銀の城
首都への帰還は、レリィ・フスカにとって渡りに船だった。
この機会を逃したら次はないかもしれない。
これまでは両親の消息や路銀の問題も含めて、なんだかんだと首都に出るきっかけがなかった。それがここに来て一挙に解決してしまった。
既に両親が五年前に亡くなっていたことが知れ、村に留まる理由もなくなった。
(……お墓も作ったし、もう十分だよね。村にはすぐ新しい用心棒が来るだろうし……)
謎の光探索の依頼を果たし、金貨二枚の報酬を得た。加えて、新たに用心棒の仕事を請け負い、路銀と当面の生活費を稼ぎながら首都に向かうことができるのだ。
――自分は何と幸運なのだろうか。
そう思うと、自然と笑みがこぼれてしまう。
「ご機嫌だな。そんなに街並みが珍しいか? まだ首都にも着いていないというのに」
流れていく街並みを眺め、思索に耽っていたところ、すぐ隣から発せられた低い声音に意識を引き戻された。揺れる馬車の中、対面する席には一人の青年が座っている。
再び窓の外に視線を戻すと、馬車は街中を抜けて首都へと続く街道に入っていた。視界いっぱいに広がるのは黄金色の草原。
外を眺めるのを止めて、レリィは目の前の青年に向き直った。
「首都近くの街だけあって発展しているんだな……って思って。この街に来たのは三年前に一度だけ。その頃と比べても、随分と街の様子が変わっているから驚いたんだ」
「確かに……ここ数年で、この街も規模を拡大したな。街道に沿って発展させているようだから、ゆくゆくはこの街と首都が融合することもあるかもしれん」
「はは! まさかぁ……。クレスってば、あたしが田舎者だから本気にすると思っているんでしょ?」
「気安く俺の名前を呼ぶな」
青年、クレストフ・フォン・ベルヌウェレは不愉快そうに眉をしかめた。
雇い主である彼は、首都では有名な一級術士なのだと言う。その実力は実際に目にしているのだが、こうして話をしている限りでは、刺々しい性格から気難しい青年という印象しか感じ取ることはできない。
「ねえ、それよりもさ、首都って常に暗がりに沈んでいるって本当?」
「ん? ……ああ。俗に『暗闇都市』と呼ばれているのも、上空に滞留する分厚い雲に阻まれて陽の光が差さないからだ。全くの暗闇でもないが、首都全域が常に曇天で薄暗くなっているから、昼間でも街灯が点けられている……」
クレスは説明も面倒臭そうに欠伸をしながら、ついには目蓋を閉じて寝入ってしまう。突っ張っていた頬や眉間の筋肉も弛緩し、あどけない顔で静かに寝息を立て始める。
「こうして見てると少しは可愛気もあるんだけど……」
寝顔を覗き込みながら、ふと彼の年齢は幾つなのか気になった。
出会ってからずっと自分より年下だと思っていたが、一級術士であることを考えればそれほど若年とも思えなかった。
(……結構、年いってるのかな。やけに老成した考え方してるし……)
術士の中には自らの術式で肉体を若返らせる者もいると聞く。
窓からの風に揺れるクレスの前髪を人差し指で掬い上げ、その顔をまじまじと観察した。ひょっとしたら彼もその例に当てはまるかもしれない――と、考えたが、すぐに違うと思い直した。
(……そんなわけないか。初めて会った時も、人見知りする子供みたいだったし。そう、君はきっと勉強ばかりして頭でっかちになった子供なんだよね……)
クレスの髪を一頻り弄った後、頬杖を突いて窓の外に目を向ける。
外の風景が変わり映えのしない草原ばかりでは、村から出てきたばかりで見るもの全てが新鮮なレリィであってもいい加減に飽きてしまう。
これから丸一日、首都までの道のりは長い。賢いのはクレスのように早々と寝てしまうことだろうが、期待と不安で胸が一杯のレリィはとても寝付ける状態ではなかった。
「そもそもクレスが起きていれば、一人で暇になることもなかったのに……」
どうせなら首都の事を詳しく聞いておきたかった。実際、今日まで首都への憧れはあったものの、具体的に首都には何があるのか全く知らなかったのだ。
「本当、君はケチケチ魔王だよ」
「誰がケチケチ大魔王だ」
驚きのあまり椅子からずり落ちてしまった。
いきなり抗議の声を上げたクレスだったが、特に目を覚ました気配はなく、今も静かに寝息を立てている。
「……ね、寝言? でも、あたしの声に反応したような……」
冷や汗を垂らしながらクレスの寝顔を覗き込む。
「おーい。ケチケチ君~」
「…………」
小さな声で話しかけてみたが、その後クレスが反応することはなかった。
空の色が暗くなってきた。
その事に気がついたのは、うたた寝から目を覚ました時、正午を回った頃だった。
陽の光が雲に遮られているとは言っても、昼間は予想していたよりも明るい。クレスが言っていた通り、単純に曇り空と言うのが的確なのだろう。
真っ先に眠り込んでいたクレスは既に起きていて、馬車に備え付けの机の上で手持ちの結晶を広げていた。その中には、遺跡の怪物を封じた結晶も混じっていた。
「もう、首都が近いの?」
「まだ行程の三分の一だ。ただ、この辺りはもう陽の光が差さない地域に入っている」
クレスは結晶の内部を片眼鏡の拡大鏡で覗き込みながら、こちらの質問に答えた。
外を見ると、黄金色の草原は灰色の大地へと変わっていた。これだけ陽の光が遮られていては、植物もほとんど育たないのだろう。
「こんな天気がずっと続くんじゃ、作物なんて育たないね……。食糧はどうしてるの?」
「田舎じゃないんだ。都市近郊では地下農場を作って、人工的な光栽培で穀物類を育てている。ついでに家畜の飼育も、な」
田舎、と一々強調するのは気に障ったが、クレスは話しかければ無視せずに答えを返してくれた。もしかすると彼も暇を持て余して、結晶弄りなど始めたのではないだろうか。
案の定、結晶弄りにも飽きたのか、何度か話しかけているとクレスは広げていた結晶を全て片付けてしまった。
首都までの長い道中、クレスは質問に対して、一つ一つ詳しい説明と自分自身の見解まで加えて答えていた。やはり、相当に暇だったのだろう。クレスは自分の知識と持論を披露できて満足気な様子だった。
気がつけば夕刻となり、辺りが真の闇に包まれる。その頃にはもう、二人を乗せた馬車は首都の入り口にまで差し掛かっていた。
――暗闇都市。
その名の不吉な響きとは裏腹に、闇に浮かぶ街の光は幻想的で、全体に落ち着いた雰囲気が漂っていた。
ガス灯の柔らかな橙色の光と魔導ランプの凛とした青い光が交互に道を照らし、暗がりを行き交う人々の姿を遠慮がちに浮かび上がらせている。茫洋とした闇の中では、道行く人がどれだけいるのか見当もつかなかった。
馬車は立ち並ぶ街灯を頼りに街中を進み、色鮮やかな光が浮かぶ繁華街を通り抜けていった。やがて喧騒の薄れる市街地へと入り込み、街灯の明かりが魔導ランプの青一色に変わっていく。
闇はより深く、魔導ランプの明かりだけが静かに進むべき道を示す。レリィは言い知れぬ不安を覚え、馬車の中に目を戻した。この街はあまりにも暗く、自分が突然一人になってしまったように錯覚したのだ。
車内に明かりはなく、前の席に座るクレスの顔は窓から差し込む光でどうにか視認できるといった程度。クレスは変わらず仏頂面であったが、それでも誰かがすぐ近くにいることには安心を覚えた。
「もうすぐ到着だ」
クレスはレリィと目が合うと、端的に旅の終わりを告げた。
首都までの用心棒、それが二人の交わした契約だ。彼の自宅へ到着し、賃金を受け取れば契約は完了する。そうしたら、二人の間に接点はなくなる。
再び不安と寂しさの入り混じった感情が湧きあがる。だがその一方で、首都に対する憧れの念も強く、別れの郷愁と早く繁華街へと飛び出したい気持ちとで急に胸が一杯になってしまった。
「……どうした? 馬車酔いか?」
お腹の辺りのむず痒さを抑えきれず俯いてしまったレリィに、クレスは見当外れの心配をする。
「吐くなら、到着後に外で済ませろ。馬車の中でやられたら臭いに耐えられない」
もとい、クレスは自分の身の心配をしていたようだ。
彼らしいと言えば彼らしい態度に別れの哀愁も吹き飛んだ。
「平気だよ! ただ、早く首都の繁華街を見物したいなって思っていただけ!」
「そうか、ならいい。…………。ん……到着したようだ」
馬車が停止して、馬を操っていた御者が車の扉を開けてくれる。クレスはレリィに先に降りるよう促し、自分はゆっくりと外套を羽織っていた。
馬車から降りて顔を上げると、目の前には大きな建物があった。
「銀のお城……」
思わず口に出た言葉は、まさにその建物を言い表すのに相応しい言葉だった。
銀色の槍が柵となり、広い庭園を大きく取り囲む。その中心には城のような建造物があり、外観は銀と白亜の石造り、それが庭園から放たれる白い光を反射して輝いていた。
「すごい豪華な建物……貴族でも住んでいるのかな……」
庭園には巨大な水晶が幾つも生えており、そこから白い光が放射されている。
「水晶……生えてる……まさか――」
息を呑んだレリィの脇を通り過ぎて、クレスは何の躊躇いもなく銀の城へと向かって歩き出す。侵入者を拒む強固な門扉も、クレスが扉に付いた黄金色の球体に手をかざすと、重々しい音を立てて開き、彼を内へと招き入れる。
「ここが……」
そこが、第一級の結晶術士、クレストフ・フォン・ベルヌウェレの邸宅であった。
銀の装飾で輝く邸宅は、その華美な外観に負けず劣らず内装も派手だった。
大理石の柱に、水晶のシャンデリア、床はただの石畳と思いきや所々に宝石がちりばめられていたりする。
「うっはぁ~……」
ただただ、開いた口が塞がらなかった。
世の中に金持ちという人種がいると言う話は、山奥の村でも聞いたことがある。
曰く、金持ちは新しく作った服を着て、毎日のようにパーティーに出席し、一度着た服は二度と着ることがない。
曰く、金持ちは美味しい食べ物をお腹一杯食べた後、もっと美味しい料理を食べる為に、最初に食べた物を一度吐き出して空腹にしてからまた食べる。
曰く、金持ちはとにかく大きな家を構えるので、あまりにも多い部屋数の為、一生涯使うことのない部屋が存在する。
そのどれもがレリィにとっては信じ難い話だったが、現実として目の前に広がっている光景は、いずれの想像をも絶していた。ここはひょっとして御伽噺に出てくる黄金郷なのではなかろうか。
クレスの邸宅に圧倒されっぱなしのレリィは、応接室まで通されてようやく我を取り戻した。そこは大理石の床に、紅い絨毯の敷かれた部屋だった。
「ここで少し待っていろ」
応接室まで案内すると、クレスは一人、部屋を出て行ってしまう。
残されたレリィは、とりあえず部屋に置いてあった革張りのソファに腰掛ける。応接室には上質な木材で作られた艶のある机が置いてある他は、明かりを提供するのに丁度良い控えめな大きさのシャンデリアが天井からぶら下がっているだけだった。
それでも充分に豪華であったが、玄関の装飾に比べれば落ち着いた雰囲気である。無論、この邸宅の主であるクレス本人は、華美な装飾について全く頓着することなく、日常の背景としてしか見ていないようだった。
「住む世界が違うって、こういうことなんだなぁ~……」
革張りのソファに腰掛け、すべすべの机を撫でながらシャンデリアを眺めていると、妙に納得してしまう。
そうこうしている内に、クレスが皮袋を一つ持って戻ってくる。それが、報酬の銀貨三〇枚であると予想して、自然にレリィの喉はごくりと音を鳴らしていた。
机の上に皮袋が置かれると、中からは金属と金属のぶつかり合う音が聞こえてきた。
「報酬の銀貨三〇枚だ。中身を確認してくれ」
おそるおそる皮袋を手に取り、中を確かめる。たった今磨き上げられたような輝かしい銀貨が、袋の中いっぱいに詰められていた。それを一枚一枚取り出して枚数を確認する。
銀貨三〇枚、確かにある。
これほどの大金を見たのは生まれて初めてだ。実際のところ、つい最近まで実物の金貨も見たことはなかった。それがクレスという一級術士と関わって数日、本物の金貨と大量の銀貨を目の当たりにすることになった。
(……やっぱり首都はお金の動き方が違う)
ひょっとしたら、首都でもクレスだけが特別なのかも知れない、と思ったが、彼は金持ちであっても浪費家ではなかった。屋敷の豪華さも言い換えれば固定の資産であり、無駄遣いで消えてしまったわけではない。つまりこれが首都における相場なのだ。
「銀貨三〇枚、確認したよ」
「では、お前の仕事はここまでだ。後は街に出て好きにするといい」
それだけ言うとクレスは紙切れを一枚、手渡して立ち去ろうとする。
「なにこれ?」
「地図だ。街の案内所の位置を記してある。宿を探すのも、仕事を探すのも、そこが基点になる。有効に使え」
質問に振り向きもせずに応える。部屋から出て行ってしまったクレスを慌てて追って、その背中にレリィは声をかけた。
「ありがとう! お世話になったよ!」
クレスはそれでも振り向かず、早く行けと言わんばかりに手を振っていた。