囲う獣
――語り部のリラート『宝石の丘の冒険譚・第五節』――
行くは地獄の参道、毒蟲地獄
緑茂りし樹海の中は、多種多様の毒虫、這いずり回る
毒蜘蛛、毒蛾、猛毒毛虫
猛毒毛針に全身刺され、傭兵達が狂い死ぬ
蜘蛛に噛まれた騎士セイリス、手の甲、腫らしてうずくまる
森の奥より現れた、畜食宝石蜂も狩りをする
グレミー獣爪兵団の馬人ボーズ
無数の蜂にたかられて、毒針受けて即死する
多大な犠牲を払いつつ、呪術でもって毒虫払い、つわもの達は突き進む
セドリックとの一件があった翌朝、俺とレリィはカナリス魔導技術連盟の新支部へと向かっていた。ミルトン支部長が直接、食事をしながら話をしたいとのことで、朝食はあえて抜いて来ている。
郊外に近い位置にある宿を出て、街の中心部へと歩きながらカナリスの町並みを見渡す。まだ早朝ということもあって露店は準備中、通りを行き交う人の姿もまばらだ。
それだけに、動く人影というのはどうしても目立ってしまうもの。
俺とレリィしかり、それ以外の人影もまた。
「尾行されているな」
「あー、やっぱりそう? 宿を出たときからだよね」
レリィも気がついていたのか、特に周囲を見回すような迂闊な真似もせず、俺と並んでのんびり歩いている。
周囲の状況をより正確に探るため、右耳につけた魚眼石の耳飾りを指でつまみ、魔導回路に意識を集中してから術式発動の楔の名を呟く。
(――見透かせ――)
『魚の広角眼……』
術式の効果を定める思考制御と、発動の合図となる発声制御の二段工程を経て術式が発動する。
途端に視界が全方位へと拡大して、前方だけでなく横手も背後も視界に収まるようになる。拡がった視界のうちに、建物の陰に隠れながら不自然な動きをする数名の人影が捉えられる。
尾行はあまり得意でもないのか、こちらを必要以上に警戒しながら後をつけて来ている。
「ずっと付いて来られても面倒だ。釣り出すぞ」
尾行者が何者で何の目的があるのか知らないが、警戒したまま街を行くのも煩わしい。それに俺達が連盟の新支部に行くのかどうかを一つの情報として得ようとしているのなら、みすみす情報を与えて帰すのも気に食わない。後ろめたいことがあるのは向こうであろうから、捕まえて白状させるのに多少の乱暴は許容範囲だ。
「わざわざ相手を刺激することもないと思うけど……」
相変わらずレリィの考えは甘いが、俺の方針には素直に従うつもりのようで、何も言わなくても大通りから細い路地裏へと足を向かわせる。
血の気の多い連中なら何もせずとも襲い掛かってくるかもしれない。そうでなければ逆にこちらから、回りこんで距離を詰めて捕まえる。
幸というべきか、尾行者達は大人しく後を付いてくるだけのつもりはなかったらしく、二手に分かれて路地の前後を挟みこむように移動し始めた。
「どうやら仕掛けてくるつもりだな。大した連中じゃないとは思うが一応、警戒はしておけよ」
「言われなくても油断なんてしないから、大丈夫」
気のない返事をするレリィだが、軽いのは表面的な態度だけで既に体はどのようにでも動けるように身構えていた。
賑わいのある大通りと比べ路地裏はほこり臭く、流れる水路も生活排水で汚れ泡立っている。
華やかで美しい運河の都市の、表には見えにくい一面である。
そしてそんな淀んだ場に集まってくるのも、社会の表舞台から爪弾きにされた連中なのかもしれない。
煉瓦造りの家屋が続く細い路地、前方に二人、後方に三人。俺が前に出て、レリィが背中合わせに後ろを警戒して立つ。
現れたのは歳の若そうな狼人達。どいつもこいつも毛並みに変な剃り込みを入れていて、ガラが悪いことこの上ない。
「ミルトン支部長に新しく雇われた奴だな?」
俺の目の前にいた狼人の片割れが口を開く。とりあえずこちらの立場はわかった上での行動か。
「お前達、旧支部の回し者か? 随分と行動が早いな、感心したぞ」
「ああ? 感心している場合かよ。てめえ、自分の立場わかって言ってんのか?」
いかにも三流悪役の吐きそうな台詞を言い放ち、若い狼人は大きく裂けた口で笑った。
「獣人五人で女の子を囲むって、ちょっと恥ずかしい光景だと思うよ、君達」
護衛の任務に向かうということで、今日のレリィは胴着の上に軽銀の胸当てを付け、長い柄を生やした六角錐柱の水晶棍を肩に担いでいる。
余裕の構えを見せるレリィに対して、狼人は唾を地面に吐き捨て鼻に皺を寄せてうなった。
「うるせえ、女だからって容赦しねえぞ。その男とつるんでるんだ。てめえも同類だろ」
五人の狼人達は前後から徐々に包囲を狭めてくる。先ほどから話をしていた一人の狼人が一歩前へと出る。その手には刃の錆びた粗末な三日月刀が握られていた。
「この街に来たのが、てめえの運の尽きだ!! 死ねぇ!!」
殺意剥き出しで襲いかかってくる狼人。問答無用で向こうから襲ってきたのだから反撃も正当化されるだろう。
勢いのままに飛びかかってきた狼人の腕をすり抜け、身を屈めて相手の懐へと潜り込む。相手からすれば目の前の目標が突然消えたように見えたはずだ。動揺が生じたその瞬間に狼人の胸板を、握りしめた拳で下から強く打ち上げる。
指にはごつい宝石の嵌った指輪をしてあるので、本気で殴りつければ骨を砕くことも容易い。もちろん、手加減なしの本気で殴りつけてやった。
「ごはぁっ!?」
胸骨を打ち砕かれた狼人が血反吐をまき散らしながら吹き飛び、固い地面へ仰向けに倒れこむ。この程度は術式を使うまでもない。
倒れた狼人は骨が内臓を傷つけたのか、咳込むたびに吐血して苦しげにのた打ち回っている。
「野郎!?」「舐めたまねしやがって!!」
残りの狼人達は一筋縄ではいかないと見て取ったようで、それぞれ腰に下げていた剣や棍棒を手にとって構える。
さすがに武器を持った複数人を相手に、素手で捌くのは危険性が高いか。
「レリィ、後ろの三人は任せる」
「えぇ!? この状況であたしに三人も任せるって、ひどくない!?」
仲間を一人、手酷く打ち倒されて狼人達はいきり立っている。俺の目の前にいる狼人は、悶え苦しむ仲間を見てこちらに襲い掛かるのを躊躇している。だが、後ろの三人はまだ実力の差がわかっていないのか、無謀にもレリィを相手にたった三人で襲い掛かろうとしている。
(……なにがひどいものか。この程度の相手なら三人どころか、十人だって捌けるだろうに)
殺気立つ狼人三人を前にして余裕の立ち姿を見せるレリィ。八つ結にされた髪の一房を解き、深緑色の長い髪が宙に舞う。
途端に、髪留めを解かれた髪が翠色の光に染まった。立ち昇る光の帯、それはレリィの発する闘気だ。
彼女は通常の騎士とは違って、自然に存在する周囲の魔導因子を髪の毛の一本一本に取り込み、貯蔵したそれを体内で闘気に変換している。まるで武闘術士のようだが、術士は魔導因子を魔力に変換して術式を発動することはできても、純然たる騎士の闘気と同じものを生み出すことはできない。
普通の術士や騎士とは違う、レリィ特有の魔導回路が彼女の体内には刻まれているのだ。
「あまり油断するのもよくないけど、一房も解けば十分かな?」
レリィの全身に闘気がみなぎり、握りしめた水晶棍が翠の光に包まれる。
八つに分けた力の一つ、そのたった一つだけでも並みの人間を圧倒する気配が放たれている。
「う……うがぁあああっ!!」
恐怖か、焦燥か、冷静ではいられなくなった狼人の一人が棍棒を振りかざし、レリィへと襲い掛かっていく。
一人が動いたことで、釣られた二人の狼人も剣を構えて走り出す。
だが、彼らが動き始めたときには既にレリィが一歩踏み込んでいた。棍棒を持った狼人の脇まで瞬時に肉薄し、片手で振った水晶棍の一撃で背中から殴り上げる。
高々と狼人の体が宙を舞う。
後に続いた二人の狼人は宙を舞う仲間を見上げ、その僅かな隙にレリィの水晶棍で腹を突かれ吹き飛び、肩を殴りつけられ地面に倒れ伏した。
五人いた狼人は、これで四人が戦闘不能になった。
残る一人は俺の目前で間抜けにも大口を開けて唖然としている。あまりにも圧倒的な実力差に理解が追いついていないのだろう。
「さて、残るはお前一人となったわけだが……」
「うわああぁっ!? ば、化け物ー!!」
かなり失礼な発言と共に脱兎の如く逃げ去る狼人。
路地を飛び出そうとしたところで、行く手を塞いだのは一人の虎人。
「どけぇっ!! 邪魔だっ!!」
短剣を振るって威嚇する狼人に、虎人は半歩斜めに体を引いて道を譲ってやる。狼人は大慌てで大通りへと飛び出そうとする。
……と、虎人はその後ろ首を引っ掴んで引き倒し、顎に拳の重い一撃を食らわせた。逃がすとみせて、隙の出たところに強烈な一撃を入れるとは、なかなか荒事というものをわかっている動きだ。
気絶した狼人の襟首を掴んで引きずりながら、虎人が俺達の前まで悠然と歩いてくる。
「迎えに来てみりゃぁ、初日からご苦労なこったな」
のしのしとでかい図体で路地裏を窮屈そうにしながらやってきたのは、先日の昼に食事処で出会った虎人のティガであった。
見事に倒れ伏した狼人達を一人残らず掴み上げて肩へと担ぐ。なるほど、この怪力は確かにレリィといい勝負かもしれない。あくまでも酒の抜けた素面で、レリィが闘気を使わない条件での話だが。
「こいつらは街じゃあ有名なゴロツキ連中だな。大方、旧支部の連中に金でも掴まされて、殺し屋紛いの仕事を引き受けたんだろう」
「わかりやすいほどの屑だな。それで、こいつらを担ぎ上げてどうするつもりだ? 俺達を殺す気で襲ってきた奴らだ。後々、面倒になるくらいなら止めを刺しておいた方が良いと思うがな」
「クレス、それはいくらなんでも乱暴だよ。もう全員、抗う気力も体力も残ってないんだから」
容赦のない俺の発言にレリィが口を出してくる。危機も感じない程度の相手だったとはいえ、やはりレリィの判断は甘い。
「へ……屑は死んで当然ってか。その割り切った考えは嫌いじゃねえがよ、こいつらは街の自警団に預ける。一応、背後関係も確認する必要があるからな」
ティガは見た目によらず慎重な判断をする。先日の昼飯時は酒に酔っていたから言動が荒かったのかもしれない。
「迎えに来ておいてなんだがよ。連盟支部には、あんたらだけで向かってくれ。俺はこいつらを運んでおくわ」
「元々、連盟には自分達だけで向かうつもりだったから問題ないな」
「そうかよ。セドリックの兄貴によろしく伝えておいてくれ」
「自警団に行った足でまた酒でも飲みに行くのか?」
「うるせえ。帰りがけに昼飯ぐらい食って帰って何が悪いってんだ。酒はついでの飲み物だろうが」
悪びれもせず開き直るティガに俺は特に何の思いも抱かなかったが、レリィは仕事をサボるティガに冷たい視線を送る。
「ふーん、それじゃセドリックにはティガがまたサボっているって、伝えておくからね」
「あ、馬鹿野郎! なんでそうなるんだよ! 畜生、すぐに戻るから余計なこと言うんじゃねぇぞ!」
去り際に罵声を上げながら、ティガは狼人達を自警団の詰め所まで担いでいった。
「……さて、無駄な時間を取られたが俺達は予定通り連盟支部に向かうとしよう」
「今回のお仕事、物騒な感じがして気が進まなくなってきたなぁ……」
仕事を受けると言ったのは自分である手前、レリィの言葉には同意できなかったが、俺もまたこの仕事の先行きには嫌な予感を抱いていた。