冥界の支配者〜神は退屈に倦む〜
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現在の緋耀に勝てるモノなど、冥界には存在しない。
『女神の使者』を除いて……、と付け加えるべきだろうか?
いかな女神の指示でも、王子の側近の真似事など、酔狂が過ぎる。
王が人間界で緋耀を『見つけ』たのも、砂久弥の誘導だろう。本来なら『王』は知らないままだったのだ。
何故ならば、冥界が奏上する『相手』は『夜闇』の『神』で、冥界に関する事柄ならば、それを決裁するのは『冥王』だからだ。
だが、冥王を知らない筈の砂久弥が、報告する『相手』は『女神リルーラ』で、当たり前だが女神は『冥王』が『誰』かを知る。
女神は何を思ったか、王に『冥界の主』が妖狐の長だと告げた。
もちろん。
女神の『詞』を『王』に伝えたのは、通詞たる砂久弥だった。
確信犯に見えたのは、仕方がない。
砂久弥は『冥王』を知らないのに、まるで総てを知るが故の狡猾な『悪戯』を成したかの様だった。
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嫣然と嗤う女に。
王は見惚れた。
もしも、その『事実』を知らなければ、本気で囚われていただろう。
「一緒に還ろう。」
「何処に?」
含み笑い、囁いた『声』に、王は眩惑されて冥界を忘れかけた。
このまま。
女の傍に暮らしたいと願った。
妖狐除けの煙りが香り、王は助かった。
人間の『女』の姿なのに、蠱惑のチカラは妖狐より強い。
「どうか、お戻りを。」
王は『柄』にもなく『素顔』を見せた。
本音を見せない王が取り繕う事も、愚者を装う仮面も忘れ、真剣に告げた。
「トワさま。」
その『名称』に、『女』は微かに眉を顰めた。
その表情もまた、美しい幻のようだった。
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永久と黄泉。
二つとも、最強と呼ばれた妖狐の名だ。
しかしトワは妖狐だが、ヨミは妖狐では無い。
それでも永久は黄泉である。
イコールでは結ばれない矛盾がそこにある。
緋耀と呼ばれるようになるまで、彼には真名と隠し名しか無かった。
神意を得る名を秘して、単なる識別の為だけに、適当に決めた。決めたと云うよりは、いつの間にか呼ばれていた。
賊の真似事をして遊ぶ間に、よく着る衣の襲の色で呼ばれた。
返り血を目立たせない為だけに、着ていた衣だった。
ヨミの名は『冥王』がセルストに代わり、『夜闇神』に成る為の……『代行者』としての『名前』だ。
セルストはアレで、夜闇全ての神々に慕われている。その敬愛は『黄泉』にも向かうが、セルストには『冥王』が居るが『黄泉』には『冥王』が居ない。
だから『黄泉』の名は『無かった』事とされた。
それは。
主に冥王の思惑に拠るところである。
さて。
対するは『永久』の名称だが。
トワは冥界の『持ち主』の名だ。
トワとしての職務を放り投げ、千年近くも『ただ』の『妖狐』として『生きた』彼が名乗る訳も無い。
故に。
それも永く秘された。
秘事と云うよりは、記憶すら封じた『カレ』は、それも『忘れた』と云うだけだったのだが。
皮肉と云うべきだろうか?
レテに流されて。
妖狐は自らが『何者』かを思い出してしまった。
人間の姿で。
夜闇の神殿に伺候すれば、セルスト神が爆笑した。
セルスト神。
二度目の爆笑だった。
一度目は『妖狐』がレテに流された時だと報されて、人間の幼い少女が『冥王』の『力』で神殿を破砕した。
夜闇神は暫く、冥王と遭うのを止めた。
セルスト神の爆笑は、危険を喚ぶからである。
つまり。
大変珍しい事に、セルスト神は『暫く』の期間、冥王を『視』るだけで退屈を忘れたのだ。
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千年は神にとっても、決して短い期間では無かった。
当たり前だが、冥王不在で夜闇の神々が混乱しない筈も無い。
しかし、統制をとる冥王は、当然だが……千年も神殿を空けたりはしなかった。
冥王は時軸の神である。
しかし、時間を操った訳でも無かった。
単に、器を二つに分けただけである。
妖狐は眠りの中で、冥王の器に目覚めた。妖狐が目覚める時には、夢も記憶も『ドコ』にも失かった。
王子に敗北した妖狐は、復讐を誓ったが。
人間として生まれたのは………『ただ』の『妖狐』でも、況してや『トワ』の『妖狐』でも無かった。
紛れもなく。
それは夜闇ナンバー2の『冥王』たる神であった。
冥王は『ちっぽけ』な『キツネ』の怨みに苦笑するしか無かった。
先ず。
その昔。冥王はひとつの世界を与えられた。
冥王の仕事のひとつ、死者と時を操る神殿のひとつとして、その世界を使う事にした。
それは仕事のひとつに過ぎなかった。
その世界は混沌を多く含んだ。
冥王は罰を与える死者と、安らぎを与える死者の場所を区切った。
安らぎの場に、魂を保管『されて』いた死者達が、ある日、冥王に上奏した。
危険な『モノ』が増えて、死者たちは安全を求めていた。
冥王は死者の場と、その『モノ』たちの場を区切った。
その世界は冥王のモノだから、冥界と呼ばれる様になった。
その『モノ』たちは、妖と呼ばれ、じきに妖怪と名付けられた。
彼らは好戦的で、享楽的で、気紛れで、眺めていると楽しかった。
人間より大分強かったが、冥王がその地で仕事をすると覿面に弱った。
その地に降り立つ時、冥王は力を封じるようになった。
冥王にとって、そこでの仕事は息抜きの様なものだった。
もしも、自分が忙しい時は、代わりになる者が必要だろう……と。
闇大神から一柱、助手を選んだ。
冥界のモノにとっては、冥界が全ての世界で、片手間の仕事も……そうは思えないのが当然だった。
冥王は『永久』に彼らの『神』で、冥界を管理する『支配者』だった。
だから闇大神は、その『代行者』たる存在として、大層な扱いをされた。
たまたま、同じ種族の姿をしていたから、そして……闇大神の方が、年配に『見える』から、彼は冥王の年輩の親族と見做されて周章てた。
冥王は他人ごとの様に笑った。
冥王は冥界の『持ち主』及び『管理者』として、『トワ』の名を冠された。
黄泉の名を拒否する冥王は、その『名』を歓迎した。
気楽な『トワ』の立場を楽しんだ。
その昔、冥王はトワと呼ばれる生活の中、冥王で在る己を封じた。
眠りと共に、冥王となり、トワとなった。
その昔。
冥王は女神に恋をする自分に倦み、トワでいる間は気楽なキツネになった。
しかし。
冥王にとっては、冥界での仕事は息抜きでしか無いが。
冥界しか知らない『モノ』には重い立場になる。
その昔。
トワは。
己の立場を倦んだ。退屈な永い命に飽いだ。
誰もが、自分よりずっと非力で、ずっと短い『イノチ』しか持たない。
記憶と力を封じて、気楽な『ただ』の『キツネ』になった。
気楽なキツネの筈の妖狐は、冥界では既に名門と呼び名も高い、妖狐一族の長である。
当然。
トワの立場を消しても、仕事までは消えない。
トワの仕事は妖狐一族の仕事になった。
その昔。
永い命と退屈に倦んで。
妖狐一族の長が。
妖狐の郷から出奔した。
冥界の本当の支配者は、そのキツネだと云う……伝説が有った。
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「親父……何をしている。」
低く恫喝する声は、やはり場違いな程に、奇妙な艶を帯びている。
冥王の意識を宿したまま、トワは微かに笑った。
殺したい程に憎悪した相手は、冥王が本来の『力』を解放したなら、多分ソレだけで砕け散る脆い存在だった。
記憶は全ての枷が外れてしまったが、チカラは永久の封印が残っている。
だが、そのトワの眸で『視』てさえ……この男のチカラは矮小だった。
それが。
残念だと感じてしまったのは、何故だろうか………。
暫くの間。
トワには理解出来なかった。
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