取っておかないとやる事やその順番を忘れてしまう。
この日は何時に起きて何をする、この時間に依頼人と会って、この時間に食事を摂る、など、手帳には大まかな予定が書き込まれている。
依って、見られて良い代物ではない。
「あー……取られちゃった。てか、蒼ちゃんってホントに便利屋なんだねぇ、予定ぎっしりじゃない」
「何さ、疑ってたの?」
「いや、そうじゃなくてさ」
藤野は私を見上げて言った。
「……ちょっとその仕事、やってみたいかも」
……は?
「だって面白そうだもん!私蒼ちゃんと一緒に便利屋やりたい!」
「断る」
目を輝かせている子供を裏切るのは心苦しいが、簡単に首を縦に振ってはやれない。
「なんで!?」
理由は決まっている。
「あのね、仕事に興味を持つのはいいけど、便利屋ってのは生半可な覚悟じゃ務まらない職業なんだよ。興味本位で首を突っ込まれちゃ困る」
常人では解決出来ないような危険な依頼も舞い込んで来るのだ。こんな子供に手伝わせる訳にはいかない。
「そんなぁ……」
残念そうに眉を下げる藤野の姿に罪悪感を覚える。だが、こればかりは譲れない。
「……じゃあ、蒼ちゃんは私を追い出す?」
ぽつり、と藤野が漏らした。
俯けた藤野の小さな頭の上で、ペンギン帽子もしゅんと項垂れて見えた。
「どういう事だ?」
違和感を感じて訊いてみると、藤野は小さな声で訥々と語り始めた。
「……私、今まで一人で旅してきてて……気が付いたらここに来てて………住む所もなくて、お金も流されちゃったし、頼れる人もいなくて」
「いや、お金が流されちゃったのはお前の所為だろう」
藤野は外見からして、十歳前後にしか見えない。この歳で、一人でここまで来たということか。一体どうして?まず、どうやって?
疑問は残る。
だが話は繋がった。
「つまり、行く宛も金もないから、ここに住ませろ、と?」
藤野は俯いたまま何も言わない。
困った事になった。
今の便利屋という仕事だけでは、子供を一人養うには足りないだろう。依頼で数日子供を預かることはあるが、その時は依頼人から前もって日数分の食費も含めて依頼料を受け取るから生活には大して影響が出ないのであって、この場合は食費を出してくれる依頼人などいない。
かと言って、そんな事知るかと放り出す訳にもいかない。
施設に預ける、という考えが浮かんだが、直ぐに頭の中で却下する事になった。藤野の色違いの瞳が原因になって気味悪がられたり、虐められたりしたら可哀想だ。
「……お前、幾つだ」
話を聞く限り、学校には行っていないようだ。
外見的に十歳から十二歳くらいに見える。もしその辺りの年齢なら、十三歳の春まで私が教育し、その後は知り合いの伝手やコネを使って寮のある中高一貫校に入学させる。
頭の中でざっと子育て計画を立てる。この位しか思いつかない。
「十八歳」
「そうか、十八………はあ!?」
待て。ちょっと待て。まさか私と同じだなんて。
「アンタ嘘ついてない!?本当に十八歳なの!?」
「うん。………悪かったわね身長小さいからよく間違えられるんだよ!」
「!?ご、ゴメン……」
怒られたので取り敢えず謝っておく。
だけど、十八歳か………とてもそうには見えない。身長といい、言動といい、十歳前後にしか思えない。
だが成程、十八歳なら一人で旅も出来るかもしれない。何故旅をしていたのかが気になるが、納得は出来る。
どうも藤野は、外見は幼いが、中身は少々子供じみているだけのれっきとした十八歳の女のようだ。
「お願いします!ここに置いて!何でもするから!」
ぱし、と手を合わせて懇願してくる藤野を見下ろす。
こいつもこいつで必死なのだ。
「……わかった。ここに住ませてやる。その代わり、内職なんかを見つけてきてあげるからしっかり働くこと。私の邪魔をしないこと。いいね?」
『目の前に困っている人間がいるなら見捨てるな』
師匠の教えだ。
「……本当に?」
藤野が不安げに見上げてくる。私は頷いた。
「勿論。私は自分の言ったことは守るからね」
安心させるように笑ってみる。藤野の瞳が見開かれる。そして………ガッツポーズでソファから飛び上がった。
「よっしゃああああ!作戦通り!さっすが蒼ちゃん!ありがとう!!」
え?
「いやね、前にいた場所で言われたの。『必死にお願いすれば大抵の人は聞いてくれるよ』って。試しにやってみたけど、効果抜群だからこれからも使うしかないね!」
待て、思考が追いつかない。
「ここに住ませてくれるんだよね?ありがとう、これで当面の食費と宿には困らないよ!」
勝ち誇った笑顔の藤野の頭の上で、心做しかペンギンも得意気に見えた。
「えーと、ちょっと待て」
整理しよう。
住む所も頼れる人もなく、金も失くし、路頭に迷って此処に辿り着いた藤野。
つまり
「お前っ……もしかして、さっきのアレ演技か!?」
「演技なんて人聞きの悪い。今言ったことは全部本当よ?ただ、お願いの仕方を工夫しただけのこと!」
自慢げに言うな!
つまり私は、藤野の渾身の『可哀想な無宿人』の演技にまんまと嵌められたという事だ。
「『言ったことは守る』んだよねぇ?ホンットに助かるよぉ。そうと決まったらホラ、寝よ寝よ!明日も仕事なんだよね?手帳に書いてあったもん!ホラホラ!私も一緒に寝るから!」
「は!?お前いきなり何言ってんの!?何で一緒に寝なきゃならないのさ!」
「いいじゃない、ほら、私に構ってるとどんどん寝る時間遅くなるよ?それでもいいの?」
ニヤリと悪人のような顔で藤野が笑う。
如何にも策士然とした人相の悪さだ。
こんな奴を愛らしいだとか可哀想だとか思った数分前の自分を殴り飛ばしてやりたい。
「明日の予定はぁ…………確か、放火魔の調査だっけ?楽しみ!」
「は!?お前、付いて来る気か!?」
「え、うん」
さも当然のように頷かれても困る。
「だって、蒼ちゃんが働けって言ってたかんねー、きっちり蒼ちゃんをサポートさせて貰います!」
「いや、駄目だってさっき言って…」
「あ、報酬はちゃんと山分けで!」
「いやだから」
「そうだ!帰りにヨーグリーナ買って欲しいなー!それからそれから……」
何だ、ヨーグリーナって。
否、そんな事よりも
「人の話を聞けええええええ!!」
こうして私の一日は、不法侵入の来訪者"藤野"への絶叫と共に終わりを告げた。