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-71- 迷信

 井酒いざけは風呂を上がり、少し疲れがとれたな…と思いながら、寝室へ入った。そして、いつものようにクローゼットに入れてあるパジャマを着てベッドへもぐり込んだ。と、そのときである。まさかそんなことはないだろう・・と思われる事態が井酒のの当りで起きたのである。一匹の蜘蛛くもがスゥ~~っと天井てんじょうから糸を延ばし、井酒の目前まで下りてきたのだ。井酒の驚きは尋常じんじょうなものではなかった。それも当然で、寝室には蜘蛛など入る隙間すきまもなく、いったいどこから現れたんだ? と首をかしげたくなるような事態だったからである。

「ギャア~~~!」

 別に虫嫌いではなかったが、不測の事態に井酒は絶叫ぜっきょうしてベッドから飛び出していた。そのときふと、井酒の脳裏に、郷里の田舎で言われたことのある、言葉が浮かんだ。

『夜に蜘蛛を見たらな、悪いことが起きるぞ!』

 そんな馬鹿なことはないさ…と思いながら聞いていたことを思い出したのだ。井酒は迷信を信じるようなタイプの青年ではなかったから、いつしか忘れてしまった。転勤で上京してこのマンションに住み始めたのが二年前で、ようやく暮らしにも馴れた矢先だった。そこへ今夜のこの事態である。迷信を信じない井酒にも、不吉ふきつな感情が頭をかすめた。

 その次の日、いつものように会社で勤め、昼休みとなった。井酒は同じ課の中久保と行きつけの定食屋で、いつものように話しながら食べていた。

「俺のマンションに昨日きのうな、蜘蛛がいたんだよ…」

 井酒は昨夜の異常事態を中久保に語った。

「ふ~ん、そうか…でも、よかったじゃねえか。夜に蜘蛛を見りゃ、いいコトがあるって言うぞっ! 俺も見て、いいコトあったぜっ!」

 中久保は微笑ほほえみながら、最後の楽しみに取っておいたタレのついた肉団子をパクリ! と頬張ほおばった。

「ああ…」

 井酒は、そうなんだ…と思った。

 迷信とはそんなもので、別の結果になることも、実は、よくある。


                    完

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