退魔士
ホールの仕事に戻ったアリッサに向かって、客の一人が手招きしている。正確には人差し指だけをこっちへ来いと動かしている。
「──ご用を承ります」
アリッサが近づくと、その男性客はナプキンの端で口元をぬぐいながら、
「ここの料理は素晴らしいな。実に評判通り。いや、それ以上といったところか」
「ありがとうございます」
アリッサは上半身をかるく傾けた。
男性はテーブルから斜めにはみ出させた長い両足を窮屈そうに組み直すと、
「悪魔が出た鏡ってのは、どこにある?」
「は?」
聞き間違いかと思った。
「アク……マ?」
「隠す必要はない。この店には、悪魔がとりついた鏡があるそうじゃないか。どこかの令嬢があやうく連れ去られるところだったそうだな?」
ま・た・か! と、アリッサは吠えたくなるのをグッとこらえた。これで今日は三度目だった。客からその手の質問をされるのは。
先日のちょっとした騒ぎ──シャーロナ・プルドイリスが鏡をのぞいて気を失ったトラブル──は、ここ数日でまたたく間に世間の知るところとなったらしい。
それもずいぶんと脚色された状態で。いったい誰から誰に、どう話が伝わったものか、すっかり事実と異なる伝わり方をしている。アクマとは一体何の話だ。
アリッサにはそんなに大騒ぎするほどの出来事とも思えないのだが、有閑階級の間では、些細な事件が面白おかしく改変されて、結果、小さなオヒレハヒレがたやすくアクマ召喚にまで発展するものらしい。
「もうしわけございません。どちらでお耳にされたのかは存じませんが、当店にはそのような鏡はございません」
「ごまかさなくていい。口止めされているのだろう? 支配人と話がしたい。私はこういうものだ」
男は内ポケットから何やらサッと抜き取った。そしてそれを、人差し指と中指にはさんだ状態で自慢げにアリッサの眼前につきつけた。アリッサはべつに受け取りたくもなかったが、仕事なのでしかたなく両手で拝領する。ネームカードだった。
一級退魔士ソード・キャラボルト
と書いてある。
「そいつを渡してくれれば、分かるはずだ」
キャラボルトだかキャラメルだか知らないが、こんなもので何が分かるというのか。
「ひょっとして、この私をインチキ祈祷師やウサン臭い占星術師の類と疑っているのかね?」
「い、いえ。そのようなことは」
「ふむ。悪魔なんぞに居座られては、この店がさぞかしお困りだろうと思ってね。そこで、この私が、ちょいと悪魔の言い分を聞いてやろうというわけだ。悪魔の話に耳を傾けるなど、ずいぶんと危ないヤツだと思うかもしれないが、なに心配はいらない。わたしはプロだ。悪魔を説き伏せて、こちらに有利な契約で縛り、店にとって効果的かつ戦略的なアプローチを提案して差し上げようと言うわけだ」
ますます理解不能だった。
しかし、客ははなからアリッサなど相手にしていないのである。だんだん面倒くさくなってきた。
「いえ、あの鏡はもう処分しましたので……」
つい、そう答えた。しまった、とアリッサは後悔したが後の祭り。これでは鏡が実在することを認めてしまったことになる。
一級退魔士は我が意を得たりと言わんばかりにニヤリとした。




