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2話 ぞ

 

 部屋着に着替え終わって、長い息を吐く。

 後ろからは、相変わらずトントンと、軽快な包丁の音が響き続けている。


 ワンルームの狭い部屋だ。

 タンスの前で着替える私の気配なんて、絶対に感じているはず。

 それなのに、彼はずっとキッチンでまな板に向かい合ったまま、一度も振り返らないし、包丁の手を留めもしない。

 まるで「お前の着替えなんて興味ない」と言われているようで、無性に腹が立つ。


「……着替えたよ」

「ん、お疲れ」


 言葉の意味を理解してないのか、ただ興味がないだけなのか。

 もちろん後者だろう。

 私は胸のモヤモヤを発散させるように、ボスンと勢いよくソファに身を投げた。


「ちょっと聞いていい? フライパンはこれ使ったらいいんだろ? 調味料は?」

「えっと、そこに……」


 口で指示しようとして、直接示した方が早いと思い至り、座ったばかりのソファから腰を上げた。


 振り返った彼と目が合う。

 彼の視線が、私のヨレた襟元から、全身にプリントされた、感情のない赤い瞳のキャラクターへと注がれる。

 時が止まったような数秒の後、彼は耐えきれないというように「ぶふっ」と吹き出した。


「全身総柄のきゅー太郎って、どんなセンス? 小学校の時にやってたアニメのやつだろ?」


 私の部屋着は、魔法少女アニメのマスコットキャラクターが全身にプリントされたジャージだ。

 高校の時から気に入って着古してるせいで、袖も襟もヨレヨレになっている。


「い、今再放送してるし……っ! それに、これ、レアなんだからねっ?」


 精一杯の強がりも、彼のニヤニヤの前では空回りするだけだった。


「そうなの? まあ、いいや。調味料教えて」


 私の懸命な言い訳を、彼はさらっと流す。

 それはそれで、なんだか悔しい。

 私は胸のざわめきを静めるように、小さく息を吐いた。


「……そこのコンロの横に並んでるやつ、自由に使って」


 私がコンロ横に並んでる調味料を指差すと、彼はなんだか微妙な表情をした。


「これだけ?」

「えっと……めんつゆなら、冷蔵庫に入ってるけど……」

「んー……そっか。大丈夫、ありものでなんとかするよ」


 まるで私の家の調味料が足りないと言わんばかりの彼に、私は少しむっとした。

 塩こしょう、醤油とかの基本の調味料はもちろん、ちょっとお高めのオリーブオイルとか、お洒落そうなクレイジーソルトなんてものも揃っている。

 こう見えても、わりと自炊している方なのだ。


 彼は慣れた様子でコンロに火をつけた。

 チッチッチ……と点火音が鳴り、ボッと火が付く。


 狭いワンルームのキッチンに、背の高い彼が立っている。

 それだけで、私の部屋が別の空間になったみたいだ。

 私のキッチンなのに、なんだか彼の方が様になっているのが癪に障る。


 彼がまな板から手際よくフライパンに材料を移すと、じゅうじゅうと小気味のいい音が鳴り響く。

 腕まくりした腕に浮かぶ筋とか、淀みなく動く菜箸とか。

 普段大学で見せる涼しい顔とは違う、生活感のある彼。

 一緒にキャンパスライフを送っている他の同期たちは知らないであろうその姿を、私が独り占めしているような気分になって、胸の奥が勝手に高鳴る。


(……なんか、悔しい)


 何が悔しいのか自分でもよくわからない。

 私はジャージの裾をきゅっと握りながら、彼の背中を睨みつけた。


「何か、手伝う?」

「キッチン狭いし、二人も立てないだろ。いいから座ってろよ」


 彼は私の方を見向きもせずに、そう言いながら、フライパンにオリーブオイルをたっぷり入れる。

 ちょっと値が張る一品なので遠慮してほしいけど、そんなことを言うとケチみたいで言い出せず、私は元通りソファに座った。


 ジャージに印刷された「きゅー太郎」と目が合う。

 きゅー太郎は、魔法少女アニメのマスコットらしく可愛らしい見た目をしていながら、瞬き一つしない貼り付いたような表情で見つめてくるのが特徴だ。

 彼も……さすがに貼り付いたような表情ではないものの、何を考えているのかイマイチわからない。

 人の感情を理解できてなさそうなところが、きゅー太郎にそっくりだ。


 そんなことを思いながら、肉と野菜がジュージュー言いながら焼ける音を聞いていると、カチッとコンロが止められる音がした。


「皿は……」

「今出すよ」


 私は棚から平皿を二枚出すと、彼に手渡した。


「ごはん……冷凍してるやつ、解凍するね」


 彼が食器に盛り付けている間に、冷凍庫から出したタッパーに入ったお米を二人分、電子レンジで温める。

 いつもの私なら温めたお米をタッパーのまま食べてしまうけど、なんだか気恥ずかしくて、ほかほかに温まったお米を、かわいい猫柄のお茶碗に入れ直した。

 テーブルにお茶碗を持っていくと、彼は既に料理を並べていた。


 テーブルに置かれたのは、湯気を立てるジャーマンポテトだった。

 こんがり焼かれたジャガイモと肉の香ばしい匂いが、私の空腹を容赦なく刺激する。


「……美味しそう」


 悔しいけれど、素直な感想が漏れた。


「本当は肉じゃがにしようと思ったんだけど」


 私が隣に座るのを横目で見ながら、彼が言う。


「お前の家、料理酒もみりんもないんだもん。諦めた」

「うっ……」


 さっき彼に調味料の在り処を教えた時、微妙な反応をしたのはそういう意味だったのか。


 みりんと料理酒。

 買うと地味に高い調味料。

 レシピにあるから買うと、それ以降使わなくなって、結局腐らせてしまう。

 いつしか私は、それらの調味料を使わないレシピを探すようになったのだ。


「みりんなんて、大して使わなくない?」

「使うだろ、あらゆる料理に」


 なんだか、お前とはレベルが違うんだと、そんな風に言われたような気がして、むっとした。

 けれど、目の前の料理を一口食べると、ホクホクした食感と塩加減が絶妙で、私はまた心の中で白旗を上げた。

 美味しい。悔しいけど、めちゃくちゃ美味しい。

 私の適当な味付けとは大違いだ。

 自然と頬が緩んでしまいそうになるのを、私は必死に堪えた。


「どうだ?」

「……まぁ、合格点、かな。食べられなくはないね」


 素直に褒めるのは癪だから、嘘をつく。

 本当はめちゃくちゃ美味しいと思ってるのに。

 その心を見透かしたように、彼が笑う。


「素直じゃないねぇ。顔に『美味しい』って書いてあるぞ」


 彼は面白そうに私を覗き込んでくる。


「なっ……!」


 否定しようとしたけど、口の中に広がるホクホクしたジャガイモの味が、それを許してくれない。

 美味しいものは、美味しい。

 私の胃袋は、とっくに彼に降伏していた。


「……うっさい」


 頬が熱くなるのを誤魔化すように、私はもう一口、ジャガイモを口に運んだ。


(また、負けた)


 悔しいけど、箸が止まらない。

 言い訳のしようがない、完敗だ。


「……手際いいんだね。実家暮らしじゃなかったっけ?」


 悔しさ紛れに、気になっていたことを聞いてみる。

 まさか、元カノと同棲してましたとか、そんなこと言わないよね?


「あー……。うちは親が共働きだったからな。年の離れた妹がいるんだけど、腹減らして待ってるのが可哀想で、よく作ってたんだよ」

「へぇ……妹思いなんだ」


 意外な答えに、毒気を抜かれる。

 妹のために料理をする男子大学生。

 ……悔しいけど、ポイントが高い。


「そ。お気楽な一人っ子のお前とは違うの」

「一言多いなぁ!」


 そんな軽口を叩き合いながらも、箸は止まらない。

 誰かと食べるご飯が、こんなに美味しいなんて。

 一人暮らしの狭いワンルームが、彼がいるだけで、なんだか少しだけ温度が上がったような気がした。


 彼の作ってくれたご飯を食べながら、横目でその存在を確認する。

 ジャージ姿の私と、私の部屋でくつろぐ彼。

 傍から見れば、どう見てもカップルだ。

 いや、長年連れ添った夫婦と言われても違和感がないかもしれない。


 ――ねぇ、私たちって、どういう関係なの?


 喉元まで出かかった言葉を、私はご飯と一緒に飲み込んだ。

 聞いてしまえば、この心地よいぬるま湯のような関係が、壊れてしまいそうで怖かったから。


「……なんだよ、人の顔ジロジロ見て」

「別に。変な顔だなーって思ってただけ」


 また、嘘をついた。

 本当は、整った横顔に見とれていただけなのに。


 この時間がずっと続けばいいのにと思っていたけど、美味しいご飯はすぐに食べ終わってしまった。


「ごちそうさま。洗い物は私がするね」

「ん、よろしく」


 当たり前のように彼が返事をする。

 ここで遠慮しないあたりが彼だ。


 食器をシンクに運びながら外を見ると、雨は全然止む様子がない。

 相変わらず遠くでゴロゴロと雷鳴が続いている。


「……ん、ああ? 最悪……」


 彼の不機嫌そうな一言にぎょっとして見ると、スマホをいじっているところだった。


「なんかあった?」

「なんか電車の設備に落雷があったとかでさ。電車、今日中に動くのは絶望的だと」

「そうなんだ……」


 私は冷静を装って食器を洗い続けた。

 けれど、その言葉の意味するところを理解して、私の顔は熱くなっていた。


 それって。

 終電、なくなっちゃったってことだよね?


「どうしようかな……ネカフェとか……?」


 彼の困ったような声が、雨音に混じる。

 ネカフェなんて、行く必要ないでしょ?

 だって、もっといい方法があるんだから。


 乾いた喉で唾をごくりと飲む。

 今から告げることの大胆さに、私の心臓は、機関車のようにばくばくしていた。 


「……ねえ」


 震えそうになる声を、喉の奥で必死に抑え込む。

 私は食器を洗い終わった手をタオルで手を拭きながら、シンクに向き合ったまま、振り返らずに言った。


 なるべく、なんでもないことのように。

 下心を必死に隠して、あくまで、親切心からの言葉として。


「……泊まってく?」


 言ってしまった。

 背後で、彼の気配がピクリと止まったのがわかった。


(負けてばかりの私じゃ……ないんだから)


 心の中で、そう呟いた。


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