他言無用
「痛っ」
へたり込んだ際に、うっかり足首をねじったらしい。アリッサは控え室の簡易ベットに腰掛けて、裸足に薬草の燻煙を浴びている。
本当は臀部もしたたかに打ったのだが、みっともないのでそれは黙っている。
チラリ、と上目になる。
控え室のドアはいつも開放されたままになっているのだけれど、今はそこにスレンヤオーナーが立っていた。
アリッサは仕事をサボっていたことをイイワケするつもりはなかった。が、今はそれよりも、地下室で起こったことのほうで頭の中がいっぱいだ。
あの時──。レイは足をくじいて歩けないアリッサのために、手助けを呼びに行こうとしてくれた。だが、アリッサはしがみついてそれを止めた。「こんなところにひとりにしないで!」と半泣きでわめきちらし、結局、レイに支えてもらいながら控え室に戻ってきたのだ。
今は恥ずかしさで絶望している。思い出すと顔でパンケーキが焼けそうなくらい熱くなってくる。
そのレイはさっさと仕事に戻って、入れ違いにどういうわけかオーナーが現れた。あきれきった表情を浮かべて、アリッサを見下ろしている。
ハラハラしながら何か言われるのを待つアリッサ。
オーナーは無言でアリッサの隣に腰掛けた。
「質問してもいい?」
「はい……」
「それで、何を見たのかしら?」
アリッサはできるだけつつみ隠さずに、正直に話すことにした。
「ええっと、地下の、暗い場所で、不思議な生き物におそわれました。……あっ! なんでそんなとこに行ったかと言うと、シルフが教えてくれたからで……! あの、お客様に何度も聞かれたんです。あの鏡のこと。それで、自分でもだんだん気になってきて、でも部屋に行ったけど鏡はなくて、それで──」
「そのことはもういいわ。それより、もう一度質問するわね。地下室で何を見たのかしら?」
「は、はい。すみません、あの大きな生き物……っていうか、ヘンテコな虫みたいなの……。あれって何なのでしょう? モンスター? あたし、鏡をのぞいていたんです。そしたら、突然、出てきて。あんな恐ろしい生き物が地下に棲んでいたなんて知らなくて……」
「それで、あなたはどうしたの?」
「食べられそうになったので、逃げようとしたけど、足がすくんじゃって。目の前が真っ暗になって。気がついたら、レイくんの声がしました。大丈夫かって。そしたら、モンスターがいなくなってて……」
言いながら、アリッサはおや? と自分の発言に首をかしげた。
「あれ? あのモンスターどうなったんだろ? ひょっとして、レイくんが追い払ってくれたのかな? でも……どうやって?」
オーナーの目に一瞬、鋭い光が宿った。
「地下室からここまで戻ってくる間に、他の誰かに会った? 今の話を誰かにした?」
「だ、誰かって、お客さんにですか? 店のスタッフに?」
「両方よ。わたしとレイ以外の誰かに」
アリッサは首を振った。
「いいえ」
オーナーは射抜くような目でアリッサを見つめている。アリッサはもう一度、今度は強く否定した。
「誰にも言いません」
「そう」
オーナーが緊張を解いたのがアリッサにも伝わった。彼女はようやくうちとけた口調で、
「そのことで、レイとも話したの。あなたのことを信用するって」
「は、はぁ……」
アリッサにはさっぱり理解不能だった。彼女はいったい何の話をしているのだろう? レイくんと話した? 信用するって何のこと?
「アリッサ・アルデッシュ。約束してちょうだい。地下室で見たこと、起こったことはわたしとレイ以外の誰にも言わないこと。決して、他の誰にも……。お客さまであろうと、この店で働いている人間であろうと。チーフにも、料理長にもよ。それから、あなたの家族やお友達にも」
「あのモンスターのことは絶対に秘密ってことですか?」
「全部よ。鏡のことも、地下室のことも、そこでレイに会ったことも、一部始終。聞きたいことがあるのは分かっているわ。だけど、もし秘密が守られなければ、レイは……彼はここを去らねばならなくなる」
ど、どういうこと? アリッサはますますワケのわからない、不可解きわまりない思いでスレンヤの目を見返した。レイが店を出ていく? どうして?
しかし、それ以上の質問を彼女が望んでいないことは明らかだった。たとえ質問したところで、いっさい答えてもらえないことは明々白々だ。
アリッサは「なぜ?」という言葉が口から出かかるのを飲み込んだ。
「あの……分かりました。今日、見たことは全部忘れます。誰にも言いません」
突然、スレンヤの両腕が伸びて、アリッサを抱きしめた。
「ありがとう。あなたならそう言ってくれると信じていたわ。……店のオーナーとして、あなたにはいつも感謝しています。あなたは本当によく頑張ってくれているわ」
立ち上がった彼女の顔にはいつもどおりの優しい笑みが浮かんでいた。
「仕事をサボっていたことについては今回は問いません。業務時間中の事故ということで、その薬草もサービスしておくわね。今後は好奇心もほどほどになさいな」
穏やかな口調でそう言うと、彼女は控え室を出て行った。




