3話 御原ちかげ
「……泊まってく?」
私の一言でピタリと止まった彼の気配。
でも、おそるおそる振り向くと、スマホから顔を上げた彼は、普通……ごく普通の表情だった。
「いいの?助かる」
まるで、休んだ講義のノートを借りるような軽さ。
女の子の部屋に泊まるっていうのに、何の意識もしてない口振り。
(え、私……また負けた?)
「悪い。俺、ソファ借りるわ」
「あ、うん……掛けるもの出すね」
彼は私からブランケットを受け取ると、ソファにゴロンと横になった。長い脚が余裕ではみ出る。
会話が途切れて、雨の音がかすかに聞こえる。
私は、妙に情けない気分になった。
「ところで、この部屋、いつまでこのままなの?」
床から天井まで、部屋をぐるっと見回して、彼が私に聞く。
「床も壁も真っ白って、落ち着かなくない?」
え?くつろげない部屋だった?
ちょっと焦ったわたしの表情を読み取って、彼が少し慌てた。
「あ、いや、そういう意味じゃなくて……十分生活感あって、居心地はいいんだけど」
褒められてる気がしないのは、なぜだろう。
「半年だっけ?部屋の契約更新。変わったオーナーだよな」
そう、この部屋はちょっと風変わりな契約になっていた。
大学の掲示板に、この物件の広告が貼り出されたのは、5ヶ月前のこと。
「あなたの色で彩ってください」
そんなキャッチコピーが添えられていた。
家賃は、破格の月35,000円。
ただし、真っ白な内装を、契約更新の半年後までに、自分なりに飾らなければいけないらしい。
それ以降、契約延長するかは、オーナーさんがその内装を気に入ったかで判断するとのことだった。
当時、通学片道2時間だった私は、深く考えることもなく、この話に飛びついた。
内装をどうするかなんて、二の次だった。
とにかく、一人暮らししたい!
だって、通学片道2時間なんて、全然青春できない。
一日の6分の1が通学で終わっちゃうなんて。
終電だって早くて、飲み会も最後までいられたことないし。
大学生の私にとって、それはそれは切実な悩みだったのだ。
この家賃なら、競合が絶対いたと思うんだけど、なぜかすんなり私は契約にこぎつけた。
親を説得するのは、骨が折れたけど。
そして、入居から3ヶ月が経った今、壁と床は見事に真っ白なままだった。
周りの友達にも、この契約の話はしていたから、彼はそれを覚えていたんだろう。
「あー、何も考えてなかった……」
私の答えに、彼は呆れ顔だ。
「生活かかってるのに、のん気すぎだろ。このままだと、あと3ヶ月で追い出されるんじゃないの?」
それはそうなんだけど……。
「だって、私、別に美的センスがあるわけじゃないし……」
そうだよ、中高の美術の成績は3。可もなく不可もなく。
我ながら、そんなんでこの契約に飛びついた自分の無計画さに呆れる。
彼は、もっと呆れてるだろう。
「手伝おうか」
彼の言葉を、私は一瞬理解できなかった。
「え?どゆこと?」
「俺も美的センスは微妙だけど、手先は器用なほうだし」
それは知ってます。
今日の料理の手際見てたら、嫌でも分かるっての。
「力仕事できる人間も、いたほうが良くない?」
正直、すごくありがたい話。
……っていうより、私は下心で答えてたんだ。
「え、そしたら、お願いします」
ペコリと軽く頭を下げながら、私はちょっと自分を浅ましい、なんて思ってた。
だって、この申し出を受けたら、あと3ヶ月は彼と二人でいる理由ができる。
彼は私を心配して提案してくれたのに、そんなこと考えてたから。
しばらくくだらないバラエティ番組を見て過ごしていたら、あっという間に23時を回っていた。
お風呂を勧めたけど、いいというので、私だけシャワーを浴びた。
可愛いパジャマに着替えようか迷ったけど、張り切ってるように見えるのもはずかしい。けっきょく私は2.5軍のジャージをもう一度着た。
すっぴんを男友達に見られるのは初めてで、緊張してたのに、彼はろくにこっちも見ない。
ありがたいような、悔しいような。
私は濡れた髪をタオルドライしながら、彼に尋ねた。
「明日、何限から?」
彼は、午後からと答えた。
ちなみに、私は1限から。
「どうする?朝ごはんとか……」
「いいよ、気ぃ遣わなくて。寝るだけ寝て、あさイチで帰るから」
それじゃ、なんか淋しい……って思ったのが、顔に出ちゃったかも。
彼がいたずらに笑った。
「何?朝も、俺の手料理が食べたいとか?」
その通りだよ!……って言いたかったけど、言えないところが私の可愛くないところ。
今日はけっきょくやられっぱなしだ。一撃も返せてない。
「夕食のお礼に、私が作ろうと思ったのっ!食べないならいいよ!」
彼は笑っただけ。
「じゃあ、食べる」とも「そのまま帰る」とも明言しなかった。
胸がきゅっとなる。
この距離が縮まる日は来るんだろうか?
今夜、ずっとドキドキしてるのが、私だけなんて……。
翌朝、けっきょく朝食は彼が作った。
っていうか、私に作らせてくれなかった。
「あれは、雨宿り代だから、お礼はおかしい」って言って。
女子としての面目が全然ないんですけど……なんて思いながらも、おいしくいただいたのは否めない。
午後、3限と4限の間の短い休み時間。
キャンパスの中庭ですれ違った彼が、また思いつきみたいな軽さで言った。
「あ、今度俺んち来る?人んちのインテリアって、けっこう参考になるかなって」
もう!それが私にとって、どんだけの爆弾だと思ってんの!?
寝不足気味のわたしは、急に受けた彼からの一撃に、頭がクラクラした。
連敗記録ばかり伸びていくんですけど……。
3ヶ月後、私の部屋はどんなふうに彩られているんだろう?




