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第一章 イブの惨劇 最良の仲間達

音声読み上げデータを用意しました。

VOICEROID+ 琴葉葵 1.3倍速での読み上げで1時間30分くらいです。

よろしくお願いいたします。


https://www.youtube.com/watch?v=kR4f5xKN15k

第一章 イブの惨劇 最良の仲間達


 銀河系と呼ばれた星系。


 その中の太陽系と呼ばれていた惑星系の第三惑星のとある場所に龍をかたどった島国があった。


 他の国が緊張状態にあって一触即発の情勢の中でも、新聞のトップ記事がアイドルの恋愛発覚だったりするほどに浮かれた国である。


 「領空を侵犯されても決して初弾は撃たない」という己の命も盾にする覚悟を持った戦士達が守っていた国だ。


 戦争という愚かな事態を経験し、敗戦国という屈辱にまみれながら彼らはその遺伝子に愚行の結果を刻み込んで未来の光を見いだそうと試行錯誤した。


 敗戦国として結果的に押しつけられる格好となった憲法を最大限に利用して復興による繁栄と平和を持続する事にも成功した。


 最大の美徳は彼らには執着する宗教も思想も存在しなかった事である。

 その惑星での戦争は宗教による対立が発端のものが多かった。

 彼らにはその壁が最初から無かったのである。


 他国の災害時には率先して医師団や救助隊を派遣した。


 そのメンバー達には手を携える事の意味とその喜びが遺伝子に組み込まれていく。


 そうして、血を繋いでいく過程で子孫にも刻まれた記憶は受け継がれていったのである。

 その国の民族の血と遺伝子はその星の各国に散らばり、ひとつになっていくかのように思えた。


 些細な小競り合いはいくつかあったけれど大きな戦争とは100年以上無縁だったこの惑星から遙か20光年離れた惑星系。

 戦争のつらさや恐ろしさなんて過去に消え去ってしまっているかに思えた。


 だが、物語は唐突に始まる。



 気温は5度を下回る。

 グリーゼ581が昇ってきて数時間。

 いっこうに気温が上がってくる様子はないが、亜紗美の皮膚からは汗が滲んできている。


 「なんでよ?」


 亜紗美は心臓マッサージをしている手から、力が失われていくのを感じていた。

 目の前に横たわっているのは、つい今し方までおのろけを力一杯披露していた、来月には花嫁となる予定だった親友の沙織。

 たった30㎝の立ち位置の差が、亜紗美と沙織の明暗を分ける結果となってしまった。


 「がんばって!お願い!目を開けて!戻ってきて!」


 何度、同じ言葉を繰り返し、掛けてきただろうか?

 亜紗美の声は枯れていた、もう沙織に届く筈もない。

 沙織の瞳から光が消えていくのを防ぐ手段が、亜紗美にはもう残っていなかった。


 亜紗美に駆け寄ってきて沙織の様子を見ていた優那が意を決して強い口調で言った。


 「この娘はもう駄目ね。向こう側に軽傷者を集めているから手伝って。」


 心臓マッサージをしていた亜紗美の手が停まった。

 あふれ出た涙で、視界がかすんで、歪んで、そして、流れ落ちた。


 立ち上がり、振り向きざまに優那の頬に向けてフルスイングをかました亜紗美。

 パーン!


 乾いた音が、一瞬の静寂を呼んだ。


 「ちから、入るみたいね?」


 殴られた頬が、赤みを帯びた優那。

 真剣な表情の中に、それでも優しさを残していた。

 亜紗美は優那の言う事を理解していた。

 もちろん頭の中ではと言う意味でだ。

 しかし、胸の痛みはその理解を超えている。

 思考が停止したまま、亜紗美は優那を見つめていた。


 冷え切った風が二人の間をすり抜けていく


 「立ち止まってはいられないの。あとで、生き延びていられたら。いくらでも殴らせてあげるから。今は力を貸して。おねがい」


 優那の言葉に亜紗美は一瞬ひるんだが、次の瞬間には駈けだしていた。

 想いだけはその場に残して。


 山裾の林の中に隠れる形で設置された救護用のキャンプ。

 空からも見えない位置に洞窟が存在していたため、この状況下では避難場所にはうってつけだと言えた。

 手際よく負傷者の処置をこなす姉妹、友梨耶と真梨耶。


 「あなた、こっちに来なさい。」


 応急処置をこなしている物腰から負傷していると察した優那は友梨耶を呼んだ。


 「おねえちゃん?怪我してたの?」


 「手を止めない!わたしは大丈夫。大したことないから。」


 心配する真梨耶を諭しながら、笑いかける友梨耶。


 「大したことあるんだけどね。」


 優那はそう言うと友梨耶の左腕を引っ張り上げて押し戻した。

 バキッという音と共に友梨耶の悲鳴が洞窟中に響き渡った。

 脱臼を戻すときに伴う痛みは看護師である友梨耶は経験上理解していたが、優那のそれはあまりにも唐突で予告すらなかったため怒りをあらわにする。


 「なんて事、いきなり」


 友梨耶の抗議は優那には届かない。


 「大したことないって言うくらいなんでしょ?そのまま放置していたら、腕を切断する事になるでしょ?言わなくても分かっていたとは思うけど。あんた、無理しすぎ。せっかく生き残ったんだから。」


 さらに脱臼していたおかげで動脈が圧迫されて出血していなかった友梨耶の腕の傷口を縫い合わせる優那。


 「麻酔も無しかよ。」


 仏頂面になっている友梨耶を心配そうに見ている真梨耶だが友梨耶に叱られるのがいやで手は止めない。

 亜紗美が真梨耶の手を握った。


 「替わるから、少し休んで」


 「ありがとう」


 真梨耶はそう言うと、友梨耶の手当を手伝いに入った。


 「お姉ちゃん…この怪我って」


 すまなそうに友梨耶の顔を見る真梨耶。


 「そんな顔するんじゃない!あんたのせいじゃないって」


 負傷のない右手で真梨耶の頭をなでながら痛みをこらえて友梨耶が笑う。

 友梨耶の怪我は、最初の爆撃の時、爆風から真梨耶を守るため雪に濡れて凍り付いたテントを盾にした時負ったものだった。

 生地が凍ったテントが結果的に熱風から二人を守ったのだが、その時に飛んできた瓦礫が真梨耶を庇うため無理な体勢になっていた左腕を脱臼させたのだった。


 「終わったよ。手伝う?痛みはしばらくあると思うから休んでる?」


 傷口に包帯を捲き終わった優那が友梨耶にたずねた。


 「殴って良いか?」


 優那に向き合った友梨耶。


 「生き延びたら、いくらでも殴って良いそうなので、そうすれば?」


 負傷者の手当を続けながら亜紗美が口を挟む。


 「じゃ、そうする」


 優那を振り払うように立ち上がった友梨耶は、持ち場に戻って治療を始めた。

 負傷者の腕に添え木を入れて包帯を巻く。

 痛みはあるが力は入る。

 助けられる人がいる。

 友梨耶にはそれがうれしかった。


 「ありがとう」


 背中越しに優那が笑った。


 その様子を見ていた亜紗美だが、治療を手伝いながらも上の空であった。


 亜紗美はここにいる事を、いまだに夢のように感じていた。

 自分の出来る事をしている。

 ただ、現実味がない。

 どう考えても、こんな事態に自分がいるという事が現実離れをしている。

 だが、それは亜紗美だけが抱えている感情ではなかった。

 この場にいる誰もが、程度の差が多少あろうとも同じ思いを抱えていた。

 ただ、現実を受け入れる事に時間を要さない人間もいる。

 優那はどうやら、そっち側の人間のようだ。

 一通り出来る事はやったと感じた優那だが怪我人の状態を整理して考えている。


 「機材や薬品が足りないから、調達してくるわ。軽傷者は自分で奥に移動してもらうとして、一人で動けない人を介助して奥に移動しておいてくれる?えっと…」


 亜紗美を見詰めて口ごもる。


 「亜紗美だよ。自己紹介もまだだよね?あなたは?ていうか、あんたが仕切るの?」


 「一つ目、優那だけど、【ゆうにゃん】って呼んで。二つ目、仕切らなきゃ駄目だと思ったんだけど、亜紗美、仕切ってくれる?」


 「優那の方が呼びやすいけど、ゆうにゃんね。緊張感ないけど…まぁいいか。わたしとしてはゆうにゃんの仕切りで良いわ。わたしじゃ無理そう。【あさみん】って呼んで」


 「そっちの姉妹も良い?」


 優那は真梨耶と友梨耶に視線を移すと聞いた。


 「わたし友梨耶で、こっちが妹の真梨耶。仕切りはゆうにゃんで了解。」


 「移動を頼める?入り口を隠してくれると助かるんだけど。」


 「介助は今のわたしじゃ無理だから、あさみんと真梨耶たちで。資材と薬品の調達なら車の運転出来るよ。」


 「本部に行けば薬品とある程度の処置機材があると思うからお願い。」


 少し考えて友梨耶。


 「本部というと、ここからだと45~6㎞位だから、往復で2時間前後ってところかな?積み込み時間入れて3時間位かな?無事なら良いけど」


 「お姉ちゃん…」


 不安な表情で真梨耶は友梨耶を見ている。


 「真梨耶。自分のベストを。今のわたしがここにいても役に立てる事が少ないから…わかるよね?」


 真梨耶は黙ってうなずくと、亜紗美と洞窟の奥に負傷者を運ぶために立ち去った。


 「車は?」


 「洞窟の入り口で見つけたのがあるんだけど、結構な年代物。だけど動くよ。6人は乗れるスペースがあるから多少の物資なら運べると思う。最悪の場合はね。トラックが調達できるのがベストだけど。」


 足がある事に希望を持った優那が友梨耶に笑いかける。


 「じゃ、おねがい」


 白いステーションワゴン(プリウスα)に乗り込む2人を立ち止まった亜紗美と真梨耶が見送る格好となった。


 「必ず戻ってくるから、無事でいて」


 見送る真梨耶を見詰めて友梨耶は心で、そう呟いた。



 「どないなっとるねん?」


 塹壕の中の百花。

 通常のミーティングをさぼって、サバイバルゲームに無許可で参加していた事で爆撃に遭わなかった百花だが、事態を把握できずに困惑していた。


 「爆撃していったの轟炸十一型ですよね?」


 世蘭は混乱の中、自分を取り戻そうと状況の整理に必死の様子だ。


 「なんや?おたく爆撃機に詳しいんかい?問題は、機体があないにはっきり判別できるくらいの低空侵入での爆撃に、何の意味があるかや。絨毯爆撃並みの投下数やで、精密爆撃じゃないのに、あそこまで低空でやる必要ないやろ?それにしても、轟炸十一型なんか知ってる人間自体レアなんちゃう?はーん…あんた中国人か?」


 口ごもった世蘭の心情を察したのか、百花はこう括った。


 「言わんでええよ。黙っていれば日本人に見えるし。日本語上手いから問題ない。日本語でしゃべってればええよ。さて、これからどうするかな?」


 独り言のように括るが、関西人は黙っている事が苦手である。

 世蘭の方に視線を向けると笑って見せた。

 本来は死んでいるはずの2人である。


 極東地区キャンプは最初の爆撃で、壊滅的な被害を被っていた。

 百花は問題児ではあったが、人気者だ。

 面白そうな事に誘われたら、決まり事などあってないが如し。

 規律を守れる人間にしたくて、このキャンプに参加させたはずなのだが、親の思惑はともかく、規律を守らなかった事で生き延びたのだから本末転倒の結果と言えた。

 世蘭は百花に無理矢理引っ張ってこられたのが幸いして生き残っていたのだが、これを幸運と言って良いのか世蘭もまたつらい立場に立たされているのだった。


 「世蘭やったな?どないする?様子を見に行った男ども、帰って来よらへんって事はヤバいって事やろ?反対方向やけど本部へ応援を頼みに行くっちゅうのはどうや?」


 「良いけど、足はどうするの?ここからだとかなり距離があると思うけど。」


 「足って…おたく本当に日本語上手いんやね。標準語やし…なさけのうなるわ…まぁ、それはそうとして、男どもが見つけて乗っていた車があるから、それで行けば1時間はかからんと思うで。ちいそうて運転しやすそうやし。」


 百花の指さした先には水色の車が見えた。


 「あれですか?随分と古そうですね?」


 「かなりね…まぁ、動けば…」


 本部への移動に同意する形で車に乗り込む百花と世蘭。


 ボディーも思ったほど傷みはないように思えたし、古いと感じたのはそのデザインからのようだ。

 最近の車のイメージとは相当違って見える。

 一世紀も前のデザインと言えるような、そんな感じである

 車内に乗り込むとスタートスイッチを押す。

 百花はダートトラック競技が好きで、もう何年も参加してきていた。

 悪路の走破はお得意である。

 内装の方はまだしっかりしていて、それほどへたりもきていない。

 車内は今の事態を考えると快適そうにも思えた。


 世蘭は百花の持つ雰囲気と、大らかさに戸惑っていたが、すべてを包み込むスケールの大きさに、あこがれに似た感情を抱いていた。

 と言うのも、世蘭は日系人三世で父は中国人民軍の総司令官という非常にナーバスな立場の人間だったからだ。

 更に祖父は中国共産党中央委員会総書記であり、日系人では初めての、中国の最高司令官と言えた。

 戦争を仕掛けてきた。

 そうでなくとも、爆撃してきた機体が中国のものである事は明白な今、中国人である世蘭を敵対視しない百花は世蘭にとって不思議な存在であった。


 「なんや?勘違いしなや!本来なら、あんさんは死んどるんやで。とっくに犠牲者名簿入りなんやから、どう転んでもうちと同じ立場や。ええな?」


 世蘭の視線で、すべてを感じ取った百花は軽く笑い飛ばして見せた。

 世蘭も心から笑った。


 「さて、では参りますか。」


 運転席周りの計器を一通り確認してスイッチ類にすべて目を通した百花はアクセルを踏み込んだ。


 「こいつ…うそやろ?」


 違和感を感じた百花は、一瞬アクセルを抜いて更に踏み込んだ。


 「何?」


 世蘭が反応した。


 「感じたやろ?こいつ、心臓がある車や。今の世界には存在しないはずの車や!」


 そう言うと、百花の足は床を踏み抜くごとくアクセルを踏み込んでいた。

 もしも今、この光景を見ている者がいれば、積乱雲の上を車が疾走しているように見える事だろう。

 百花の走らせる水色のアクアは、その見てくれとは裏腹に、まるでラリーカーの様相を呈していた。


 バージンスノーの上を30分位進んだ頃、前方に人影が見えた。

 手を振って助けを求めているように見える。

 先を急ぎたい気持ちが大きい百花は無視する事を選ぼうとしていた。

 だが、世蘭が止まる事を選んだ。


 「止まって!もも!」


 「なんでやねん。わかっとる?」


 戸惑いをあらわにする百花。


 「わたしが中国人だから。止まって何を言われるか、わからないから。何をされるかわからないから。だから、無視しようとしてるよね?本当は助けたいんでしょ?見捨てたくはないはずよね?ももはそんな人じゃないよね?」


 世蘭の言葉にアクセルを緩める百花。


 「はいはい。わかりましたよ。何でもお見通しって言うのは、無しにしてぇーな。」


 軽くステアを当てて後輪をスライドさせながら車を止めた百花は、ドアを開けて白い路面に降り立った。


 「世蘭は待ってて。ええか?中国人と悟られるんやないで。」


 世蘭は黙ってうなずいた。


 駆け寄ってくる人影は、接近してくるにつれて女性だとわかってきた。

 しかも若くて小柄である。

 警戒した事を少し照れくさく感じた百花は世蘭の方を見た。

 世蘭も百花と同様にほっとした面持ちだ。


 「わたし真凛、CAキャビンアテンダントです。攻撃を受けて不時着したのだけど。生存者の救助を手助けしていただけませんか?燃料が漏れていて火災が発生した場合、閉じ込められている子供たちが危ないのです。ドアが外れなくて。車で引き剥がして欲しいのですが…」


 開口一番まくし立てる真凛に、たじろぐ素振りも見せない百花は、世蘭に目配せすると真凛を後部座席に押し込み、急いで運転席へ戻った。


 「どこや?」


 すでにアクセルを踏み込んだ状態の百花のスタアリング捌きは尋常ではない。

 真凛が指さす方向へ、車体は一気に加速していったのである。


 アクアの車内で運転中の百花は違和感を感じていた。


 「こらおかしいで…爆撃だけならともかく、旅客機まで撃墜するって、何が始まったというんや?」


 百花の疑問が、世蘭に伝わった。


 「言わなきゃ良いが…」と百花が恐れていた質問が世蘭の口から放たれてしまったのは次の瞬間である。


 「攻撃してきたのは?中国軍?中国機に撃墜されたの?」


 真凛が記憶の中から整理しながらこたえる。


 「キャプテンが管制塔に連絡していたときに聞いたのは【轟炸十一型】って…確かそんな爆撃機だと…聞き間違えでなければなんですが。中国軍って言ってましたが、確定ではないと思います。主翼に国旗のマークはありましたが中国の国旗とはちょっと違っていたような気がしますし…」


 「そうなん?なんとなくわかったような気がするからもうええわ」


 百花はそれ以上の事は聞かない事にした。

 理由は2つあるがそれは後に明らかになる。


 視界にシャトルの残骸が入ってきた。


 雪原を上手く横切って着陸させたようだが、いくつかの木をなぎ倒した時に歪みが出てドアが曲がって開かなくなったようだ。

 真凛はコックピットの窓から外に出て雪の上に飛び降りて、結構な距離を一人で歩いてきたようだが、疲れた様子を見せていない。

 CAとしての責任感からか、それ以上に人命に関しての義務感か。

 胴体着陸した機体は二度と飛び上がる事は出来ないであろうと思えるほど大きく曲がっている。

 到着と同時に走り出したのは真凛だった。

 百花も、世蘭も一歩後れをとる形となる。


 「りのの。状況は?」


 「おかえりなさい真凛。コックピットの椎名キャプテンは何とか下ろせたんだけど、かなりの重傷で、意識が戻らないの…コパイの山崎さんは、足が座席と計器の間に挟まれて、身動きが出来ない状態でコックピットの中。毛布やマフラーで熱が逃げないようにして、何とかしのいではいるけれど、このままじゃ、どのくらい持つか…無事なのはわたしたちと閉じ込められている3人の子供たちだけだと…」


 「ワイヤーを掛けて、座席を引き下げて救助出来ない?車を貸してくれた彼女たちに応援を頼めば…」

 真凛の言葉にうなだれて呟く莉乃。


 「角度が悪すぎて無理よ。無理に動かして動脈を傷つけたら失血死するだけだわ。刺さったパイプだけでも切り離せれば…ともかく道具が必要よ。グラインダーとか…でも、燃料が漏れている状態ではグラインダーも使えないよね?」


 真凛は状況を聞くと、今できる事を優先する事にした。


 「扉にワイヤーは架けてるよね?手を貸して。子供たちだけでも助けるわよ。」


 「ちょい、待ちーな」


 機体の状況を確認していた百花が二人を制した。

 世蘭もその場で百花の話を聞いている。


 「確かに燃料が漏れているし、あちこちショートしている可能性もあるけどな。この扉を外したら外気が流れ込んで一気に冷え込むで。避難場所を作ってからでないと子供の体力でどれだけ耐えられると思う?」


 「燃料に火が入ったら、一瞬で終わるわ。お願い…その車で怪我人のキャプテンと3人の子供たちは乗せられるよね?乗せてから避難場所を作る。」


 「凍えるわな…まぁ、うちらも死んだはずの身やし、ええんやけど…世蘭はどうする?…かまへんか?」


 「わたしは手伝いますし覚悟もあります。」


 「そんな大げさな話やおまへんがな。」


 百花がすかさず返すと、全員で笑った。

 百花はやはり良いムードメーカーである。


 しゃべっている間にもケーブルを車に繋ぐ作業を続けている百花と世蘭。

 機体の中の子供たちに奥に引っ込むよう指示して、元気づける莉乃。

 真凛は接合部分のチェックをしてから、莉乃を引っ張って車と機体のドアの軸線から遠ざける。


 「重量がいるから、そこの二人も車に乗ってぇな。」


 百花が大声を出すと真凛と莉乃が駆け寄ってきた。

 雪で滑りやすい路面をしっかり捉えるために、重量を増やしたかったのだ。

 二人がボンネットの上に乗るのを待ってバックギヤに入れてアクセルワークに注意しながら徐々に回転を上げる百花だが、それでも簡単にタイヤは空転を始めた。


 「あかんわ。」


 吐き捨てるようにつぶやくと、アクセルを戻した。

 その静寂の中、かすかなエンジン音が百花の耳に届く。

 奇跡と言えた。

 おそらくはその一瞬でしかあり得ない音が百花にしかわからない音が届いたのである。

 車を飛び降りた百花が、ワイヤーを外して再び車に飛び乗り、アクセルを踏み込むまでの、わずか10数秒。

 その間に、真凛と莉乃も、車に乗り込んでいた。

 どのくらい離れてしまったのだろうか?エンジン音はもう聞こえてこない。

 加速した車体が丘を越えたとき、一台の白いプリウスαがこちらに向かってきていた。

 「ラッキー!遠ざかっていねぇー!こっちに向かってきてるぜ!」


 車体をスピンさせ停車させた百花は、勢いよく飛び降りて大きく手を振った。

 三人も百花に続いて車を降り手を振っていた。

 白いプリウスαは百花たちの前で停車し、中から二人の若い女性が降りてきた。

 優那と友梨耶である。


 「手助けがいるんや。力を貸してぇな!」


 一番に口を開いたのは百花だった。


 「何をすれば良い?」


 優那はあっさりと快諾する。

 時間が惜しいという気持ちもあるが、4人の雰囲気に気を許せた。

 友梨耶はというと、どうやら世蘭が気になるようで、何か言いたげである。

 百花が察して友梨耶の気を引こうと話しかけた。


 「子供が3人、不時着したシャトルの中に閉じ込められていて、ドアを引きはがしたいんやけど、うちらの乗ってきた車じゃ、タイヤが負けてしまって空転しよるんや。そっちの車とうちらの車の二台で引っ張れば何とかなるやないかと思うんやけど、どないや?力貸してぇな。」


 友梨耶には異存はなかった。

 ただ、世蘭が気になっているのだった。

 どこかで見た記憶がある顔なのだが、どうしても思い出せないでいた。

 ただ、記憶の片隅に引っかかっている。


 「とにかく、まず助けに行きましょう。わたしは友梨耶。よろしくね。」


 「正式な自己紹介は、後でってことでええな?うちは百花や、よろしゅう。」

 一刻を争う事態という事で、全員が了解し、その場を後にシャトルに向かった。


 百花は不安を覚えた。


 「世蘭はある意味、爆弾かもしれへんな。うちがしっかりせんと、思わぬ火種になりかねんわ。それにしてもまさかこんなところで友梨耶に出会うとはなぁ…こんな事態じゃなきゃ色々聞きたい事があったんやけどなぁ…」


 百花の表情が気になった優那であるが、状況に対する順応力が特化している。

 些細な事を気にして、場の雰囲気を壊し、余計な摩擦を生む事を避ける。

 リーダーとしての資質だろう。


 ほどなく、不時着したシャトルに到着した4人は状況が変化していない事にほっとしていた。

 一瞬の出来事で、緊急であったのだが、全員がその場を離れてしまったのだから、みんな不安ではあったのだ。

 優那と友梨耶は百花の指示で二股にしたワイヤーを牽引フックに掛ける作業をしていた。 シャトルのドアから見て斜め前方にある杉の木の幹にからめて直角に引っ張る格好にセットする。

 逆方向に片方のワイヤーをセットして、百花たちの車の牽引フックに繋いだ。

 莉乃が子供たちにドアから離れるように言うと、再び車に乗り込んだ。

 準備が整った。

 窓を開けた助手席から優那の左手が挙がりカウントを始めた。


「・・・・5・・・・4・・・・3・・・・2・・・・1・・・・・・・・GO!」


 手を下げた優那の合図でアクセルを踏む百花と友梨耶。

 シャトルのドアが一瞬で引きはがされ、杉の木に激突して止まった。

 開放されたドアの向こうに一瞬、子供の物ではない人影が浮かんで隠れたが、気づく者はいなかった。

 一斉に駆け寄る6人。


 6発の銃声が響いた。

 6人の足下のほぼ同じ位置に打ち込まれた銃弾は357マグナム弾。


 「M13 FBIスペシャル 357マグナムやて?随分旧式なスナップノーズやけど、ダブルアクションでこんだけ正確な射撃やと、まさか【ひなちゅん】やないやろな?」


 「小鷹狩?…」


 ドアの左側から姿を現した日菜は驚きを隠せない。


 「この非常時に、間抜けな愛称で呼ばれるとは思ってもなかったが、もも、これはどういうこと?事と場合によっちゃ、あんたでも命をいただく事になるわよ。」


 本気だと百花にはわかっていた。

 日菜が言っている事の意味も、百花は十分に理解できる。

 誤解を解かなければ、進展は望めないが、時間的な余裕がそれほどあるとは思えない。


 「大きな誤解があるんや。彼女の存在は、もうないと思ってくれへんか?そこからして説明不能なくらい複雑なんや。【ひなちゅん】頼むわ。銃は収めてぇな。」


 「わかった。」


 日菜は百花に向けた銃を腰のホルスターに納めるとドアから飛び降り、子供たちを下ろそうとした。


 驚いた様子の莉乃。

 信じられないという表情のまま、百花に問いかける。


 「あっさりと信用したものね。その説明だけで、不用心にも背中を向ける事が出来るなんて。知り合い?」


 照れくさそうに莉乃に視線を向けて百花がこたえた。


 「腐れ縁っちゅうか、悪友やな。信頼できるで。強うて律儀なやっちゃ。」


 そうこたえると、百花が駆け寄り日菜に手を貸す。

 真凛と莉乃は下ろされた子供の手を引いていきプリウスαの後部座席に乗せた。

 助手席から降りて後部座席に移った優那が診察を始める。


 「大丈夫?痛いところはない?頑張ったねぇ。偉いぞ!」


 安心して涙を浮かべたクリスがしゃっくり混じりで優那を見詰めていた。


 「お姉ちゃんがね。守ってくれたの。飛行機が落ちる前に、みんなをシートベルトでね。自分は席に着く暇も…なかったのに…」


 その時、友梨耶の表情がこわばった。


 「ゆうにゃん!こっちが先!早く来て!」


 友梨耶が叫ぶが、右手で制した莉乃。


 「運んだ方が早いし、処置するなら、車の中の方が良いわ!」


 驚いた事に、一人で背負う格好で、日菜を運ぼうとする莉乃。


 「わたしも手伝うから、右肩を支えて!」


 真凛が左肩を支える格好で、日菜を運ぶ。


 日菜は、緊張が解けたせいか、突然意識を失っていた。


 不時着したとき、子供たちにシートベルトをさせる事で手一杯だった日菜は、シャトルの機体が雪上に降りたときに壁にたたきつけられる格好で、衝撃を受けていた。

 全くの無防備の状態で後頭部をたたきつけられたわけではなかったが、最後に庇ったのが自分自身ではなく、座席に乗せきれなかった少女クリスだったのが災いした。

 日菜の後頭部はざっくりと避けて出血していた。

 一方の百花は日菜の事が心配だったが、こらえて子供の救助を優先させていた。

 歯を食いしばった百花の表情は、いつもの飄々とした表情ではない。

 言葉を発さない口元は、堅く引き締まって眼孔は鋭い光を放っている。


 「ゆるさへん!」


 誰かにぶつけるわけでない怒りが、百花の心臓の鼓動を高めていた。

 最後の女の子を抱きかかえると、白いプリウスαへ向かう。


 「重傷者が2名…何も持ってきていないのに…二人とも脳に障害がある可能性が大きいのに…どうする?」


 自分に問いかける優那。

 相談できる人間は、ここにはいない。

 トリアージなら二人とも赤。(生命に関わる重篤な状態で一刻も早い処置をすべきもの。)であるが、優先させるべきは日菜の方ではあった。

 気丈な日菜は、子供たちを守る事を優先して、自分で止血をし、盾となる事を選んだ。

 バリケードを設置して奥へ子供を隠す形で自らは潜入者に備えたのである。

 動き回った分、着陸時の衝撃で気を失ったままのキャプテンの椎名とは重篤さに開きがある。


 「ゆうにゃんやったな?日菜は無事か?助かるんか?」


 一見怒って見える表情の怒りをあらわにしている百花だが、日菜を心配している事は優那も理解している。


 「ここでは何も出来ないわ…本部に運ばないと…」


 申し訳なさそうに優那がこたえた。


 「あんた、医者か?本部にもしも医者がいなくても、設備さえあれば助けられんのか?」


 「2年目のレジデントよ…やれることには限りがあるわ…でも、専門は脳外科だから、ましかも…」


 優那のこたえを受けて百花の表情が和らいだ。


「シニアではないけど、インターンよりは、ましってレベルっちゅう事やな?なら、一刻もはよう本部へ急ぐで!友梨耶は看護師やったな?、ゆうにゃんと怪我人の頭が動かんように支えてぇーな。世蘭、正確なナビよろしゅう。」


 「子供たちは?」


「2人の子供は乗っけられるやろ?残る一人はCAの姉ちゃんたちに任せて行くっきゃないやろ?」


「CAの姉ちゃんね…まぁ、的確な判断だと思うけど、コパイ(副操縦士)の山崎さんの怪我も重篤よ。医者にいて欲しいのはこっちも同じだけど…」


莉乃があきらめに似た表情を浮かべながら、百花に返事を返した。


「行くで!」


「機材が用意出来次第、助けを来させるかわたしたちが戻るわ。それまで頑張って!救助するには人出も必要だと思うから…」


 アクセルを踏み込んだ百花。

 時間が流れるのを遅く感じる。

 状況が違うと、こうも時間が違って思えるのかと百花は戸惑っていた。

 ラリーやダートラを走り慣れている百花の体内時計は、こと車に乗っている間は正確そのものであった。

 そう、今までは…


 雪上を10分ほど走った頃、日菜の目が突然開いて言葉を発した。


「もも、莉乃には気をつけろ。」


 日菜の声に一瞬やわらいだ表情の百花。


「なんやて?意識が戻ったんかいな?」


「いいえ。譫言みたい…それにしては、はっきりしていたわね?…でも、どういう事?」

 優那の問いに百花がこたえる。


「ゆうにゃん!日菜はSPシークレットポリスや、その日菜が危険を感じたんなら、そうゆう理由があるっちゅう事や。でも、今は戻れんわ。」


 百花は状況の整理をするため、記憶の糸をたぐり寄せる。


 「子供を残すんやなかった…後悔しても今更しょうがないが…いや、まてよ…ひなちゅん…そうか…」


 心配そうな表情をしている世蘭に、百花は目配せして笑った。


 「大丈夫や、ひなちゅんの勘違いや。おそらく、ひなちゅんは自分と同じにおいを感じ取ったんや。莉乃にな。」


 百花のこたえに疑問を隠せない世蘭。


 「と、言う事は…莉乃さんもSP?CAなのに?」


 「足首に小型やけど拳銃入れておったと思う。今、思い起こすとおそらくは、デリンジャーやけど、形状から察するとハイスタンダード・デリンジャーや。ダブルアクションのみの小型銃。やっかいやで…非力なやつには引き金は引けんっちゅう代物やで」


 百花は瞬間映像記憶保持者である。

 見た物を瞬間的に長期記憶に置き換える能力がある。

 忘れたい風景でも、記憶の底にはっきりと残ってしまう厄介な能力でもあった。


 「莉乃さんが持っていたのが拳銃なら、一人で残っていた時間で子供たちを殺そうと思えば出来ていたって事だよね?日菜さんがいたのだから、出来なかったろうけど、もしそういう企みがあったとすれば、日菜さんが気づかないはずはないよね?」


 運転に集中している百花の表情が緩んでいるのを見て世蘭が安堵の表情を浮かべていた。


 「せや!ひなちゅんは莉乃が一人であの場に残っていた事は知らんやろうから、そこから勘違いしたんやと思う。だから、心配あらへん。あの二人を信用して、うちらは先を急ぐで」



 同時刻、シャトルのそばに残された莉乃と真凛。

 こちらに残った少女リーザはアクアの中で暖をとっていた。

 機体の中から毛布と食料品を取ってきた真凛は少女に手渡すと、再び機体に戻り、使えそうなものを物色している。

 一方で莉乃はコックピットに上がり、コパイの山崎を救出できないか模索していた。

 見た目とは裏腹に、腕の力には自信があった莉乃は、思い切って座席を後ろに引き下げようとする。


 「無理だよ。莉乃ちゃん…体力は残しておかないと先がきついよ…俺は多分もう駄目だから…」


 「山崎コパイ…諦めちゃ駄目でしょ…そんな事じゃ…」


 涙で視界がかすむが、それでも力を込めて座席を引く莉乃。


 カチッ。


 わずかだが、座席が一段階後ろに下がって多少楽になった山崎は血流がよくなって足と腕の感覚がわずかに戻った。

 圧迫されていた時間が長かったため、静脈血栓塞栓症を起こす心配もあったが、運良く山崎にその兆候はなかった。


 「少し楽になったよ…莉乃ちゃん…ありがとう」


 なんとか、座席から引き上げて山崎をコックピットから脱出させようと莉乃は体制を入れ替えて力を込めて山崎を持ち上げようとした。

 その時、レーダーのスイッチに触れた。

 点灯したレーダーに、3機の機影が映っている。


 「うそだろ?」


 山崎が青ざめて、莉乃の顔を見る。

 莉乃もまた、顔色を失っていた。


 山崎はコックピットから出られないままだったため蚊帳の外ではあったが、ここでの救助状況や、本部に向かった面々の事情は莉乃から聞いて知っていた。

 レーダーが捉えた機影が先ほど、この機を攻撃して、更に爆撃して行った機体だという事は明白である。

 再び、爆装して、戻ってきたのである。

 今度の目標は、救助の要請に彼女たちが向かった本部に間違いはなかった。


 「莉乃ちゃん…車に戻って本部へ出発して…真凛ちゃんと、椎名キャプテンをよろしく…子供たちもね…」 


 「でも…」


 「キャプテンには役目を譲ってもらいましたと伝えて…気絶してたんだから、しょうがないよね?」


 莉乃には山崎の覚悟が分かった。


 「フィアンセには?なんと伝える?…山崎さん…わたしから伝える事ある?…」


 感覚が戻ったとはいえ、座席の位置もずれているため計器類がまともに見られない山崎の手をスロットルに導きながら莉乃は尋ねた。


 「何か言うとかえって彼女を苦しめるから、何も言わなくて良いよ。彼女には幸せになって欲しいから…ね」


 何も言わず莉乃はその場を離れた。


 雪原に飛び降りた莉乃は、車に向かい、そして乗り込んだ。


 「真凛。出発よ。何も聞かないで!」


 莉乃の勢いに圧倒されて、何も言わずアクセルを踏み込む真凛。

 走り出した車の後方に雪煙が上がり、ジェット機のエンジン音が響いた。


 「りのの?」


 「山崎さんは壁になる覚悟よ。いえ壁と言うより牙ね。わたしたちはなるべく遠くに離れておく事よ!良い?」


 「良いも悪いもないわね…」


 真凛は床まで目一杯アクセルを踏み込んだ。



 超がつくほどの低空侵入を行う戦略爆撃機【轟炸十一型】の3機編隊。

 シャトルのコックピットの中、山崎はスロットルを絞って身構えていた。

 コパイではあったが、この機体なら自分の手足と同様だ。

 少々曲がろうが歪もうが、何とか動かせる。


 「もう一度だけ、離陸してもらうぜ。降りなくて良いんだ。こんな楽なフライトはないぜ…責任だけは重大だがな。」


 軸線上に向かってくる爆撃機。

 山崎がスロットルを開ける。

 甲高いエンジン音が響いた。


 「真上を通過しようなんて良い度胸だね。おかげであがるだけで良いじゃん。こんな簡単な事で、役目を果たせるとはありがたい事だぜ!」


 上昇していくシャトルの機体に3機の爆撃機が突っ込んだ。

 爆発音に続いて地響きが、更に地上での爆発音。


 「山崎さん…」


 莉乃はこらえていた涙を、今流した。

 運転席の真凛は車を止めて放心状態に陥っている。

 もちろん何が起こったのかは、みんな分かっていた。

 ただ、信じられなくて口にする事をためらった。

 口にする事で、言葉に置き換える事で、認めてしまう事が怖くて。



 おなじ頃、プリウスαを運転していた百花が爆発音に振り返る。

 ラゲッジルームで膝に椎名を抱えた状態で頭が動かないように固定して座っている友梨耶の目からは、涙が溢れて止まらない。

 運転中の百花はともかく、怪我人の頭を膝に乗せて後ろ向きで座っていた優那と友梨耶は、シャトルの爆発の一部始終を目の当たりにしてしまった。

 正確には迫ってきた爆撃機の前にシャトルが立ちはだかる形で上昇し、そこへ爆撃機が突っ込んで自滅した格好だ。

 爆装した爆撃機の残骸が、上空ではじけて、叩き付けられた地面で、再び爆発を起こす。


 「救助は必要のうなったが、真凛や莉乃、そしてあの少女はどうや?無事か?友梨耶?返事せいへんか?うちはどないすれば良い?このまま進むんか?戻るんか?どや?返事せえ、友梨耶!」


 「なんで、わたしに聞くのよ!分かるわけないでしょ?分かんないよ…」


 友梨耶は嗚咽でのどを詰まらせる。


 「しっかりしなや!友梨耶!あんたは今でこそ看護師やが士官学校出やろ?上級士官やった実績から聞いておるんや!忘れたとはいわせへんで!いや、たとえ忘れていたとしても、思い出してもらう。今はその能力が必要なんや!ゆうにゃんに隠れるんやない!」



 友梨耶にとって知られたくない過去ではあった。

 飛び級で士官学校を15歳で修了した友梨耶。

 海軍の上級士官時代に派遣された任務で、めまぐるしい活躍を見せ、女性士官最年少の、将軍になるのでは、と噂されるほどであった。

 しかし、その活躍こそが友梨耶を蝕んでいったのだった。

 今と似た状況で友梨耶が下した決断。

 だからこそ部隊が救われたのだが、そのせいで、友梨耶が背負った十字架は、重いものであった。

 しかし、今は過去の事情を語るべき場でもなければ、そのような時間もない。

 友梨耶の歩んできた茨の道はいずれ語られる事になるが、話を進めよう。


 「シャトルが舞い上がった角度からして、真凛や莉乃たちが水色のアクアでいち早く脱出した可能性は80%。莉乃か真凛が山崎コパイを慕っていたとしても、その場に残る可能性は限りなく零。ただし、あの少女が何らかの理由で車を離れていて、逃げ遅れた場合は、莉乃や真凛が少女を残して逃げる事はあり得ないから、その場合を考慮すれば全員死亡の場合もあり得るわね。どっちにしても戻る理由はないけど…」 


 冷静な声とは相反する形で、止めどなく涙が流れている。

 友梨耶は過去の惨事を思い起こしていた。

 思い出したくない過去が友梨耶の心を凍てつかせている。


 「よっしゃ!心置きなく行くぜ!」


 百花は、アクセルを床まで踏み抜いていた。


 「ほんにすまん。思い出したくはないやろな…でも、友梨耶…あんたがはっきりああ言ってくれへんかったら、うちは先にすすめんかったんや…堪忍やで…ひなちゅんが助かったらちゃんと謝罪するから…今は堪忍やで…」


 心の中で百花は友梨耶に謝罪し続けていた。



 一方、日菜の頭を膝の上で、タオルで止血したまま、抱えて座っている思考の止まった優那。

 山崎の犠牲的行為も、まるで映画の1シーンの様に思えた。


 人を助けるためとか、確かな理由付けがあって医師になったわけではない優那だったが、医師としての尊厳が、この状況の中で優那を支えていたのも事実ではあった。

 優那までもが,、黄昏れてしまった車内。

 しかし、この中で今、一番打ちひしがれていたのは、他でもない世蘭だった。

 シャトルが散った姿をドアミラー越しに見た世蘭は、氷の刃を全身に受けたような気分だった。

 そう、この事態を引き起こした根源が、自分の家族にある事は明白な事実なのだ。

 世蘭はこの場に居場所がないと感じていた。 いや、その事を言う事も出来ないという事実に潰されそうになっていた。

 青ざめて黙り込んだ世蘭を、横目で見た百花は、左手を世蘭に伸ばした。


 「世蘭!しっかりしい!今のあんたはナビに専念するんや!たのむ、ひなちゅんを助けてぇな!」


 降り続く雪のせいで視界を奪われがちな百花の運転を補助する形で世蘭がナビをこなす。

 右・左の指示の他に8段階のアクセル開度を指示する。

 ナビ画面を見ながら指示をするのではあるが、WRCよろしく的確なナビゲーションで百花と同調していた。

 波長が合うと言えばそれまでだが、百花の競技人生で、これほど息の合ったナビゲートは初めてであった。

 アクセルオンオフがぴったりと決まる感じである。


 「今は、考えない」


 世蘭は自分の役目を終えるまで、役割に集中する事に決めたのである。



 その少し前

 救難キャンプに残った亜紗美と真梨耶は避難を終えて一息ついていた。

 負傷者の避難を終えた後、亜紗美は一人で沙織の遺体を運ぼうと沙織の元に戻った。

 簡素なプラスティック製のソリに沙織の遺体を乗せ、ブルーシートをかけ、隠し、ロープで引っ張って運んでいたときに、やはり避難を終えて手持ちぶさたになった真梨耶が亜紗美を見つけて駆け寄ってきた。


 「あさみん…どした?」


 止めどなく流れる涙に溺れるように力なく蹲った亜紗美に真梨耶が尋ねた。

 声に出来なかった。

 ただ、嗚咽を続ける亜紗美に真梨耶はやっとの思いで声を掛ける。


 「運ぶんだよね?先に行ってるから、落ち着いたら追いかけてきてね」


 ロープを亜紗美から引ったくるように奪う格好で真梨耶がそりを引いた。

 乗っている遺体が誰なのかも、真梨耶は知らなかったが、亜紗美にとって大切な人なのだという事は全身で感じていた。

 体が熱かった。

 その場に居たくなかった。

 気丈に負傷者の避難と治療をしていた亜紗美が気を緩めたとたんに、あそこまで墜ちてしまうのだ。

 こんな事態を誰が予想したであろうか?

 楽しいはずの冬のクリスマスジャンボリー。

 地獄と化した惨劇の場で、真梨耶は歯を食いしばって自分自身に言い聞かせる。


 「泣くもんか…お姉ちゃんに叱られる…真梨耶ベストを尽くしなさい…」


 程なく亜紗美が追いついてきた。

 しばらく無言のまま、二人でそりを引いて洞窟の中へ入っていった亜紗美と真梨耶。

 人目につかないように沙織の遺体を、一番奥の機材が入っていたのであろう空の木箱の陰へ、隠すように安置した。

 ブルーシートに包まれたままの遺体を、見下ろす格好で凍り付いたままの亜紗美にどう話しかけたものかと思案に暮れる真梨耶。

 聞きたい気持ちはあるが、聞いてはいけないような気がして話しかける事を迷っていた真梨耶が大きく深呼吸して話しかけようとしたとき、すさまじい爆発音が洞窟全体を揺るがした。

 はっと、我に返る亜紗美。

 真梨耶はもう既に入り口に向けて駈けだしていた。

 一歩遅れた亜紗美が真梨耶を追って、入り口に向かおうとした矢先、頭上から轟音が響いて、パラパラと土塊が落ちてきた。

 振動で崩れた洞窟の土壁の奥に、何やら隠されたものがあるようだ。

 飛び出していった真梨耶と後に残った亜紗美は全く違うものを見上げる事となる。


 亜紗美の前に姿を現したのは大きな金属製の扉だった。

 左端の隅にコントロールパネルのようなものがあり、開閉の操作を行うようだ。

 認証方式は不明だが、網膜認証でも、指紋認証でもないようだ。

 恐る恐るパネルに近づいた亜紗美はキーボードを叩いてみるが、何の変化も起こらなかった。

 どこかにメインスイッチがあるのではないかと下の方を身体をかがめて探っていると、唐突にパネルに灯が入った。

 キーボードの横にあった突起に亜紗美の手が覆い被さった瞬間の出来事である。

 DNAを検知して作動するシステムなのだが、この段階でその事実を知るものはいないため、ここでは深くは追求しないでおこう。

 OPENと刻印されたスイッチを押す亜紗美。

 興味本位と言うには、あまりにも悲しい動作であった。

 亜紗美は自分が何をしているのか。

 何をしたいのかも分からないまま、流されるように状況に吸い込まれていったのである。

 扉が開いた。

 一瞬遅れて、扉の中に明かりが灯った。

 洞窟の中の薄暗さになれていた亜紗美は、一瞬目がくらんだが、次の瞬間に飛び込んできたビジュアルに圧倒され、その場にしゃがみ込んだ。

 声も出なかった。

 見上げた視線の先にあるものを、亜紗美はただただ見つめて凍り付いていた。

 時間はゆっくりと流れ続けていく。


 同じ頃、洞窟の外へ出た真梨耶は愕然としていた。

 眼前には、つい6時間ほど前に、爆撃をして、ここを地獄と化した爆撃機の残骸が横たわっていた。


 「ざまぁみろ!」


 心はそう叫んでいたが、真梨耶の目には涙が溢れていく。

 憎かった敵。

 しかしまた、これも失われた命に、他ならないからである。

 まだ、幼いとも言える少女の心には複雑すぎたのだろう。

 墜落の弾みに暴発したミサイルが山肌を砕いていた。

 真梨耶が見上げたその先に見えるのは、宇宙船の船首。

 山だと思っていたのは、どうやら宇宙船で長い年月で土に覆われたものだったようだ。

 いいや、この様子だとわざとそういう風に隠していたのだと予想できる。

 洞窟は、隠した宇宙船への通路として使用されていたものだと真梨耶は感じた。


 「いったい…誰が…何のために…」


 真梨耶が見上げた宇宙船の船首に打ち込まれたプレートには2列で【TOY BOX】と船名が刻まれていた。


 「ふざけた船名だ…こんな状況で…おもちゃ箱だって…」


 一度地面に視線を落とした真梨耶は、もう一度見上げた船首に向かい叫んだ。


 「ふざけるな!ばかやろう!」


 洞窟から、こだまが返した。



 溢れそうな涙をこらえて、洞窟に戻った真梨耶は、亜紗美の元へ行こうと力なく歩いていた。

 足下に蹲っているのは、かろうじて生き残った大人たちである。

 恐怖に怯え、気力をなくした大人たち。

 自身の無力さを思い知って、力を失った人生の先輩諸氏に真梨耶は悲しみを覚えた。

 最初の爆撃の際、真梨耶たちを助けに奔走してくれた先輩たちも、今は悲しみと疲れで動けなくなってしまっていたのだ。


 「亜紗美はあんな風になったけれど、でもまだみんなのために動いてくれる。今ここで気力を振り絞れるのはあの人だけなのかも…」


 そう考えた真梨耶は、元気を取り戻したくて亜紗美の元へ行こうと考えたのだった。


 「優那は?優那を知らないか?医師の優那」


 唐突に裕己が真梨耶の腕を取って問いかけた。


 「点滴が切れたんだけれど、どうすれば良いか分からないんだ。点滴を続けるのか?それとも、もう針を外しておけば良いのか?」


 裕己は傍らに横たわっている明人を指さして途方に暮れる。

 明人は爆撃の熱風でのどに熱傷を負って呼吸が出来なくなっていたのであろう。

 経験の少ない真梨耶にも一目で分かる。

 のどを開いて応急的にストローで気道を確保していた。

 優那の処置だった。

 野戦病院よろしく、優那は足りない医療器具をあり合わせの材料を加工して補っていたのだ。

 だが、それにも限界はやってくる。

 むしろ、よくここまで持たせたものだと、誰もが感謝しているのだった。

 真梨耶が膝をつく格好で明人の腕を取り脈を診る。

 弱ってはいなかった。

 バイタルは安定している。


 「大丈夫よ。水分と栄養分は必要だろうから、点滴をもう一本追加しておきますね。終わったら、針を抜いて、この止血シールを貼っておいてもらえますか?」


 裕己に止血シールを渡して点滴を取り替えようとする真梨耶の腕を、明人が掴んだ。


 「俺は良い!他の人に使ってくれ!」


 のどをやられていて、声は出せないが、目がそう叫んでいる。

 裕己と康幸はその様子をただ見つめるばかりだった。


 「もう一本だけ、打たせて下さい。お友達が心配しているでしょ?お願いします。ゆうにゃんが戻ってくれば、もっとましな治療が出来ると思うから…おねがい…」


 後は言葉にならなかった。

 明人は力を抜いて目を閉じた。

 涙が目尻を滑り落ちた。

 点滴を取り替えると、真梨耶はその場を逃げるように立ち去る。

 裕己と康幸が申し訳なさそうに、真梨耶を見送った。


 「お姉ちゃん…わたし…もうくじけちゃいそうだよ…早く帰ってきて…」


 表面には出せない弱音が、真梨耶の心を支配していくのだった。



 この惑星において最初に前線基地が出来た地が眼前にある。

 気象条件が極度に悪化した吹雪の中、百花の走らせる白いプリウスαが、ジャンボリー本部に到着した。

 簡素なプレハブが並んだだけの見窄らしいキャンプ地ではあったが、優那にとっては最後の希望と言えた。

 混乱の中、収拾がつかない状態だろうと予想していた百花は、静寂に包まれた本部を見て愕然とした。


 「うそやろ?…」


 人がいる様子がないのだ。

 赤十字マークの入った大型のプレハブへ歩を進める優那たち。

 友梨耶と世蘭が駆け込んで、ストレッチャーを押して戻ってきて、車の後ろに付ける。

 百花と世蘭が二人がかりで、日菜をストレッチャーに乗せる。

優那がすまなそうに百花に言った。


 「キャプテンの椎名さんを優先するから、MRI・ROOMへ先に運んで…」


 パシッ!


 言い終わらないうちに、百花の平手が優那の左頬を打ち据えた。


 「なんでや…ひなちゅんの方がどう見ても緊急やで…ひなちゅんを助けてぇーな…ゆうにゃん!」


 「ごめん…今は助かる確率が高い方を優先する…」


 百花が動かないので友梨耶と世蘭がもう一つのストレッチャーに椎名を乗せ運び出す。

 日菜を乗せたストレッチャーを百花が一人で運ぼうとしたとき、2人の子供たちがストレッチャーを押した。


 「お姉ちゃん…このお姉ちゃんが守ってくれた…助けて…助けてくれよ…」


 フラヴィオが涙を浮かべながら叫ぶようにそう言いながらストレッチャーを押す。


 「わたしが怖くて動けなかったから、このお姉ちゃんが怪我をしたの…お姉ちゃんを助けてくれなかったら…わたし…」


 クリスもフラヴィオ同様に涙をたたえた瞳で百花に訴えかけてストレッチャーを押した。


 「おまえらの所為やあらへん…助かるわ…ひなちゅんは簡単にはくたばりよらん…」


 子供たちに言う格好で、百花は自分自身に言い聞かせていた。

 全身に力が戻った。


 「諦めない。」


 そう、諦めたらそこから進めない事を百花は日菜から教わった。

 その日菜が、こんな事で逝ってしまうなんて、あり得ないんだと百花は強く念じ信じる事にした。


 「涙よ今はとまれ。」


 はっきりと前を見せてくれ。


 MRIで診察を終えた椎名のデータを優那は確認していた。

 脳に腫れが出ているが、開頭して減圧すれば意識は戻るだろうと診断できた。

 意識を失い安静な状態だったのが幸いした。

 血腫が出来た位置をはっきりと確認できた上に、ごく限定した位置での切除が可能であった。


 「これなら、短時間でのオペが可能だわ。友梨耶は器械出し出来るよね?」


 頷く友梨耶。

 真梨耶がいてくれた方が心強かったが、オペ看としての実績はそう変わらない。

 左肩の不安が残るが、今は贅沢を言ってはいられない。

 二人が手洗いを済ませ、手術室に入る。


 百花と世蘭は運び出せる医薬品などを、表で見つけたトラックにリフトで運び出していた。


 「お姉ちゃんは、わたしたちが見ている…何か変化があったら呼びにいくから…」


 子供たちがそう言って百花と世蘭たちを送り出した。


 「世蘭…うちは…ひなちゅんのところにいたかった…でも、ひなちゅんは…」


 「助かるわよ…だから、わたしたちはその為にも、今できる事をするんだよね?もも、あなたはすごいよ…すべて包み込めるのね…わたしには出来ないわ」


 持って行けるものは、すべて二台の白いトラックに積み込んだ。

 思ったより保存が利く食料品の備蓄があったし、衣料品や生活雑貨、無論医薬品も片っ端から詰め込んだ。

 CTとMRIまで小型なものが未開封の木箱の中にあった。

 積み込みが終わったちょうどその頃、本部の上空を通過していくシャトルが見えた。

 10数㎞先の空港へ降りる筈である。

 星条旗を機体に踊らせる。


 「痛車並みやな…」


 百花が、苦笑した。

 派手派手しい星条旗を機体一面に踊らせたシャトルを見て、世蘭は恐怖を覚えた。


 「さて、真実を目の当たりにする時がきたかいな…厳しい話やがな…世蘭…うちから離れるんやないで…」


 百花が世蘭の手を握りしめて、強い意思を表した。



 同じ頃、優那と友梨耶は椎名の手術を終えようとしていた。

 後は縫合を残すのみだ。


 「友梨耶…続けて日菜さんの手術いける?MRIの画像出てるよね?」


 器械出しの合間を見て、友梨耶は日菜の術前診断を行っていた。

 頭蓋内切除のほんの10数分間の合間を縫う短時間で、MRI撮影と術前診断プログラムを走らせた。

 情報処理に長けている友梨耶ならではの早業であった。


 「気づいてた?…油断ならないわね…集中してるから気づかないかと思っていたけど…」


 舌を出しておどけてみせるが、マスクの下では見えるはずもない。

 日菜は安定していた。


 しかし、脳にはやはり損傷が見られ、手術が必要ではあった。

 しかも、一刻を争う状態だ。


 「3時間が限界だよね。クランプして血腫の除去…血栓を取り除いて血流を戻して…」


 「幸い、輸血用の血液が、十分あるから、クランプしないで血栓の除去を優先させるわ。血液を流せれば時間を稼げるから。」


 「血液を垂れ流したままバイパスして?その後で血管縫合って術式?そりゃ、ダメージは少なめだけど時間との闘いになるわよ」


 「耐えて我慢してくれたももに報いたいの…良いでしょ?いけるよね?友梨耶!」


 友梨耶は既に限界に来ていた。

 もう1時間近く前から、左腕に感覚がない。

 肩から指先にかけての感覚が、殆ど残っていなかった。


 「嫌とは言えないでしょうね…大丈夫よ…まだいけるわ…」


 「じゃ、おねがい…」


 優那が日菜を運ぶために手術室から出ていくため友梨耶に背を向けた瞬間、優那に気づかれないように友梨耶は自分の足にピンセットを突き立てた。

 左手を握って開く。

 感覚が戻った。


 「当分持つかな?…いや、持たせてみせる」


 友梨耶は優那を追って手術室を後にした。


 「ひなちゅんは助かるんか?ゆうにゃん!」


 手術室から出てきた優那と友梨耶を見つけて百花が問いただす。

 物資の積み込みを終えた世蘭と百花は、状況を確認するべく手術室の前に戻ってきていたのだ。


 「これから手術に入るわ…4時間くらい。必ず助ける。必ずね。信じてくれる?」


 「信じるけど、そんなに時間はとれんわ。せいぜい1時間が良いとこやで…ここは戦場に…いや殺戮現場になるで…」


 百花はこの混乱した事態を、唯一冷静に分析できていた。


 その百花が出した結論が、そう導き出したのだ。


 優那は困惑した。


 「どういう事?ここが攻撃されるって事なの?ここを攻撃してどうするの?だって、ここにはもう誰もいないじゃない…」


 「この子たちがおる。うちらがおる。もう分かるやろ。」


 友梨耶は背筋が凍るのを感じた。


 「トリガー…」



 「せや…戦争のトリガーや…」


 「全員とまでは言わないけれど、何人かは死んでいる事が、条件って事よね?。日本、防衛大臣の愛娘 小鷹狩 百花。イギリス海軍 鈴木司令官の娘 鈴木 友梨耶と真梨耶。イスラエル空軍 やはり永井司令官の娘 永井 日菜。アメリカ国防総省 山本 五十六の娘 山本 真凜。中国共産党中央委員会総書記 溝呂木 桜花の孫娘 溝呂木 世蘭。かくいうわたし、ロシア連邦 島崎大統領の孫娘 島崎 莉乃。わたしも含めてだけど、恐ろしく悪運の強いトリガーたちね。殆ど生き残るなんて。」


 「気恥ずかしいんやけど。なんでうちだけ愛娘?普通に娘やのうて?」


 「そこ、突っ込むところ?」


 真凛が笑った。

 こんな状況でも、浪速っ娘の百花は恐ろしく柔軟である。



 ここにきて、莉乃と真凛が合流し、事態は更に複雑化してきたのである。

 悲しみに打ちひしがれている場合ではない。

 次の危機は、既にそこまで迫っているのだ。


 「真凛と、りののは、救護キャンプへ資材を運んでくれるかな?表に駐めてあるトラックに必要な物資は積み込み済みだよね?。子供たちも頼むわ。手術が終わったばかりだけれど椎名キャプテンも運んでいってくれる?友梨耶は日菜さんの手術を手伝ってくれるよね?」


 「えっ?」


 一同絶句した。

 まさか、この事態で残って手術をすると言い出すとは、百花でさえ考えていなかったからである。


 「日菜さんは、今は動かせない。日菜さんもトリガーなら、死なせるわけにはいかないよね?」


 「無茶やな…まったく…」


 奥の倉庫で調達してきた小型自動小銃をホルスターから取り出し、弾倉をチェックし戻してから、予備の弾倉に弾を込めだした百花。

 覚悟を決めて、残って援護する意思を固めていた。

 射撃に関しては、日菜に比べると見劣りするが、そこそこに自信はある。


 「世蘭…みんなをよろしくな!」


 「なぜ?わたしはあなたと居るわ。一人で何が出来るというの?さすがのももも、たった一人では何も出来ないでしょ?」


 世蘭が正しかったが、百花自身は日菜のそばに居たかったのと、日菜たちを守る事しか考えていなかった。

 だが、本当にみんなを守れるだろうか?

 そんな疑問が、百花を支配した。

 視線を移動中に一台のマシンが目に入ってきたのはそんな時であった。



 赤い車体に挑戦的なノーズ。

 一段低く構えた車体は安定性と攻撃性を秘めているように見える。


 窓を開け、雪原に飛び出す百花。

 なにわナンバーの1205の文字は見覚えがあった。


 「曾じじい…まさか、こんなところで…」


 それは、驚いたことに、逢った事もない百花の曾祖父の愛車だった。


 「MISSING ONE HUNDRED YEARって知っとるか?」


 「失われた100年ね…歴史で習った程度だけど知ってる。たしか、日本の大手自動車メーカーのCEOが当時の天才科学者たちをを引き連れて失踪した事件だよね?そのため、技術の発展が100年間停滞したって。」


 「よく知ってんな…うちは歴史は苦手だから、ばあさんの話からしか知らんけど…」


 「日本でも逆賊って扱いだから、詳しくやらないでしょ?わたしはそのCEOの捨て台詞が好きだから覚えていただけよ。『TOYOTAの技術は人を守る技術だ!人殺しの道具にはさせない!戦争の道具に使われるくらいなら全て白紙に戻してやる!』ってやつ」


 「会社ごと白紙に戻したんやけどな…まぁ、その科学者連中とCEOの章男ちゃんを宇宙に飛ばしちまったのが、うちの曾祖父っちゅう事や…その曾祖父の愛車がここに有るっちゅうのはどういう事なんや?」


 百花は車内を眺めて改めて後ろを振り返り窓越しに心配そうに見ている世蘭を見つめた。


 「そういう事な」


 身を翻し、窓を飛び越え優那の元へ走る百花にもう迷いはなかった。


 「曾じじい…その企みに乗ったるわ…」


 身支度を調え手術に入ろうとする優那と友梨耶を呼び止めた百花。


 「手術はたのんだで!何時間稼げばええ?りののと真凛は出発をちょい遅らせてぇな。うちが暗殺者どもの鼻先をかすめて、誘き出すさかい、時間を空けてしゅっぱつしてぇな。ええか?」


 「囮になるってことなの?」


 心配そうに聞き返す優那。


 「うちが思いっきり、色っぽく誘って引っ張っていくけん。あんたらは自分の役目に集中しいや。んで、どんくらい引きずり回したら良いんや?」


 おどけてみせる百花だが、目は真剣さを隠していない。


 「最低でも4時間。出来れば6時間欲しいかな。もちろんすぐに運び出せるように万全を期すから…」


 優那がまっすぐに見つめたまま答えた。


 「わかった。ゆうにゃん、ひなちゅんをよろしゅうな。燃料はみんな満タンにしとき。予備タンも積んで持っていき。ええな?うちはすぐ出るから、後は頼むで」


 「うちは?うちらはでしょ?」


 言いたいことだけ言うと身を翻した百花に世蘭がついて行きながら続けた。


 「頼めるんか?」


 「頼まれなくてもね」


 予備タンクに燃料を詰めてトランクに詰め込む世蘭。


 百花は燃料タンクにガソリンを入れ空気圧をチェックして運転席に乗り込む。


 世蘭が続いた。


 「なんというか。普通の車と違うね…なんかシートに固定されちゃうような…」


 「せやな、走り出すともっとちごうてくるで。こいつは生き物やからな…」


 エンジンに火が入る。


 「いくで、世蘭。」


 雪をものともしないダッシュ。

 トラクションの掛かり方が他の車とひと味違う。

 車体を左右に振りながらサスペンションの感覚を確かめる百花。

 高次元に調和を保っている。

 車体の剛性も高いが、百花を驚かせたのはその全体のバランスからくるステアリングインフォメーションの多さであった。


 「こいつ…コントロールしろって言ってくるみたいや…もっと踏めって…」


 GーSPORTSの銘は伊達じゃない。

 赤い車体は白銀の世界を疾走していったのである。



 百花たちが出発するのを見送った優那と友梨耶は、手術室に入った。


 「これで良かったのかな…あの娘たちは自らを囮にして、ここから敵を引き離そうとしている。もし上手くいかなければみんな死ぬ事になるかも…うまくいっても、あの娘たちが犠牲になる可能性が高いよね…わたしが選んだ道が正しかったと思う?」


 「あんたが迷ってどうするの?『仕切りはゆうにゃんで了解』って言ったよね?あの娘たちも同じだよ。あんたが仕切るんだよ。これからもね…」


 優那と友梨耶は手術に入った。



 百花と世蘭は車の挙動とスピードの差を感覚的に理解する事に戸惑っていた。

 運転する百花の順応性に、世蘭が追いつくのに時間がかかっていたのだ。

 ナビも先ほどまで搭載されていたものとは随分違っていた。

 処理するデータが段違いに多いのだ。

 分からない事も多かったが、ナビゲートするための要点は理解できた。

 世蘭もまた、全開体制に入ってきていた。


 「もも!じゃ、8段階で行くよ!」


 「世蘭!しばらく6段階で行くで!全開とフルブレーキングでの低速は無しや!燃料温存の巡航速維持で行くで!」


 「なるほどね。了解!さすがもも…」


 世蘭は百花の作戦を理解した。


 前時代の化石燃料を使用しているハイブリッド車のプリウスGSの巡航到達距離は約1000㎞。

 EVである現在の車はせいぜいが300㎞からよく伸びても400㎞が限界である。

 軽く倍は走れるのだから、力尽きるのを待つ作戦を選んだという事だ。

 目的地は痛車よろしく派手派手しく星条旗を踊らせたシャトルの鼻先。


 「あのシャトルなら搭載車両は三台程度。全部引き連れて反対方向へ行くで!」


 シャトルが見える。

 鼻先をかすめるように、半円を描いてスライドしながら通過する赤いセダン。

 もちろん、百花が、運転するプリウスGSである。

 シャトルの格納庫から出ていた二台のワゴン車が見えた。

 鈍重な装甲車ではないが、それでも百花の敵になるとは思えない。

 にやっと笑った百花の視線が一瞬で凍り付く。

 見覚えのあるペイントの車体が一台、先頭に陣取って待機していた。


 「冗談やろ?」


 FORD EV7RS WRC であった。


 「徴兵されたとは聞いておったが…車両ごとかよ…」


 百花の眼前に姿を現したのは、昨年度チャンピオンが乗るWRC仕様のラリーカーだった。


 「世蘭…作戦は変わらんが、どうなるか分からん…とりあえずこのまま抜けるで…」


 企み通り、全車食いついてきたが、先頭のWRC CARは予定していない。


 百花はスピードを落とさない事に専念してプリウスGSをドライブする。


 急加速をしないラインを選んでコントロールする百花だが、世蘭のナビゲートが正確な事で負担を感じないでドライブできていた。



 本部の脇で待機していた莉乃と真凛は双眼鏡でシャトルから引き離されていく米軍車両を確認して、トラックのエンジンをスタートさせた。


 「うまく引き連れて行ってくれたみたい。でも、本当にあの人たちわたしたちを殺しに来たの?どうしても信じられないんだけど…」


 真凛は平静を保とうとしていた。

 しかし、自国の兵隊が、命を狙ってくるなどという事態を、そのまま受け止める事は難しかった。


 「真凛は特にそうだと思う。なんせ、ペンタゴンは真凛にとっては家も同然だったろうからね。でも、あんたも見たでしょ?轟炸十一型の主翼にペイントされたマーク。」


 上から見られる事を想定していないペイントは、あからさまにアメリカンジョーク。

 ハンバーガー二連装の中国国旗もどきであった事実を真凛は上空から確認していた。

 敵国想定の模擬戦に使用される機体に、しばしば見受けられるジョークである事を真凛は知っていたのだ。


 「あの機体を見た者は殺されるわね」


 この期に及んでは認めるしかないと、真凛も納得するのであった。


 2人は2台のトラックに別れて乗り込むと一路、避難キャンプへ向かいトラックを発進させた。

 場所は優那たちに聞いて知っていたが、初めて行く場所だ。

 どのくらいかかるか分からないし、この状況だ、いつ敵と遭遇するかも分からない。


 「敵?」


 分かれて乗車してそれぞれ出発しようとしていた二人だったが莉乃も真凛もおかしくなってきた。


 「誰が敵で、誰が味方なのか?」


 そう、この状況では全く区別がつかないのである。

 二手に分かれて分乗した子供たちも、不安で口を閉ざしたままだった。



 「そろそろ、食いついていただかないと…」


 意外だった。


 すぐに追いつかれてしまうだろうと想定していた百花だったが、EV7 RSは付かず離れずの位置関係を保ったまま2時間近く走り続けていた。

 後方のワゴン車はかなり置いてきてしまった。

 このままでは、ワゴン車が引き返してしまいかねない。

 百花は焦りを感じていた。

 世蘭もまた同じ不安を感じている。


 「ゆうにゃん。4時間稼いだ。あと2時間や。それとも、もう大丈夫なんか?」


 百花に確認する手段はない。


 EV7RS が接近してこなかった理由は運転手がチャンピオンのオジェではなかった事が起因していた。

 車はチャンピオンだったが、ドライバーがずぶの素人だったため、そのパワーを出し切れなかったためだ。

 2時間追いかけて、接近できなかった事にいらついてきたジムが切れた。

 大きくカーブしていた道路の脇をショートカットして百花のプリウスGSの前に出ようともくろんだのである。


 「きたな…ばいばいや!」


 百花の企みは的中した。

ショートカットを試みたFORDは薄い氷を踏み割って横転し1回転した後、引っかかって止まった。


 「もも…あんた…狙ったね?」


 わずかに割れなかった氷の上にかろうじて引っかかった形で今にも水中にずり落ちそうなFORD WRC。

 世蘭が後部座席に積んでいたワイヤーを抱えて車を飛び降り、氷上を滑空する。


 「何しよる?世蘭!」


 EV7RS のフロントに付けられた競技車両用の牽引フックにワイヤーをかけ、縛り付けるように固定する世蘭。


 片方のワイヤーは既にプリウスGSのノーズの牽引フックに繋がれていた。


 「なんちゅう早業や」


 ワイヤーが既に繋がれている事を確認した百花がバックへギヤを入れて引いた。

 沈みかけた車体が浮き上がるように岸に上がるEV7RS。


 一瞬の出来事であった。


 フックを外してプリウスGSへ戻ろうとする世蘭の足下に銃弾が撃ち込まれた。

 車から降りたジムが銃口を向けている。


 「どうにも、礼儀知らずやな」


 「Halley UP!」


 ドカッ!


 後頭部を銃のグリップで打ち据えられてジムが気絶して倒れた。


 「礼儀知らずですまないね」


ジムを殴って気絶させたのは、オジェだった。


 「オジェ?日本語うまいね」


 「奥さんが日本人だからね。それより、何故助けた?わたしたちは貴方たちを殺しに来たんだよ。知らなかった?命令ではそれが任務だったけれど、わたしも知らなかった。まさか貴方たちのような子供だったとは…」


 「もう、いっぱい人が死んだよ。これ以上死んでいく人を見たくない。助けられるのであれば、わたしは助けたいの。わたしたちを殺しに来たのだって、どうせ、テロリストとか言う名目でしょうけど、わたしたちは違うわ。きっとわかり合える。同じ人間だもの。」


 世蘭は涙を浮かべて訴えていた。


 「不本意だけど。わたしは軍人だ。徴兵されたと言っても、身分は歴然とした軍人なんだ。命令に逆らう事は出来ないんだよ」


 どうするのが正しいのか分からないというように、オジェは困惑した表情のまま返事を返した。


 「アメリカは自由の国だよね?人権は保障されているし、発言も思想も自由だよね?それでも、わたしたちを殺す事が正しいと思うの?それがあなた方の正義ならばわたしを殺せば良いわ。でも、ももは助けて」


 「泣かないで、お嬢さん…何故?わたしを助けた…助けなければこんな矛盾に苦しむ事もなかった…何故…」


 百花に問う。


 困った様子の百花。


 重い口を開いた。


 「助けたのは…助けたかったのは世蘭だけなんや…うちは、はなから見殺しにするつもりやったよ…ていうより、あれはうちの狙い通りやった。ここら辺は火山活動のせいで水温が高いんや。割れやすうなっとるから、じらしてショートカットさせる作戦やったからな…」


 オジェが大声で笑い出した。


 まんまと罠にはまった事がおかしくて、それなのに助ける羽目になったこの少女たちのあまりにも純粋な行動に感動して笑いが止まらなくなった。


 「失礼。お嬢さん方。そういえば、今日はクリスマスイブだね?。わたしに出来る事があるかい?プレゼントじゃないが、命のお礼だ。出来る事があれば言ってくれ。」


 「プレゼントなら2時間欲しい。後続のワゴン車を2時間足止めして欲しいんや。頼めるか?」


 百花の申し出に驚きを隠せないオジェ。

 今度は世蘭に尋ねた。


 「君たちは囮かい?…何を守ってる?命がけで…」


 「ジャンボリー本部の手術室でこの娘の親友が手術を受けているの。あと2時間で手術が終わるわ。そうしたら脱出する手はずなの。だから、2時間下さい。」


 「行きなさい。後ろを振り向かずに。良いですか?必ず生きて脱出するんですよ。わたしが2時間をこの命に代えてもプレゼントしてみせるから、安心して行きなさい」


 笑ったオジェを後に、百花と世蘭はプリウスGSに乗り込んだ。


 「恩に着るぜチャンプ。でも、命は大切にしい。いつかターマックで決着をつける」


 「グラベルじゃ勝負にならんてか?小生意気な小娘だな。でも、今回は完敗だよ。」


 2度のパッシングをくれてバックでスピンをかけて反転した百花のプリウスGSが雪煙を上げて加速していった。


 見送るオジェ。


 「いつから、気がついていた?」


 「さてね。どうにもバツが悪くて起き上がれなくてね」


 ジムが上半身だけ起こして頭をかいている。


 「見事にはめられた感想は?」


 「それを聞くかね?」


 二人の笑い声が、静寂に包まれた雪景色の中に、吸い込まれる様に響いた。



 同じ時刻、真凛と莉乃は救護キャンプに到着していた。


 トラックから子供たちを降ろして、手を引きながら洞窟の奥へ向かう莉乃と真凛。

 力なく蹲っている怪我人を気遣いながらも早足で歩く。


 「ここは、思った以上にひどい状況ね」


 真凛はため息をついた。

 もしも、予想通りの展開ならば、この事態を招いた黒幕は真凛にとっては祖国という事になる。

 世蘭と立場が逆転してしまった真凛は、自分のするべき事を模索していた。


 「ペンタゴンへ直接連絡を取る手段さえあれば…とか考えてる?今は死んだ事にしておいた方が得策だと考えない?もう少し事態を把握してから考えた方がいいと思うよ。戦争を引き起こそうとする企みがある事に感づいて、護衛に派遣された日菜やわたしが、こんな巻き込まれ方をして、何も出来なくされたというのに、お嬢様育ちのあなたに何か手段があるとでも言うの?温和しくしてなさいね」


 「そんな長台詞でまくし立てなくても良いでしょ?これでも落ち込んでるのよ」


 やれやれという感じで、莉乃がおどけてみせた。


 「ここの責任者は誰?物資を運んできたのだけれど、何処に下ろす?リフトはある?」


 明人の看病を続けていた裕己と康幸に莉乃が話しかけた。 


 「責任者と言えるかどうか分からないけれど、ここを仕切っていたのは優那という女医だったよ。ただ、彼女は物資の調達に本部へ行ってるから今は不在だけど…」


 裕己の答えに真凛。


 「その優那の指示で物資を運んできたの。表にトラック2台分。だれかリフト使える?」


 声を出せない明人が二人に目で訴えている。


 「分かったよ。俺たちで下ろして運んでくる。明人。安静にしてろよ」


 「ここで、待っててね」


 子供たちをその場に残して、真凛と莉乃は、裕己と康幸と共にトラックから物資を運び込むため洞窟の外へ戻っていった。



 同時刻、友梨耶は白いプリウスαの助手席で気を失っていた。


 友梨耶は意識の奥で左腕が氷のように冷たくなっているように感じていた。

 まるで、血が通っていないみたいだ。


 「ごめん…まったくの無警戒だった。」


 優那は運転が苦手だった。

 こんな滑りやすい路面の上で、ワゴン車なんて運転出来るはずがなかった。

 優那にとってはどんな困難な手術よりも、こちらの方が遙かに難しい。

 でも、今、運転できる状態の人間は優那しか居ないのもまた事実なのだ。


 「まいったな。まさか友梨耶が気を失うほどの状態だったなんて。」


 それは、日菜の手術を終えた瞬間だった。 友梨耶は一瞬で墜ちた。

 突然の事で驚いた優那が友梨耶に駆け寄った瞬間、友梨耶は崩れ落ちたまま気を失ってしまったのだ。

 それでも、優那はなんとか日菜と友梨耶をストレッチャーに乗せ運び出し、白いプリウスαに乗せる事には成功した。

 友梨耶の足を見た時、優那は自分を恥じた。

 友梨耶は気を失わないように自らの足を痛めつけて、意識を保って手術をこなしたのだ。

 友梨耶の足には、ピンセットを突き立てて何度も傷つけた跡が、痛々しく残されていた。


 「わたしは、周りが見えていないのかも…ううん、周りに甘えているのかも…みんなが支えてくれているのに、甘えているだけなのかも…」


 運転に自信がない優那だが、ここでじっとしていたのでは囮になって敵を引きつけてくれている百花たちに申し訳ないと、勇気を振り絞って出発しようとした時。

 友梨耶が意識を取り戻した。


 「あっ?ごめん…運転代わるね…ゆうにゃんは寝ていて良いよ。疲れたでしょ?」


 視界が利かなくなって滲んだ画像が一気に流れ落ちた。

 くじけるとは、こういう事なんだと優那は実感した。

 全身の力が抜けて、気力が失われていくのを感じた。


 「えっ?ゆうにゃん?泣かないで…どうしたの?」


 「そんなにボロボロなのに…そんなに疲れ果てているのに…わたしなんかを気遣わないでよ…」


 ここに来て緊張が解けたのか、優那ははじめて泣いた。


 辛かった。

 悲しかった。

 でも、それ以上にうれしかった。

 こんな仲間が、出来たという事が。


 車を降りて雪で顔を洗う優那。

 助手席から降りて、運転席に移動する友梨耶は日菜が固定されている事を確認してから運転席についた。

 左腕の感覚は心許ないが、少し眠ったせいか、頭ははっきりしてきた。


 「忘れ物は無いよね?じゃ、戻るよ」


 足下の感覚を確認するようにゆっくりとアクセルを踏み込んで発進する白いプリウスαを折しも降りだした雪が、隠そうとしているようにも見えた。


 「甘えてばかりでごめん」


 唐突に優那が言った。


 「えっ?」


 優那の台詞に友梨耶は驚いた。

 甘えられたような記憶は無かったし、優那に甘えがあるなんて、友梨耶は想いもしなかったからだ。


 「もし甘えたいのであれば、甘えられる時があれば良いんじゃない?ゆうにゃんが甘えているとは思わないけれど、わたしに甘えられるならそれはそれで良いよ。あんたのようにはなれないけど、わたしも強くなりたいからね」


 「あなたも、十分に強いわ…ううん、あなたの方がわたしの何倍も強い」


 思い返すと、今日、出会った人たちにどれほど勇気づけられ、助けられてきた事だろうと優那は思った。

 自分の考えを押し通した場面もいくつかあったけれど、その都度必ず助けてくれた人が居た。

 救護キャンプへ戻る友梨耶と優那だったが、莉乃と真凛が通ったルートとは別のルートを走っていた。

 アメリカ軍のシャトルが降りた位置から逆に向かう意味もあったが、もう一つ、身体障害者のジャンボリー参加者が使っているロッジに立ち寄る事が目的であった。

 いくらかの医薬品のストックがある事を、知っていたからだ。


 しかし、そこで優那たちは最悪の光景を目の辺りにする事になる。



 救護キャンプで物資を裕己と康幸に引き渡した莉乃と真凛。

 裕己と康幸が荷物を仕分けしながら下ろしていく。

 他の軽傷者も協力しだしていた。

 ただ、救援を待っているのでは事態は好転しないと感じていたのだろう。

 少女たちが率先して動いているのに、何もせず、ただ無駄な時間を過ごす事を恥じただけかもしれない。

 確かな事は、この少女たちが空気を変えたという事だけである。

 明人の元に残した子供たちを、安全なところへ避難させてから、次の仕事に取りかかろうと考えた莉乃と真凛は、子供たちのところへ急いだ。


 「次は何をする?」


 「奥には重傷者が居るのだと思ったけれど、それほど重傷者は居ないようね。上手く選別したというか…助かる人から優先させた感じだわ。ゆうにゃんの精神力ってどこから来るのかしら?あの娘。どんな生き方をしてきたのかな?」


 莉乃が疑問を持ったのはもっともな事であった。

 通常の医師ならば、重篤な患者を優先して助けようとするため、重症患者が幅を利かせる結果、医薬品や器具が不足し軽症患者の手当にまで備品が回らなくなる。

 しかし、ここを見る限り、軽傷者への配慮が行き渡って見えた。


 「彼女、災害派遣医療チームだったと思うよ。以前、新聞記事で読んだ記憶がある。今回のジャンボリーにはアメリカと日本の災害派遣医療チームが率先して参加したって聞いていたし…」

 真凛が記憶を呼び戻しながらそう答える。


 「DMATね。何というか、納得だわね。日本のDMATも優秀だわ。」


 3人の子供たちが見えた。

 意外にも、温和しく明人の傍らでじっと真凛と莉乃をまっていた。


 「ありがとう。お姉ちゃんたちの用事は済んだから、奥へ避難していようね」

 子供たちの手を取って奥へ歩を進める真凛と莉乃。

 人影が見えなくなって、器具や備品が積み上げられ、倉庫のようになっている一角に進んだ莉乃と真凛は大きな扉の前で何かを見上げたまま固まっている二人の少女を見つけた。

 亜紗美と真梨耶であった。

 二人とも、動かない。


 「ここで、待っていてね。良い?動いちゃ駄目だよ」


 子供たちを置いて扉の方へ歩を進める真凛と莉乃。

 だが、彼女たちもまた、見上げたその物体に視線を向けて硬直してしまう。

 時間は流れ続けていく。



 泣き疲れて眠りについた、助手席の優那に視線を向けた友梨耶は、今日という日を振り返っていた。


 「ゆうにゃんか…あんたが居なかったら、どうなっていたのかな?…」


 看護師として再出発を決めた友梨耶が今回のジャンボリーに参加したのは、各国の少年少女の安全を守るためではあった。

 単純に怪我や病気からという意味もあるが、こんな騒動も実は想定の範囲であった事は、誰にも話してはいない。

 妹の真梨耶にも話せてはいなかったのだ。

 こうならないための手立てを施してきていたはずだった父と、連絡が途絶えたのは数週間も前だった。

 しかし、既に惑星軌道に入っていた友梨耶は、予定通りのスケジュールをこなすしかなかったのである。

 冷静に考えるとこの事態は1年以上も前から企まれていた計画という事になる。

 トリガーとして選ばれた大使(子供たち)が、彼らだとすれば、そうだが、このジャンボリーが計画された3年前からでもおかしくは無い。

 各国の代表の子供が集うイベントという意味でなら、このジャンボリーが最大の規模だからである。


 「でも、これはいったいどういう事なのだろう?こうも関係する人間に共通点が多いのは想定外な気がする。ももと世蘭はともかく、この優那でさえ…」


 MISSING ONE HUNDRED YEARの関係者が多すぎる事に友梨耶は困惑していた。

 考えが及ばないうちに白いプリウスαは目的地へと到達しようとしていた。

 林を抜けて視界が開けた時、ロッジ群が目に飛び込んできた。

 爆撃された様子はなく、建物に被害がある様子も無かったため、友梨耶は胸をなで下ろした。

 しかし、それはほんの一瞬であった。

 正面の大きなロッジに横付けしようとして友梨耶は悲鳴を上げる。

 数十人いや数百人の遺体が入り口を塞ぐように、積み重なっていたのである。

 友梨耶の悲鳴に優那が目覚めた。


 「何?…」


 まさに地獄絵だった。

 優那は言葉を失った。


 「ここ…身障者の宿舎だよね…なんてこと」


 本部に人気が無かった理由はこれだった。

 身障者の避難を助けるため、本部の人員が全てここに投入され、それを排除するために用いられた兵器が、おそらく化学兵器のVXガス。


 「使用が禁止されている兵器よ…地球を離れれば、何をしてもいいとでも言うの!」


 残存物がどの程度か分からない以上、近づく事すら出来ない。

 これだけの人間が吸い込んだ以上、遺体の肺に残存しているガスで危険が及ぶ可能性も大きい。

 諦めて立ち去ろうとした友梨耶がバックにギアを入れた時。

 一番奥のロッジの窓に人影が映った。

 それは明らかに子供のものだった。

 優那はその陰を見逃しはしなかった。


 「友梨耶。子供が居るわ。奥のロッジ」


 友梨耶は目をこらして見たが、もう人影は見えなかった。

 この惨状で生き残りが居るとは思えなかったが、優那がそう言うのであれば、間違いはないだろうと奥のロッジまで注意しながら車を移動させる友梨耶。

 一番奥の小さなロッジの玄関先に白いプリウスαを駐めて、優那と友梨耶は車から降り立った。

 周囲に気を配りながら優那と友梨耶は玄関からロッジに入っていく。

 犠牲者が多かった正面の建物とは違い、人影は無く、逆光の中、幼い少女と少年が迎える格好となった。

 白杖を持った少年は、目が不自由なようだ。


 「たすけて下さい。妹だけは」


 少女を庇うように抱えた少年は、おびえ切って、そう言うのが精一杯だった。

 優那と友梨耶は言葉を発する事も出来ず戸惑っていた。

 どう声をかければ、安心してもらえるのか全く分からなかったからだ。

 沈黙を破ったのは少女だった。


 「お兄ちゃん。違うよ。この人たちは兵隊さんじゃ無いみたい。攻めてきた人たちじゃ無いよ。」 




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