幸福論
誤字報告ありがとうございます(^^)
R8.10.1 少し内容を加筆修正しました。大きなあらすじは変えていません。
12歳の夏。
領地に見回りに行っていた両親が、馬車の事故で亡くなった。
その時、初めて知った事実。
――俺は養子だった。
子供のいない子爵夫妻が、妻の遠い親戚から貰い受けた赤ん坊。
それが俺だった。
だが、両親は――養父母は、俺を実の子のように可愛がってくれた。
なので俺は全く気付かなかった。
自分が彼らの本当の子供ではないということに。
養父母の死と共に知らされたその衝撃的な事実は、多感な年頃の子供の心をくしゃくしゃに壊すのに十分だった。
結果として俺は、ひどく暗い無口な子供になった。
爵位を継ぎグリーンズ子爵当主となったものの、まだ12歳の子供の俺には領地を治めることなどできるはずもない。
親族が集まり話し合いが持たれ、俺が成人するまでの間は後見人が付くことが決まった。
そこで突然現れたのが、養父の弟だと名乗る人物。
確かに彼は、養父の実の弟だった。
彼は素行が悪く、若い頃に勘当され行方知れずになっていたのだ。
今はすっかり落ち着いていて、若い頃の自分の行いを心から恥じていると語った彼を、親族達は信じることにしたようだ。
結果として、彼が俺の後見人となり、グリーンズ子爵領を任されることとなった。
彼は本当に養父と血が繋がっているのか、と疑いたくなるほど俗悪な人間だった。
酒や賭博に溺れたその男は、驚くべき速さで子爵家の財産を減らしていった。
そんな風に養父母が大事にしていたグリーンズ子爵領がどんどん食い荒らされていくのを、俺は黙って見ていることしかできなかった。
なんとかするには俺はあまりにも幼かったし、周りに頼れる大人もいなかったからだ。
俺には、7歳の時から婚約を結んでいる相手がいた。
養父母が隣の領地の伯爵夫妻と仲が良かったことから結ばれた婚約だった。
セシリア・オールコート。
オールコート伯爵令嬢。
金髪に青い目の美しい少女。
木登りや川遊び、かくれんぼや鬼ごっこ。
そんな子供らしい遊びを一緒にする友達だったセシリアは、成長するにつれ輝くばかりに美しい令嬢になっていった。
同い年だった俺とセシリアは、16歳になると王都にある学院に通うことになった。
王都はお互いの領地から離れている。
なので、二人とも寮に入ることとなった。
俺はあの俗悪な後見人から離れられて嬉しかったが、セシリアは、家族と離れて寂しそうにしていた。
だから俺は、セシリアが寂しくないように、できるだけ彼女に寄り添うようにした。
セシリアも俺を一途に慕ってくれたので、学院では仲睦まじい婚約者同士として評判だった。
そんな幸せな学院生活も残りわずかとなったある日。
あの後見人が拵えた莫大な借金のせいで、俺はグリーンズ子爵領を手放さなければならなくなった。
あの男は借金をする際に、子爵領の土地を勝手に抵当に入れていた。
最初は僅かな土地のみだったが、次第にグリーンズ子爵領のほとんどが抵当に入れられてしまった。
そして、借金返済がどうやっても絶望的な状況に至った時、あの男の姿が消えた。
俺は絶望した。涙も出てこないくらい。
セシリアは、自分の父親であるオールコート伯爵に頼んで、なんとか借金の返済を手助けしてもらおうと言ってきた。
でも、その時の俺には、そんな惨めな提案は受け入れがたかった。
さらに言えば、自分が彼女に相応しい相手ではなくなったことに気付き、ひどく絶望した。
セシリアは美しい少女だった。
姿形だけでなく、その心根までも。
朗らかで心優しいセシリア。
賢くて、勇気があって、多くの人から愛されるセシリア。
そんな彼女を見初め、俺という婚約者がいることを知ったうえでもなお、交際を申し込む者が後を絶たないくらいにセシリアは人気があった。
その中には、公爵家の次男や侯爵家の嫡男のように、条件の良い格上の令息達もいた。
今にして思えば、俺は随分と卑屈になっていたようだ。
周りがすっかり見えなくなり、頼れる者は誰もいない、自分の力だけでなんとかしなければならないと、そう思い込んでいた。
そして、一生懸命に俺を支えようとしてくれるセシリアにすら、心を閉ざすようになっていった。
そんな俺が考えに考えて最後に選んだ道は、大きな商会を持つある老人に『俺自身』を買ってもらうという方法だった。
その老人は、金で男爵位を手に入れたとされる男だった。
だが、かつて何かの折に、養父母は彼のことを信頼できる人物だと話していた。
彼は徹底した利害関係や損得勘定で動くが、悪事に手を染めたり、筋の通らない不義理は絶対にしない。商人としての矜持を決して失わない、高潔な人物だと。
それを思い出した俺は、藁にも縋る思いで彼の元に手紙を送り、会って話す機会を得た。
俺は老人にこう持ち掛けた。
俺と、グリーンズ子爵領を買ってくれないか、と。
正確に言うとこういうことだ。
グリーンズ子爵家の借金を肩代わりして欲しい、その代わり、俺はなんでもする。
老人は、しばらくの間黙って目を閉じ――次に目を開けると、『いいだろう』と頷いた。
俺は老人から得た金で借金を返し、同時に『グリーンズ子爵』という爵位を老人に明け渡した。
有難いことに新たにグリーンズ子爵になった老人は、慈悲深い領主として領民達を大事に扱ってくれた。
爵位を譲った俺は、平民になったと同時に、卒業を待たずに学院を自主退学した。
そして、老人が隣国に興した商会に放り込まれ、そこで一から商売を叩き込まれることとなった。
セシリアとは、婚約を解消した。
彼女はそれを頑として拒否したが、平民になった俺と伯爵令嬢である彼女とでは、とてもじゃないが身分が釣り合わない。
セシリアの父オールコート伯爵は、何も手助けしてやれず済まない、と言ってくれた。
伯爵夫人は、あなたを息子と呼べなくて本当に残念だと涙ぐんでいた。
養父母亡き後、彼らは俺に本当に優しく接してくれた。
なのにその恩を返せないことを、俺は心から詫びた。
セシリアは、俺に付いて行く、と言い張った。
婚約者ではなくなったけれど、私は今でもアンソニーを愛している。
絶対にあなたから離れないと言って泣いた。
俺はそんなセシリアを宥める様に言った。
俺なんかと一緒にいたら、君まで不幸になってしまう。
君は新しい相手を見つけて、その男と一緒に幸せになって欲しい。
平民として隣国に行くことになった俺には、とてもじゃないがセシリアを幸せにすることはできない。
どうか俺のことは忘れて、幸せになって欲しい、と。
だがセシリアは、そんなのは貴方の勝手な思い込みだ、と言って聞かない。
彼女は幼い頃から言い出したら引かない性格だったな、と思い出し、こんな時なのにふっと笑ってしまった。
次の瞬間、右の頬が熱くなり――次いで痛みが走った。
呆然としている俺の目の前でボロボロと涙をこぼしながら、絶対に嫌だからねと叫ぶセシリア。
その右の手のひらが赤くなっていることに気付き、俺は慌ててセシリアの侍女を呼んだ。
侍女に、彼女の手を冷やすように言いつけると、俺は急いで部屋を出た。
馬車に乗り込もうとしているとき、屋敷の窓が勢いよく音を立てて開き、中からセシリアが叫んだ。
『貴方は間違ってるわ! 私の幸せは、貴方が言うようなものじゃない!』
そうだった。
彼女は物凄く負けず嫌いだった。
おとなしそうな見た目のせいで、大抵の人はそれに気づかないのだが。
小さな頃から多くの時を過ごして来た俺は――そう俺だけは、彼女の本当の姿を知っている。
そう思うと何故かまたふっと笑いそうになってしまう。
だが、それを咎めて叩いてくるセシリアはもう、遠い存在になってしまった。
馬車が家に着くまでの間、俺はずっと涙を流し続け、心の中でセシリアの名を呼び続けた。
※※※
あれから十年が経った。
隣国で商人として鍛え上げられた俺は、いつしか商会に多くの利益をもたらすようになった。
それと同時に、商会での地位も上がって行き――ついにはあの老人の跡を継ぐまでになった。
その時になって初めて明かされたことがあった。
驚くべきことに、あの老人は、俺の実の祖父だったらしい。
俺が一人前になるまでそのことを伏せていたというその老人は、穏やかな笑顔で『よく頑張ったな。これは祖父から孫への贈り物だと思って受け取れ。商会も、グリーンズ子爵の爵位も、領地も、全部お前に譲ることにする』と言った。
その後、俺は正式にその老人の養子となり、再びグリーンズ子爵となった。
爵位を継いですぐのこと。
俺は領地の見回りのために、十年ぶりにグリーンズ子爵領を訪れた、
久しぶりに戻った領地は、たいして変わっていないようで何かが決定的に変わっていた。
俺が離れる時に見たグリーンズ子爵領は、あの愚かな後見人のせいでかなり荒れていた。
だが、今、目にしているこの場所は、ずいぶんと活気に満ち溢れている。
行きかう領民達は皆幸せそうで、貧しさに苦しんでいる様子は見当たらなかった。
改めて老人――祖父が、きちんと領地に目を配っていたことを理解し、心から感謝した。
馬車であちこちを見回っている時、ふと、セシリアのことを思い出した。
――いや、その言い方は正確には正しくない。
十年経った今でも、俺の頭の中からセシリアが消えることはなかった。
そう、ひと時も忘れたことはないのだ。
オールコート伯爵邸は、馬車で行けばそう遠くない場所にある。
あれからもう十年。随分と長い時間が過ぎた。
今なら会っても問題ないのではないだろうか、と誰にするでもなく言い訳をし、御者に向かってオールコート伯爵邸に行くように告げた。
オールコート伯爵邸に着くまでの馬車の中で、俺はセシリアに会って何を言うべきか考えていた。
そしてふと気づいてしまった。
今、彼女はもう、そこにはいないのではないかということに。
オールコート伯爵には息子がいる。
セシリアより5つ年下の弟だ。
彼が爵位を継ぐことが決まっていたため、セシリアはどこかの家に嫁ぐことになっていた。
あの婚約破棄から十年。
お互い28歳になっているのだ。
常識で考えたら、セシリアはどこかの貴族家に嫁ぎ、子供が数人いてもおかしくはない。
そうだ、セシリアはもう、結婚して幸せになっているかもしれないのだ。
セシリアを手に入れた幸せな男は、一体誰だろう。
あのいけすかない公爵家の次男か。
それとも、腹黒い侯爵家の嫡男の方だろうか。
婚約破棄が瑕疵となり、婚家でセシリアが不遇な扱いを受けたりはしなかっただろうか。
自分の目の届かないところで、セシリアが泣くことがあったかもしれない。
そう思うと、心が引き裂かれるような痛みを感じた。
でも、と急いで思い直す。
それでも、平民になった俺と一緒に国を出るよりは、余程幸せだったろう、と。
馬車がオールコート伯爵邸に近づくにつれ、段々と動悸が激しくなってきた。
あれから十年だ。
十年も経ったのだ。
もう、お互いの今の姿を知ったところで、どうにもできはしないのだ。
そして、ついにオールコート伯爵邸に馬車が着いた。
新しくグリーンズ子爵領を継ぐことになった者だ、と出てきた初老の家令に告げる。
彼の顔には見覚えがある。
俺とセシリアが木登りをして遊んでいた頃、危ないですよ、と言いつつ側で見守ってくれた優しい執事だった。
家令は驚いたように目を瞠り、声を詰まらせた。
だが、すぐに落ち着きを取り戻し、有能な家令らしく頭を下げた。
応接室に通された俺は、懐かしさに思わず部屋中を見回してしまった。
ここを鬼ごっこで走り回り、キャビネットの中の稀少な酒が倒れるのを危惧したメイドに何度叱られたことだろう。
思わず、頬が緩み、口の端が持ち上がる。
そんな風に懐かしさに浸っていると、扉が開き一人の若い男が現れた。
セシリアの弟、今代のオールコート伯爵だった。
型通りの挨拶を済ませ、それぞれの家族について話す。
先代伯爵は少し前に隠居し、夫人と楽しく旅行に行ったりしているのだと彼が言った。
お元気そうで何よりです、と笑顔で応じる。
そんなことより、俺が聞きたいのはセシリアのことだった。
だが、オールコート伯爵は、一向に姉の話をしようとしない。
我慢できなくなった俺が、「姉君は今、どちらに?」と問うと、彼は、やっとその話を始めたかというように大きく頷いてこう言った。
「その話をする前に、見て頂きたいものがあります」
そして、彼は懐から一通の手紙を取り出しこちらに寄越した。
「もしも、あなたが姉を訪ねてここに来たとしたら、これを渡して欲しいと……」
嫌な予感がした。
急いで封を開け、手紙に目を通す。
それはセシリアから俺に宛てた手紙だった。
※※※
親愛なるアンソニーへ
直接、自分の口から思いを伝えることはとても難しいので、こうして手紙に書くことにしました。
私は怒ってます。
私を置いて、隣国に旅立った貴方のことを。
あんなにお願いしたのに、私の言う事を一切聞かず、父の手を借りることを拒み自分一人で何もかもを決めてしまった貴方のことを。
憎くて憎くて、腹が立って、悔しくて、悲しくて、それでも大好きな貴方のことを。
こんなにも惨めな思いをしても、それでも貴方のことを諦めきれない自分のことも。
朝起きてまず思うのは、貴方の事です。
部屋のカーテンを開け窓の外の空を見上げ、今、貴方は何をしているのだろうかと考えるのです。
晴れた日に二人で庭を散歩したときのことや、曇り空の下で顔を寄せ合ってお喋りしたこと。
雨の日に二人で窓から外の景色を眺めていた穏やかな時間。
どんな天気であっても、貴方と過ごした時間を思い出してしまうのです。
そして、眠りに落ちるその瞬間まで、ふと気づくと私は貴方の事を考えているのです。
なのに。きっと今、貴方は私の事なんてすっかり忘れて、美味しいものを食べて笑顔になっているかもしれない。
そう思うと物凄く腹立たしいのに、そうあって欲しいとも思うのです。
貴方は私に言いました。
幸せになって欲しいのだと。
自分では私を幸せにできない、だからどうか自分のことを忘れて、他の誰かと幸せになって欲しい、と。
貴方がどれほど私のことを思っていてくれたのか、今の私はそれを十分に理解しています。
でも、それでも。
いえ、それを理解した上でもなお。
私は貴方に怒っています。
何故なら、貴方は間違ったことをしたからです。
貴方が用意してくれた幸せは、私が望む幸せではありません。
幸せということを私なりに考えてみたときに、真っ先に思い浮かぶのは貴方の笑顔なのです。
私の名前を呼びながら、手を差し伸べてくれる貴方の優しい笑顔。
その笑顔を失わないことこそが、私の考える幸せなのです。
そう、貴族として裕福な生活を送ることよりも、貧しくとも愛する人と暮らすことの方が、私にはずっとずっと幸せだと思えるのです。
貴方のことを愛している。
その思いを嚙みしめる毎日が、私にとって失えない、かけがえのないものなのです。
それがどんなに辛くとも、その思いが薄れていくことや、ましてや手放すということは、私にとって耐えがたい苦痛でしかないのです。
アンソニー、どうかわかって下さい。
私が貴方に怒っていると言ったのは、貴方が私に「貴方を忘れる事」を望んだからなのです。
いくら大好きな貴方の望みでも、こればかりは受け入れることができません。
貴方を忘れて幸せになれだなんて、空に浮かぶあの月を今すぐ取ってこいと言われるのと同じくらい無理なことなのです。
何故なら、私の考える『幸せ』は、貴方を忘れることでは決して成り立たないものなのだから。
私は絶対に、貴方のことを忘れられないでしょう。
だって、私はいつだって、自分に都合の良い夢をみてしまうのです。
貴方がある日、私の元に帰って来る。
貴方が私の名を呼び、こんなにも長いこと待たせてごめんね、と申し訳なさそうに言うのです。
そして、私は少し怒った顔をして見せ、それから笑顔でお帰りなさいと言うのです。
でも、実際にそんなことが起きても、それは失敗に終わるかもしれません。
何故なら私は上手く笑顔を作れずに、歪んだ顔でわあわあ泣きながら貴方にしがみついてしまうような気がするからです。
何時か来るその日を思い、ゆっくりと目を閉じ眠りにつく毎日。
人は私を不幸だと言うかもしれません。
でも、私はそれでも幸せなのです。
貴方を完全に忘れてしまうよりは、余程。
長くなってしまいましたが。
私が言いたいこと、貴方に伝えたいことは一つだけ。
アンソニー、貴方を愛している
ただそれだけなのです。
セシリアより、愛をこめて
「大丈夫ですか?」
セシリアによく似た若きオールコート伯爵が、気遣わし気にそう声を掛けてきた。
手渡されたハンカチには、よく見知ったデザインのアルファベットと薔薇の刺繡が施されていた。
それは刺繡が得意なセシリアが、好んで刺していた図案だった。
思わずハッとして顔を上げると、目の前の青年は、セシリアによく似た青い瞳でこちらを見つめていた。
「姉は……今……」
苦し気にそう言い目を伏せる彼に、俺は、ああそうか、と思った。
彼女は、セシリアはおそらくもう――
そう思った途端、今までの思い出が一気に押し寄せてきて、俺は人前だというのに声を上げて泣いてしまった。
セシリア。どうして君は。許してくれ、セシリア。
セシリアが刺繍をしたハンカチを強く握りしめ、ただただ声を上げて泣き続けていた、その時。
「アンソニーが来てるって本当!?」
突然、大きな音を立てて扉が開き、家令の制止を振り切って一人の女性が部屋に飛び込んできた。
「お嬢様!」
「姉上!」
「セ……シリア……!?」
信じられなかった。
そこにいたのは、セシリアだっだ。
十年もの月日が経っていたが、見間違えるはずが無い。
本物だ。夢じゃない。
「どうして、君は、死んだはずじゃ……」
そう言いかけた途端、右の頬が熱くなり――次いで痛みが走った。
懐かしい痛みだった。
そして、あの時と同じようにセシリアの右手が赤くなっていた。
「アンソニーの馬鹿!」
セシリアが叫んだ。
「姉上!! もし彼が訪ねて来たとして、直接話すと殴っちゃうかもしれないからと言って手紙を書いていたんじゃないのですか? ああもう! 結局殴ってるじゃないですか!」
セシリアの弟が呆れたように叫んだ。
それを聞いてハッとしたように我に返ったセシリアは、ばつが悪そうな表情になった。
「だって、アンソニーが悪いのよ! 久しぶりに会えたと思ったら、死んだはずだなんて言うんですもの!」
確かにそうだ。
誰も彼女が死んだなんて、一言も言っていない。
「そうだ、俺が悪かった。すまない、セシリア。勝手に誤解してとんでもないことを言ってしまった。許して欲しい」
「……貴方はいつもそう。すぐに勝手に誤解して、自分勝手に何でも決めてしまうんだから!」
「たしかにそうだ、申し訳ない」
俺はひたすら謝る覚悟を決めた。
だってそうだろう? それ以外、俺にできることは何も無い。
「アンソニーの馬鹿!」
「ああ、俺は馬鹿だ」
「勝手に私の幸せを決めつけないで」
「ああ、そうだな。申し訳ない、俺が間違っていた」
「アンソニーの馬鹿……」
消え入りそうな声でそう呟くセシリアを、俺はそっと抱きしめた。
「グリーンズ子爵。姉はずっと待ってたんですよ。屋敷の離れに住み、学校で教師をしながら貴方のことを待っていたんです。貴方がまだ結婚していないと先代のグリーンズ子爵から聞いて、貴方が結婚するまでは自分も結婚しないと言い張って」
セシリアの弟は、目を潤ませていた。
「こんなにも貴方のことを愛している姉が、幸せになれないなんてことは絶対にないですよね?」
「……ああ、約束する。俺は絶対に、彼女を幸せにする。他の誰かが思うありきたりな幸せなんかじゃなく、彼女が望む、彼女にとっての幸せを手に入れられるように、俺の全てを捧げる」
弟と家令が目を合わせて笑顔で頷いている。
ふと気づけば、昔馴染みのメイド達の顔も見えた。
皆、泣きながら笑顔で頷いてくれているようだ。
「だから、セシリア。もう一度俺の手を取ってくれないか。お願いだ、セシリア。俺は、君を心から愛している」
一世一代の告白をしたつもりだった。
だが、彼女の返事は意外なものだった。
「もう一度手を取る必要なんてないわ」
その場にいた者、全員の顔が凍り付いた。
だが、にっこりと泣き笑いの表情になったセシリアが続けて言った言葉に、俺を含め全員が再び笑顔になった。
「だって私は、まだ一度も貴方から手を離していないんですもの」
――ああ、セシリア。君が好きだ。
君は正しかった。それを俺は完全に理解した。
何故って、君の思う幸福は、俺にとってもこの上ない幸福なのだから。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。




