◇光の檻~とある神の誕生~下
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女神白華は女神と呼ばれる割に、女性を感じさせなかった。寧ろ、男神の性質のほうが、より高いと云えた。しかし、白華は変わらず女神と呼ばれる。
無性である以前に、男性体をとる事が多い白華が、女神と呼ばれ続ける。その不自然を、声に出して指摘するモノは存在しなかった。
女神白華は冥王の側近中の側近である。
本来なら、生まれる筈が無かった女神。本来ならば、別の女神に成った筈の人間。
既に存在する女神が消えることなく存在し続け、故にこそ………それはIfにすらならず棄てられた未来だった。
冥王の左右を担う側近、光と闇。
その光と喚ばれる女神白華ですら『廃棄された未来』と見做す、本来の『未来』。
そんなモノは、冥王が知らぬ振りをして、当の女神が『忘れた』ならば、それは『無かった』事と同様だった。
あったかも知らぬ未来がどんな『姿』だとしても、それは所詮違う『存在』だ。例えば、冥王とトワは一時期は同じ存在であったにも拘わらず、別の神でしか無い。白華はその『もしも』の『未来』を知る事すら無い。混同する訳が無かった。
それでも。
全く関わりが無い訳でも無い。
相似すら感じられぬ神を、女神と喚ばう。
その理由は、その一筋の『縁』だけで足りた。
女神リルーラの檻からウマレタ女神。
その『縁』を知るが故に、周囲が秘められた『縁』を知る日は来ない。疑念すら抱かせず、女神と冥王は唯二柱、彼らだけの秘密の数をまたひとつ、重ねた。
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檻の中で、白華は疾うに神だったが、その自覚は無かった。
故に、白華が神に成ったのは檻を出た日だと云うのも、強ち間違いでは無い。
白い空間から白に染まった神が初めて『外』に出た。
そこには、白華に白華の名を与え、白華の唯一の主となる冥王の存在があった。
その存在は圧倒的だった。しかし、圧倒されるよりも尚、奇妙な慕わしさに白華は困惑した。
その困惑に、冥王は僅かに笑みを零した。
失笑……だと白華は思った。
冥王は、白華にその『名』を与え、周囲が驚く程の寵を示した。にも拘わらず、白華が冥王に抱く思慕にも近い慕わしさやその忠誠を、皮肉に感じる様子だった。
それが、白華にはワカッタ。
不思議なのは、他のモノは、例えば、白華と並ぶ側近である黒曜と呼ばれる夜闇の大神ですらソレに気付かない事実である。
白華は己が他者の感情に敏い方だとは思わなかった。鈍くも無いが、少なくとも、本来ならば黒曜のほうが他者の思惑にも感情にも敏感だろう事は確かだった。
どうやら、己のこの『敏さ』は冥王にのみ発揮されるらしい。そう白華が悟る迄に長い時間は必要無かった。
多少なりとも、似た様な感触を覚えたのは、夜闇の最高神であるセルストに対してだった。セルストにも、何処か懐かしさを感じた。しかし、冥王に対する程では無かった。
冥王をこそ至高として、最高神セルストにすら膝を折らない神は実の処少なくは無かった。セルストがそれを不快とするならば、夜闇の神殿は日夜を問わず神々の『死』に彩られただろう。
そう。神ですら『死』は存在する。
それを与える事が出来る程の強者を相手にして、尚膝を屈する事が無いのは、しかしセルストがその事実を……己より冥王を崇める存在をすら、愉しむからでさえ無かった。
神は嘘を吐けない。それは詐称する神と呼ばれる、夜闇の神々ですら例外では無かった。
騙り、詐称し、偽る神々も、決して嘘をつく訳では無い。それは事実でしか無かったが、広く知られた話でも無かった。
無論、夜闇の神ならば、当たり前に知り、実感する事実だ。しかし、一部の人間すら事実として知り乍ら、月神系には明確に嘘だと思っている神も存在した。
それすら偽りだと、疑念は尽きる事が無い。
思わせ振りに、嘘などひとつも口にすることなく騙すのが、夜闇の神々の身上である。
しかし。
捧げた忠誠まで偽る事は出来なかった。捧げた相手にならともかくも、そうでない相手にまで真っ正直に伝える必要は無い。
無いが。
偽れないのは、流石最高神と喚ぶべきか。
それなりに。
セルストにも敬意を表する冥王フリーク達であった。
敬意の表し方もまた、夜闇らしいと云うところかも知れなかった。
だが。
白華の場合は、それともまた異なる。己にも明確な言葉で表す事は難しい。
しかし。
違う事だけは理解した。
だが、また。
それらと同様の気持ちが無い訳でも無かった。
白華の魂魄に刻まれた本能とは違う部分で、白華自身の想いは冥王に恋着した。恋などと云うのも憚るくらい執着し、溺れるが如く夢中になった。
冥王に魅了される存在など珍しくも無い筈で、歯牙にもかけられないのが寧ろ当然。また、冥王は決して配下を寵愛する事は無かった。
だが。
白華は冥王の寵を獲得した。
白華は冥王の特別になり得た。
しかし。
その優しげに触れる指先が、甘く囁く低い声が、魅了する魔力に痺れる白華に………知らしめた。
冥王は、白華に愛され、執着される事実を、疎ましくは思わないまでも………………有り得ない程の皮肉な現実として捉えている。
それは最早、冥王に疎まれる事よりも深い衝撃である。
冥王の視界に入れない事など、当たり前と呼べる不倖だ。それを不倖と呼べない程に当然であると云うのが常識だった。
来るもの拒まずの性情ではあるが、だからと云って冥王に愛されるかと云えば、否と云うしか無い。配下に寵を与えない冥王が、それでも白華を寵愛した事を不審とされ無かったのは、その性情故であるし、特別と云われはしても、白華が冥王に『愛され』ている等とは誰も思いはしない。冥王は誰も愛さない。唯一の例外を除いて。
寵『愛』と云う言葉を使用しても、そこに『愛』など存在しない。それは当たり前の事実に過ぎないのだ。
だが、冥王を愛さないモノなど存在するだろうか?それこそ、唯一の……口にするのも憚る『禁忌』たる御方でさえ、冥王が希むそれとは違えど愛しているには違いない。
そして、冥王はその苦痛すら慕わしく舐めとり甘露と味わうのだ。
白華の慕情を、皮肉と感じる。
冥王が誰かを厭う事もまた稀では有るが、それは皆無では無い。しかし…………愛される事に不審を覚える冥王など冥王では無い。
だが、実際に、その事実があるのである。
なんたる矛盾。
しかし、冥王の孕む矛盾は『そんな』ものでは無い筈だった。
白華しか感じない。
白華しか知らない。
冥王の有り得ないソノ……否定。
白華は知らず嘆息する。
冥王の唯一無二の存在は女神リルーラに他ならず、リア・リルーラ以外は『どうでも良い』存在として棄ててしまえるのが冥王だった。白華の存在も、その例外では無い。白華は知っている。
白華が喩え明日滅する事が決まっているとしても、冥王は一筋の動揺すらその涼しげな面に浮かべないだろう。心を隠すまでも無く、何処までも関心が無いからに他ならない。
だが。
白華は知る。
冥王は白華が捧げる愛情には、決して無関心では無かった。
月神系列の最高神たる、主月神シ・エン。
彼の神に見えた日、白華はセルストに対するモノと、似て非なる慕わしさを覚えた。それは懐かしさにも似ている。
不思議な感情だと白華は思った。
だが。
それだけだ。
慕わしく『感じた』からと云って、何がどうなる話でも無く、特に何をしたい訳でも無かった。
有り体に云えば、不遜ではあるが………そこまで興味がある事でも無かった。シ・エンにもセルストにも、魂魄の片隅が牽引され、曳かれ、確かに惹かれはするし魅力を覚えない訳では無いが。
逆を云えば、単にソレダケの事なのだ。
白華の存在は、その想いは、魂魄は、冥王に捧げられている。白華にとって、唯一無二の存在は冥王でしか無く、その他のモノは『どうでも』よかった。
白華がシ・エンに何ら興味を持たなかったその日。白華は冥王の静かな視線を感じた。
冥王が、シ・エンに惹かれない白華を………不思議に感じたのが、ワカッタ。
何故か、冥王は白華がシ・エンに惹かれ、その魂魄を捧げてもオカシクない……いや、寧ろ、そう『なる』と考えていた事を知った。
何故、冥王は白華の想いを疑うのだろうか?
そう白華は考えた。
偽る事など、神たる身で出来る訳も無い。冥王は白華の想いを知っている。
そこに疑念の入る余地など無いが、確かに『疑って』いるとしか云い様が無い程に。白華が捧げる想いを、何処か、否定しているが如き冥王が存在する。
それを、白華の気持ちを疎む故かと苦しんだ日々もあった。
しかし。
冥王は白華に対する愛情など欠片も無いが、白華が捧げる愛情には無関心では無く、他者に渡したく無いと感じている事を知った。
それを知った日。
白華はただ。
歓喜した。
白華が消滅しても、何ら感慨を懐かないだろう冥王が、白華が冥王以外の神に気持ちを傾ければ『不快』と感じる。
それは。
決して愛情では無かった。
白華など冥王には『どうでもよい』存在でしか無い。
それでも。
捧げたこの魂魄を、受け止めて貰えた気がして、嬉しかったのだ。
神々の恋慕など。
所詮は狂気の沙汰でしか無い。
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