第五幕 其の三
其の三
霊廟には、死体だけが残った。
灰色の空間を、静寂が包んでいる。
しかしやがて、空の支配を月が太陽に譲り渡そうとするころに、静寂は破られることとなった。
エスカラス大公とロレンツ神父が、キャピュレットの当主とその部下たちをつれ霊廟へと踏み込んでくる。
その惨状を見た瞬間に、悲鳴と怒号が沸き起こり、絶望と悲嘆が交錯した。
明かりがつけられ、また朝日も差し込み、灰色の世界に色が戻ってくる。
キャピュレットのおとこたちは忙しく立ち回り、事後処理に勤しむ。
やがて、モンタギューの当主も呼び出され、その場へ配下のおとこたちを引き連れて現れる。
繰り返される、絶望。
繰り返される、哀しみ。
霊廟は、騒然としていた。
夜の間は、時間が凍り付いていたというのに、今それは溶け濁流となって過ぎてゆく。
その慌ただしいひとの群れの中で、ロレンツ神父だけがひとり立ち竦んでいた。
その顔は蒼白であり、流れる涙を拭おうともせず。
神父の回りだけは夜の空気が残っており、そこだけ時間が澱んでいる。
ロレンツ神父はただひとり、じっとロミオとジュリエットの死体を見つめていた。
やがて、神父は誰に向けてという訳でもなく、言葉を紡ぎはじめる。
「わたしは、愚か者でした」
それは、囁くようなけれど不思議と響き渡る声であった。
「それは、ロミオ、それにジュリエットあなたたちの愚かさを、読み取れなかったことです。あなたたちの愛は、ひとを愚かさに導く」
ロレンツ神父は、悲しげに首を振る。
「いや、それとも」
神父は、固く抱き合った恋人達の亡骸を、少し眩しげに見つめながら言葉を重ねる。
「そもそもひとは愚かなものであり、もしかすると愛こそが、ひとの本来の姿を剥き出しにするものなのかもしれない」
「愛は、愚かだと」
突然後ろから声をかけられ、ロレンツ神父は振り替える。
そこには、エスカラスが立っていた。
夜のように暗い、闇をその身に纏って。
「そんなことは、知っている。うんざりするほどにな。それを利用し出し抜こうとして、このざまだ。おれは、愛に復讐されたのかもしれぬ」
「大公」
神父は、少し笑みを投げ掛ける。
エスカラスは、それを無視して独り言のように、言葉を重ねた。
「おれは、爵位を金で買ったがゆえに、大公などと呼ばせているが、元はシシリーの下街の生まれだ」
ロレンツ神父は、驚いたようにエスカラスを見る。
エスカラスはより深く、自分の物思いに沈んでゆく。
「気がついたときには、おれは抗争の中にいた。生き延びるために、数えきれぬほど殺してきた。ローマで、ニューヨークで、リオで、サンパウロで、そしてこのヴェローナ・ビーチで」
神父は、黙ってエスカラスを見つめている。
エスカラスは、そんな神父に自嘲めいた笑みをみせた。
「その結果どうだ。妻は殺され、息子たちを殺され、兄弟を殺され、友を殺された。残ったものといえば、全身につけられた拷問の傷跡だけだ」
エスカラスは、喉の奥で笑う。
「そうまでしてたどり着いたのが、この愚か者たちの死体のある場所だというのか。もういい、おれはもう厭きた」
ロレンツ神父が、静かに問いかける。
「どうされるつもりですか?」
エスカラスは、歪んだ笑みを浮かべる。
「これから、司法に出頭して、洗いざらいぶちまけてやるさ」
ロレンツ神父の目が驚愕に見開かれ、震える声で問うた。
「あなたは、三世紀は続いたコーサ・ノストラの、沈黙の掟を破るおつもりか」
エスカラスは、どうでもいい、といったふうに肩を竦める。
「厭きたんだよ。あれにもこれにもな」
それだけ言うと、身を翻し出口へと向かう。
神父は、その背中に言葉を投げる。
「幸運を、祈ります」
エスカラスは、足を止め振り返った。
苦笑を浮かべながら、言う。
「おいおい、あんたは神父だぞ。そこは主のお導きをとかそういう」
ロレンツ神父は、首を振った。
「わたしはひとりの友として、あなたを送りたかった」
エスカラスは、苦笑をさらに深め、再び身を翻すと歩き出す。
そして、出口の近くにきたところで足を止めると振りかえる。
エスカラスは、大声で叫んだ。
「キャピュレット、モンタギュー、おまえたち、よく聞け」
エスカラスの老いた獣が吠えるような声が響きわたり、霊廟は再び静まりかえった。
「おれはもう、コークのビジネスから手を引く。だからおまえたちもこの街では、コークを扱えなくなる。これは助言だ。もうこのビジネスから手をひけ」
蒼ざめた顔のキャピュレット当主が、とまどった声をだす。
「しかし」
「ラングレーのことだったら、気にするな」
エスカラスは、獰猛な笑みを浮かべる。
「おれがこれから、とてつもないねたをやつらにくれてやる。ニューヨークのガンビーノを壊滅させられるくらいのねただ」
キャピュレットは怯えた顔で、頷いた。
エスカラスは、満足げに笑う。
「メデジン、それにカリ。あの麻薬カルテルからはさっさと手をひくことだ。やつらはもうすぐステーツに叩き潰される。まあ、そんなことはおまえらのほうがよく知ってるだろうが」
エスカラスは、キャピュレットとモンタギューの二人を交互に見た。
「そうすればおまえたちがいがみ合う理由も、なくなるだろう。手をとりあって協力しろ。そして」
エスカラスは、厳かに言った。
「戦って、生き抜け。愚か者たちの分もな」
キャピュレットとモンタギューの二人は何も言わず、ただ深々とその頭を垂れた。
エスカラスは、それを見届けると霊廟を去る。
ロレンツ神父は、その背中を見ながら呟いた。
「愛は、ひとを愚かにする。けれど、ひとの本性が愚かであるということならば」
神父は、そっと笑みを漏らした。
「それもよし、としなければならない」
バズ・ラーマン監督の『ロミオ+ジュリエット』は90年代ブラジルを舞台としていますが、本作はそれより10年ほど前のブラジルを舞台とする設定であり、バズ・ラーマン監督作品とは異なる世界となっています。
エスカラスは、トンマーズ・ブシェッタを意識していますが、モデルにしたわけではありません。
タイトルは、バズ・ラーマン監督作品の挿入歌、カーディガンズの「love fool」からつけました・