7話 朔花
荷物を取り置きするために、一度揃って私の部屋に戻った。
エレベーターの狭い空間から解放されて自宅という安全地帯で深呼吸すると、慣れ親しんだ空気が内から外から全身を満たす。
「あったかい紅茶淹れたら落ち着くかな?こないだ君の好みに合わないって言われたやつだけど。コーヒーまだ用意してなくてごめんね」
「あ、あぁ……悪いな……」
別に「ありがとう」で良いのに彼の返事は弱々しい。
気付かないフリをして、いつも通りにすることにした。エレベーターの時と同じように。
湯が沸くまで、茶葉が蒸れるまで、美味しい紅茶には時間が必要。
お茶会をするウサギ達の絵柄が可愛くて買ってみた紅茶缶は、蓋を開けた瞬間から華やかに香り立つ。
リラックス効果が高いブレンドだそうで、チョコレートとの相性も良かった。
ウサギ、ウサギ、そういえば二人で追いかけたあのウサギはどこに消えてしまったのだろう。
今頃、この缶みたいに仲間とお茶会してたりして?
胸に居座っていたこわばりの欠片を溶けてきたら、今更エレベーターで起きたアクシデントのことも改めて考え込んでしまう。決して忘れた訳じゃない。
閉じ込められた時、果たしてどんな行動を取ればベストだったんだろうか。
今日行った大型書店には児童向けのサバイバルの本がベストセラーのコーナーにあった。
私がサバイバルの達人や天才なら冷静に対処できたかな。
そういえば、エレベーターに閉じ込められるシチュエーションの少女漫画とかドラマって前にも何度か見た覚えがある。
私が守られるタイプの可愛いヒロインなら素直に甘えるチャンスだったのかな。
彼は「何もできない」と謝罪したけど、どちらにもなれない私だって何もできなかった。
ショックが続いてるのか責任を感じているのか、今も彼の横顔に落ちる影は少し濃い。
あんな閉塞感を味わったら、もともと狭いところが苦手な人でなくてもこうなるか。
そもそもエレベーターを勧めたのは私。むしろ責任を感じる役目はこちらの方だとも思うけど、二人揃って落ち込んでも何もならないので明るく振る舞うことにした。
とはいえ、うまい言葉も見つからないからどうしたもんか。
それはそれとして、不謹慎なのは百も承知。
心の中に留めておくから、一つだけ思ってほしいことがある。
弱ってるこいつ、なんかすごく可愛いな……?
いつも飄々としてるくせに、不意打ちで見せられた表情。
それこそがまだ私の心音が騒がしい理由だったりする。
喉元過ぎれば何とやらというものか、ついこうして思考が横路にそれて呑気なことも。
他の女子は、こんな姿を恐らく知らない。
他の男子なら、こんなソーダ水が弾けるような気持ちにはならない。
冗談で済まない軽口というものはあるので、絶対に言えやしないけど。
勝ち負けに関して今は保留、こんなことで勝っても仕方ない。
「お待たせ」
沸いた湯を注いで三分、熱を持った華やかな香りは先程よりもずっと濃くなっていた。
二人分のカップで踊る湯気から、部屋の空気をほのかに色づけるような存在感に。
二人掛けの白いソファーで瞼を伏せかけていた彼は私が声をかけるまで気付かなかったらしく、その肩が小さく跳ねた。
私も腰を下ろすと、ゆったり受け止めるように沈み込む。
「ありがとう、いただくよ……」
大きめの一口で紅茶を飲み込んだ彼の喉が動く。
さすがに少し熱かったのと苦しかったようで、ぷはっと一息。
それはまるで、やっと呼吸ができたみたいな響きだった。
モヤモヤした時って、どうやって解消すれば良いんだろう。
ただスカッとしたいならカラオケで大きい声出すとか、ゲームセンターでゾンビを撃つとか。
でも暗くて狭いカラオケ部屋だとまた嫌なこと思い出しそうだし、ゲームセンターもうるさくて落ち着かないだろうし。
この場合は癒してあげるのが正しい、それなら?
ああ、一つ思いついてしまったことがある。
手は繋いだけど、段階的に早いかな。
いやでも、これだけ心が弱ってるなら緊急事態と言えるかもしれない。
「ねぇ、ラクにしたら?」
「いや、してるって……紅茶のおかげ」
「それじゃ、飲み終わったのならカップ置いて」
「ん?」
私の意図が分からないまま彼は意外と素直に従い、カップがテーブの上で鈍い音を立てて着地する。
訝しみながら再び座ったところで彼の上半身をこちらに引き倒し、デニムのロングスカートの太ももへ頭を載せさせた。
そう、いわゆる膝枕の体勢。
「え……な、ぁ……っ?」
「……おねがい、遠慮だけなら断らないで。恥ずかしいから」
彼はすぐに身を起こそうとしたのは当然の話。
でも私がそう切実に告げると、戸惑いながらも大人しくなった。
ここまでしておきながら何だけど、仰向けは下からの直視に耐えられない。
引っくり返してうつ伏せにさせからの横向き寝、彼の背中がこちらを向く。
うん、顔が見えなければ不思議と平気だ。
小学校で飼ってたうさぎのことを思い出す。うさぎは警戒心が強いと聞くけど、私がしゃがみ込むと膝に寄って来てくれる子が居た。
「……あの時ね、閉じ込められたのが私一人じゃなくて良かったって思ってるよ」
子供を寝かしつけるリズム、彼の背を優しく叩き始めた。




