ひそむもの
風が吹き、火が消えた。一瞬の暗闇のあと、ふたたび点灯した。シルフがふざけているのだ。火はもてあそばれるように大きくなったり小さくなったりを繰り返している。
シルフは鏡がここにあることを知っていたし、アリッサが鏡を見たがっていることも分かっていた。姿も形もない風の精だけれど、この館の中で起こっていることは何もかもお見通しというわけだった。
アリッサは火あかりを通してもう一度、鏡をのぞきこんだ。その途端、
「ひやっ?」
ヘンな声が出た。
磨き抜かれた鏡面には自分の頭からつま先までが映し出されている。それは先ほどまでと変わらない。でも今は、
「……なにこれっ……?」
そこに映っていたのはまぎれもなく自分自身だった。まぎれもなく。正真正銘アリッサ自身の姿。文字通り一糸まとわぬ全身が、妙にみずみずしい肉感となまなましい存在感をともなって闇に浮かんでいる。ようするに素っ裸だ。
カァッと顔が熱くなった。誰かに見られてやしないかと思わず辺りをうかがった。
「ややや、やめて……! なんなのっ? この恥ずかしい鏡はっ!」
真実ってそういう意味なのか? 冗談じゃない。
あわてて鏡から離れようとして、しかし、アリッサの視線は一点にひきつけられた。
何かいる。
鏡に映った自分の足首に、根っこのようなものがからみついている。それはヌルヌルと地面から這い出してくる。くるぶしから膝へ、下腹へと、まるでヘビのように巻きつきながら体を上ってくる。
思わず足元を確かめたが、実際には何もいない。
(…………?)
地下室に奇妙な音が反響した。ガリガリッ、ゴリッと硬いクルミの殻をすりつぶすような音だ。
アリッサは背後に気配を感じて振り返った。
何かが近づいてくる。暗闇の中を、それは最初は下の方、地面に近いところにいたのが、接近しながらだんだんと視線の高さへ、さらに上へと移動してゆく。
何かとてつもなく大きなモノが、壁から天井にはりついているようだった。火がゆらめき、赤黒い色をした胴体にはねかえった。ぬめりをおびた細い脚が無数に生えていて、それが波打つようにザワザワと動いた。
アリッサは自分が悲鳴をあげたかどうかも分からなかった。恐怖のあまり、喉の奥が焼きついたみたいに声が出ない。
それはのしかかるようにアリッサの頭上にせまってきた。先端で大きく裂け目が開き、内側に槍先ような突起が無数に並んでいるのが見えた。裂け目は口吻で、突起は鋭い歯牙だった。
(逃げなきゃ……)
けれど、意志に反して体が動かない。足がすくんで、息をするのがやっとだ。
裂け目がおおいかぶさって来た。吐き気をもよおすほどの土臭さが鼻腔に突き刺さる。
両足から力がぬけて、アリッサはヘタヘタとその場に尻もちをついた。
生ぬるい空気とぶちぶち裂けるような音に全身をつつまれる。地の底に引きずり落とされるような感覚。頭の中でバチっと何かが弾けたかと思うと、そのまま何も見えなくなった。
どれくらいの時間が経ったのだろう?
一瞬?
もっと長い時間?
視界の片隅にボンヤリとした光がゆらめいた。
光。
魔法の火ではない。ランプだ。
意識を取り戻したアリッサの目に、暗闇から突き出されたランプの灯りが飛び込んできた。
「大丈夫?」
聞き覚えのある声がした。
レイ・シーヴァルの、いつもよりは多少感情のこもった表情がアリッサを見下ろしていた。




