導き
(もうっ……ワガママなお客さんばっかり!)
結局、客に押し切られたアリッサだった。相手は「責任者と話をさせろ」との一点張りで、アリッサの話などこれっぽっちも聞く気は無いのだ。
とはいえ、まさかスレンヤオーナーに直に報告するわけにもいかず、とりあえずチーフのダグノに相談するしかない。相談したところで「丁重にことわれ」と指示されるだけの気もするけど……。
ぶつぶつ文句をいいながらバックヤードまで戻ってくると、ちょうどレイ・シーヴァルと入れ違いになった。レイは客室とはまったく反対の方向へ歩いてゆく。
(あれ?)
アリッサはレイの後ろ姿を見つめたまま、彼がどこへ行くのか気になった。ときどき、彼はアリッサの知らないことをしている。オーナーやチーフから、ホールでの接客業務とはちがう別の仕事を指示されているのだ。
なぜ自分や他のスタッフではなく、レイにばかり指示がいくのか? アリッサには不可解に思えるし、秘密にされているようでちょっとばかり気に入らない。でも、今はそれよりも別のことが気になった。
彼が歩いてゆく先に部屋はいくつもあるが、どこも客室として開放していない。そして一番奥には……『水鳥の間』がある。
「おい、よそ見してると危ないぞ。俺に用か?」
「あ、チーフ」
気づくとダグノが目の前に立っていた。アリッサはダグノに名刺を手渡した。ダグノの反応は案の定、
「キャラボルト? 知らんな。聞いたことがない」
「ですよねー。でも、しつこいんですよ」
「どの客だ? 俺が代わりに断っておくから、お前は休憩へいけ」
目の前にいるのが恋人ならアリッサは抱き着いていたかもしれない(幸いにもダグノはただの上司だ)。
「さっすが! チーフ! 頼りになるぅ……!。」
「お前に褒められてもなにも嬉しくないな」
アリッサは一級退魔士のテーブルを伝えると、ダグノの気が変わらないうちにそそくさとその場を離れた。
さて休憩時間だ。いつもなら控え室でお昼ゴハンをすませるところだが、今日にかぎってアリッサの足は別の場所へ向いていた。
ガランとした空間に、かわいた空気が滞留している。正面の壁に目を凝らすと、シミのような四角い跡だけが残っている。
アリッサは『水鳥の間』に立ち入っていた。入り口の鍵は壊れたままだったので、部屋に入ることはできた。だが、例の鏡はすでに失われていた。そして、レイ・シーヴァルの姿も見えない。この部屋にいるのではと思ったが、予想が外れた。
「レイくん、いない。鏡もない。どっか持ってっちゃったのかな……」
あの重そうな鏡をレイが一人で運んだとはさすがに思えないが、それにしても、いったいどこへ移動させたのだろう?
実を言えば、アリッサはずっと気になっていた。あれは本当に『真実の鏡』だったのか? シャーロナ嬢はいったい何を見たの?
もとより自分には関係のない話だと分かっているけれど、心残りというか、妙にひっかかるモノを感じて、でもそれが何なのか自分でもうまく説明できなかった。感情の糸口をつかめずにいるもどかしい気分のまま、その場に立ちつくしていると、ふと足元をくすぐられるような感触を覚えた。
アリッサのヒザ下を、かすかに風が通り抜け始めた。
その風は途切れることなく、部屋の外へむかって流れ出してゆく。
「シルフ……? あなた、何か知ってるの?」
風が何かを告げようとしている。そんな予感がした。
アリッサの脳裡に、めんどうな客の顔がチラチラと浮かんでは消えた。そろそろ仕事に戻らなきゃ、という思いはアリッサの行動をさまたげなかった。裏を返せば、まだほんの少し休憩時間は残っている。
アリッサは風の流れる方向へ歩き出していた。




