第四幕 其の二
其の二
十字架に祈りを捧げるロレンツは、気配を感じて振り向いた。
白い影が、教会の薄闇の中に浮かびあがる。
その影は、足早にロレンツに歩み寄った。
そして、その足元にひざまづくと、うちひしがれた声を放つ。
「ああ、神父様、神父様」
愛の誓いを交わしたときとは別人のようにやつれた、ジュリエットである。
彼女は、ふりひしぐ雨のように、涙を流す。
「ジュリエット、どうしたのです」
ロレンツの問いに、うめような声をあげたジュリエットは、顔をあげる。
「わたし、あのおとこと結婚させられてしまう、わたしはロミオと永遠の愛を誓ったというのに、ね、そうでしょう?」
ロレンツの顔が、曇った。
「誰です?」
「パリスですわ、神父様。お父様は、式を挙げるため街じゅうにふれ回ったの」
ロレンツは、眉間に皺をよせると、静かに首を振る。
「ジュリエット、落ち着いて」
「もうわたしは、どうすればいいのか判らない」
彼女は、赤く泣きはらした目で、ロレンツを見つめる。
「今夜には、式が挙げられる。逆らうことはできないと思う。だって、パリスは」
ロレンツは、膝をつきジュリエットの手をとった。
「心配しないで、ジュリエット」
ジュリエットは、泣きながら首を振る。
「パリスに逆らえば、キャピュレットはお仕舞いだわ。わたし、もう死ぬしかないの」
ロレンツは、頷いた。
「なるほど、そうかもしれない」
ジュリエットは、驚いた顔をしてロレンツを見る。
ロレンツは、少し微笑むと、ジュリエットの元を離れた。
そして、小さな紙の袋を持って戻ってくる。
「これは、教会に伝わる秘薬です」
ロレンツは、静かに笑みを浮かべたまま、言葉を重ねる。
「この薬を飲めば、仮死状態となり、死体と見分けがつかなくなる。けれど、12時間たてば、また目覚めます」
「まあ」
ジュリエットの目に、光が点る。
「でも、どうすればいいのかしら」
「ジュリエット、家に帰ってこの薬を飲みなさい。おそらく毒をあおって、死んだと思われるでしょう」
ロレンツは、強い意思を感じさせる口調で、ジュリエットに語りかける。
「霊廟に運びこまれたあなたの死体を、わたしはこっそり街の外へと運び出します」
ジュリエットの瞳に、光が宿った。
「ロミオはヴェローナ・ビーチに帰ってくることはできませんが、ジュリエット、あなたが街の外へ出れば会うことができる」
ジュリエットは、ロレンツの言葉に、強く頷いた。
「街の外で、なんとかあなたたち二人が出会えるよう、手配しましょう。まずは、家に帰ってこの薬を飲むのです。ただ」
ロレンツは、強く光る目でジュリエットを見る。
「何人かにひとりは、この薬で仮死状態になってから、目覚めないことがあります。あなたはそのリスクを犯す覚悟をしなければいけません、ジュリエット」
ジュリエットは、ロレンツに抱きつき、その頬へキスをした。
そして、薬を受け取り、風のように去っていく。
ロレンツは、皮肉な笑みを浮かべる。
かつて、ここのネイティブたちに、キリストの奇跡をを再現すると称してこっそり使っていた薬がこんな形でやくにたつとは。
かつて自分は、信仰に従っていた。
しかし、今は愛にこそ、仕えている。
ロレンツは、そう思う。
だから、偽物の死と再生すら、主が愛を世界に知らしめるためにおこなった業と同じ意味をもつのだと。
ロレンツは、そんなふうに考えた。