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水鳥の間

 この部屋は『水鳥の間』と呼ばれていた。

 なぜそう呼ばれているのか、アリッサは知らない。入り口のドアに白鳥が浮き彫りにされていることが理由かもしれない。いずれにせよ、アリッサがこの部屋に足を踏み入れたのは今回が初めてだった。

 部屋は円形になっていて、壁際には座り心地のよさそうなソファ置かれている。そのまま客室として使えそうな雰囲気だ。

 実際のところ、以前は休憩室のひとつとして客向けに開放されていたらしいのだが、アリッサが働き始めたころにはすでに立ち入り禁止になっていた。

 カデリ・トゥーリサーナの説明によると、席を離れた友人がいつまでたっても戻ってこないので、心配になって館内を探し回っているうち、『水鳥の間』で倒れているところを見つけたということだった。

 察するに、シャーロナ・プルドイリスは施錠されたドアをなんらかの方法で(きっと魔法を使って)こじ開けて、無断で入り込んだにちがいなかった。いったいなぜ、彼女はそんなことをしたのだろう? 当然の疑問が全員の脳裡に浮かんだが、さしあたって今はそれどころではなかった。

「──シャーロナ様。わたくしの声が聞こえておりますか?」

 シャーロナを横向きに寝かせ、かたわらで両ひざをつき、くりかえし呼びかけるのはこの店のオーナー兼マネージャーであるスレンヤ・ネヴェリネン。その声は落ち着いている。

 スレンヤオーナーの手には香炉が握られている。薬草を燻蒸させた青い煙が、ボタニカルな芳香をともなって室内を満たしてゆく。

 しかし、シャーロナの両目は閉じられたまま、なんら反応を示さない。

 「シャーロナ……お願い……目を覚まして……!」

 泣きそうな顔をしたカデリが、つかんだ友人の手に力を込める。

 その様子を一歩下がったところから見守っているアリッサだったが、ふと奇妙に思うことがあって小首をかしげた。カデリはさきほどからブツブツと謎のつぶやきを何度も繰り返している。どうやら彼女は回復魔法を使おうとしているらしかった。しかし、どういうわけか、その魔法が効果を発揮しているようには見えないのだ。

 ほどなくして、レイ・シーヴァルがリネン庫から新品のブランケットをかかえて戻って来た。アリッサは冷たい床の上に横たわるシャーロナの細い体にそれをかけてやった。香炉の煙が彼女の口元でかすかに揺れている。息はあるようだが、それだけだ。ガデリはやはり回復魔法を繰り返しているものの、こちらもあいかわらず効き目がないらしい。

「魔法がお上手でない貴族もいるのね……」

 アリッサはごく小さな声でつぶやいた。隣にいたレイが、なにが? という顔をする。

 アリッサはいちだんと声をひそめて、

「だって……あのカデリってコ。さっきから何度も回復魔法を試してるようだけど、ぜんぜん効いてないみたい」

 レイはすこぶるマジメな表情を崩さなかった。

「ヒール系統の魔法ってのはとてつもなく()()なんだ。魔法学校の生徒でも使いこなすのは難しいだろうな」

「ふーん?」

 意外な思いがして、アリッサはのぞきこむようにレイを見た。

「詳しいね」

「……聞いた話だよ」

 その難しい回復魔法が奇跡的に発動したのか、それとも、薬草の煙がようやく回復効果を発揮したのか──おそらく後者だろう──全員が見守る中、シャーロナの唇がかすかに動いた。

「カデリ……」 

 うすくひらいたまぶたから、ぼんやりとした視線があてどなく天井をさまよう。

「シャーロナ!」

 カデリが差し出した手にすがりつつシャーロナが起き上がる素振りを見せたため、オーナーがあわてて肩をささえた。

「いけません、動いては。どうか、そのまま、ご無理をなさらずに。どこか痛みますか? ご気分は?」

「いえ……大丈夫です」

 今度はハッキリとした声で答えた。

 アリッサはとりあえず胸をなでおろした。彼女の身に何が起こったのか想像すらできなかったが、少なくともケガはないようだ。

 どうしても起きあがろうとするシャーロナを、オーナーとカデリは壁際のソファに座らせた。

「心配いらないわ、カデリ。ちょっと……魔法を使いすぎた時のような感じ……。どうしてか、理由はわからないけれど……。少し休めばすぐ回復すると思う」

 シャーロナは半泣きの態で腕にしがみつく友人の髪を、いたわるようにそっと撫でた。

 ちょうどその時、ドアを叩く音がした。チーフのダグノだった。両手でささえたトレイの上に、ティーセットとクリスタルの瓶を載せている。

「ダグノさん、いいタイミングだ。あれはポーションだな」

 レイが何気なくつぶやいた。

 驚いたのはアリッサのほうだ。

 (あんな小ちゃいの?)

 思わず目を見張る。

 回復効果を凝縮・精製させた内服液(ポーション)は、とてつもなく高価なしろものである。乾燥させただけの薬草なんかとは比較にならない。あまりに高価すぎて、アリッサのような一般市民には手が出ないどころか、目にする機会さえめったに無い。

 とはいえ、この店で働いている以上、初めて見るというわけでもなかった。だが、アリッサの記憶しているポーションといえば、ドレッシングボトルくらいの大きさがあったはず。しかし、ダグノが持って来たポーションは香油瓶よりもまだ小さかった。片手で包めるくらいのサイズしかない。

 後で知ったことだが、ポーションというのは一般的にグレードが高くなるほど容器が小さくなるものらしい。あのクリスタル瓶一本で小さな屋敷が一軒購入できる金額とか。

 ダグノはバラの花弁の浮いた温かいハーブティーに、手際よくポーションをブレンドして、シャーロナに差し出した。

「こちらは特製のリストラティブ・ブレンドです。熱いので、お気を付けください」

「どうもありがとう」

 ポーション入りハーブティーを口に含んだシャーロナの頬に、みるみる血色がよみがえる。薬草の煙なんかより、段違いに効果てきめん。

 それから、ダグノはスレンヤに耳打ちした。

「馬車はいつでも出発できます」

 スレンヤはうなずくと、厳粛な顔をして二人の客に謝意を述べたのだった。

「このたびはご不快な思いをおかけしまして、当店としましても痛恨の極みです。どうぞこのまま安静になさってください。落ち着かれましたら、馬車を準備しておりますので、いつでもお送りさせていただきます」

 手際のいいことだ、とアリッサが感心していると、ダグノは今度はアリッサとレイに向かって、

「お前たちはもういい。店に戻っていろ」

 二人は大人しく指示にしたがった。




 『水鳥の間』から退出するとき、アリッサが後ろを振り返ると、ダグノが床からシーツを拾い上げて、それを壁の鏡にかぶせようとしているところだった。

 ずっとアリッサの頭の中でモヤモヤとしていたものが、ここへきてハッキリとした疑問となって浮かんできた。

「あのコ、なんで気を失ったりしたのかな?」

 廊下を歩きながら、思い浮かんだことをそのまま口にする。

「もしかして、あの鏡せいかな?」

「……どうかな」

 少なくとも否定ではない返答。つまり、レイもアリッサと同じ考えらしい。

 というのも、あの鏡。二人とも目にしたのは今日が初めてだったが、そのウワサについては耳にしている。

 風の館が所有する魔法の鏡──『真実の鏡』。

(ほんとうにあったんだ……)

 魔法の鏡が風の館に保管されているというウワサは、店に用のないハルティラの庶民の間でさえしばしば話題に上るのだった。

 そのウワサの内容というのが、また突拍子もないものばかりで、たとえば──。

 ある貴婦人が恋人といっしょに鏡をのぞき込んだら、全然知らない女が血まみれで映っていた、とか。

 ある冒険者パーティが全員で鏡をのぞいたら、リーダー以外は全員ゴブリンが映っていた、とか。

 たいてい真偽不明の与太話にすぎないのだが、ひょっとすると、似たようなウワサ話をシャーロナもどこかで耳にしたのかもしれない。彼女は興味津々、『真実の鏡』は本当に存在するのか、それはどんな鏡なのか、確かめるために『水鳥の間』に忍び込んだのではないだろうか。

「ね、何を見たと思う?」

 鏡が映すのは()()であると言われる。のぞきこんだ者にとっての真実。でも、気を失うほどの真実とは、いったい何だろう?

 アリッサがふと横を見ると、レイがいない。

 振り返ると、レイはそこにいた。立ち止まって、どこかをじっと見つめている。

「どうしたの?」

 呼びかけにも答えず、視線を廊下の奥の暗闇に向けている。

「……シルフが……」

「シルフ?」

 レイはしばらく身じろぎもせずにいたが、やがてあきらめたように首を横に振った。

「……いや、なんでもない。戻ろう」


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