#3 お塩よりお砂糖だと思う。
私ーー如月蒼の仕事は、俗に言う"便利屋"だ。金銭次第で様々な依頼をこなすが、私が請け負う仕事は他の便利屋や、或いは探偵よりもその幅は広いと思う。
失せ物探しや浮気調査は序の口。内職の手伝いから身辺警護、果ては暴力を伴ったに駆り出されたりと、払われた金に応じてどんな変な依頼もこなし、それに見合う稼ぎを叩き出してきた。
そんな私が仕事の一環で荒事をこなしていく内に身につけた直感は、先刻助けたペンギンフードの女が今まで会った誰よりも危険な存在だと警告していた。
関わってはいけない。忘れなければいけない。
自分に言い聞かせ、私は女のいた川を振り返る事なく住宅街へと急いだ。
途中、気分転換に野良猫の溜まり場で猫と戯れてから自宅である三階建てのマンションの一室へと向かう。
三〇三の部屋番号と「如月」の文字が書かれた表札を確認し、ズボンのポケットから合鍵を取り出した。
名刺入れや自転車の鍵は河原に脱ぎ捨てた上着のポケットに入れていた為に今は手元にはない。でも、財布やマンションの部屋の鍵はズボンに入れていたので取り敢えず明日の生活に困ることは無い。
名刺と自転車の鍵に関しては別に無くても困りはしない。両方共作り直せばいい話だ。もし、運が良ければあの危険な女が交番に届けてくれているかもしれないし、明日は仕事の前に交番に立ち寄ろう。そう頭の中で計画を立てながら鍵を開け、扉を開いて玄関に入ったその時だ。
「おかえり!」
玄関に入れば、すぐに小さな台所と薄型のテレビが出迎える。
電源の入れられていないテレビの前でーーペンギンのフードを被り、青い左目と黄色い右目に眼鏡を掛けた女が親しげに右手を上げて笑っていた。
「う………うわあああああ!!?」
素っ頓狂な悲鳴を上げてしまう。本当に自分の声か、これ。
自分がびしょ濡れであることも忘れて尻餅をついてしまう。
意味がわからない。
理解が追いつかない。
何でこの女がここにいる。
「なになに、突然の私の訪問がそんなに嬉しかった?そうかーそうなのかー。でもそんなデカイ声だしたら近所迷惑よ?」
未だ腰を抜かしている私の顔を覗き込み、ペンギンフードの女はニヤニヤと容姿に似合わない下卑た笑みを浮かべる。
「お、お前なんで此処に!?てかなんで私の家知ってんのさ!?」
思わず声が荒くなる。が、女は特に悪びれる風でもなく「これ」と小さなカードを見せてきた。
「!これ……私の名刺!?」
放置していった上着の中に入れていた名刺。ありふれた型のそのカードには、如月蒼の名前と携帯番号、そして自宅のマンション周辺の簡単な地図が書かれている。なるほどこれを見たのか、と納得する。が、すぐに別の疑問が頭をもたげた。
「待て、じゃあなんで家の中にいるの!?」
「え?だって上着返さないとって思って」
「ありがとう!とっても助かったよ!ってそうじゃなくて!どうやって入ったのかって話だよ!」
これはこれ。それはそれ。
危うく感謝の念に覆い隠されそうになった疑念を持ち出す。が、女はさも当然のように言い放った。
「ああ、ピッキング」
「犯罪じゃんか!!」
何なんだ、こいつは。
「大丈夫?お塩舐める?」
「舐めないわ!てか人の台所の調味料勝手に漁るな!」
塩の小瓶を片手に蒼の肩を叩いた女の手を払い除けた時ーー女の服が濡れていない事に気付いた。
「ねえ、アンターー」
「ねえねえねえねえ!」
服は?と訊こうとしたが、女の勢いの良い声に遮られてしまう。
「うるさい、近所迷惑だよ。……で、何さ?」
半ば呆れたように返すと女は「君にだけは言われたくないけどね!」と前置いてから続けた。
「君、名前は?」
「アンタ名刺見なかったの!?」
「え、地図しか見てないよ?それしか興味なかったもん」
思わず頭を抱える。この女は、危ない匂いがするだけでなく、私とは何処かズレた人間らしい。
「……如月蒼。アンタは?」
それでも一応上着を拾ってくれた恩人ではあるので、名乗る序に相手の名前も訊いておく。
「キサラギ、ソウ?変わった名前ねー」
悪びれもなくけらけらと笑うと、女はようやく自分の名前を口にした。
「藤野ーー藤野ろす!よろしくね!」