地精もどき
翌日は仕事を休んだ。
シャーロナの行動はアリッサにとってショックだった。彼女は破滅を選んだのだ。アリッサはそれに巻き込まれた。鐘塔から足を踏みはずした瞬間の、あの恐怖──。二度と思い出したくもない、しかし、忘れようのない記憶となって心に刻み込まれた。
翌々日もふさぎ込んだ気分のまま自宅に引きこもっていた。なんだか心の中が空っぽになったようだった。
食事はほとんど摂らなかった。三日が過ぎても食欲はとぼしいままだった。それでも、ようやくベッドから這い出して、母親の用意してくれたカブと玉ねぎの煮込みを口にしたら、意外にも完食した。その時、空っぽだったのは自分の胃袋のほうだったのかもしれないと気がついた。
翌週、アリッサは仕事に復帰した。
店の通用口から外に出るとそこは裏庭だ。こんなところに客は来ないので、誰も手入れする者はいない。すみっこに小さな畑があって、そっちは野菜や果実が植えられていたりする。
裏庭の先はトウヒ林に囲まれていて、ハイキングコースの入り口が藪のすき間に見えている。
アリッサは通用口に立って、斜陽に染まる裏庭を眺めていた。数日ぶりの仕事を無事に完遂して、これから帰宅の途につくところ。さぁ、帰ろう。
「アリッサ。おつかれ」
背後からの呼びかけにアリッサはビクッと肩を振るわせた。
「おつかれ……」
裏庭のほうを向いたまま答える。
少し間があって、
「元気そうで、よかった」
どこか言いづらそうにしているレイ・シーヴァルの声だった。
「う、うん……」
今日は他の同僚といっさい私語を交わさなかった。気持ちに余裕がなかったというか、仕事に集中している方が楽な気がしたからだ。ただ、レイに対してはそれだけが理由ではなくて、地下室で介抱してもらってから、いまだに顔が合わせづらい。でも、そういえば、ちゃんとお礼を言ってなかったなぁ……。
また沈黙がつづく。
「その、もし本調子じゃないなら相談に乗るけど。俺でよければ……シフトとか……」
「大丈夫!」
アリッサは息をすいこんで、ろくろみたいにその場で回転した。
「それよりも、どーしても! 気になってるのっ。ひとつだけ教えて。レイくんのことじゃくて。アタシを食べようとしたあのモンスター。あれ、何? 誰にも言わないから。それも話せないコトなら無理にとは言わないけど」
思いのほか二人の間隔は近かった。レイはアリッサの勢いに気押されたように「あぁ」とつぶやいて、ちょっと考える素振りをみせてから、
「俺もよく理解していない……というか、知らないんだ。男爵は地属性の精霊だと言い張ってたらしいが」
「精霊? それってシルフみたいな?」
レイは首を横にふった。
「いや、違う。あれは精霊じゃない。地虫だ」
「じ、む、し?」
「地属性のモンスター。人間に寄生するんだ」
寄生──それもまた予想しえない言葉だった。アリッサは暗闇でエンカウントした巨大な怪物の口をありありと思い出していた。あれが寄生? 食べられそうになったんだけど……。
「教えてくれたのはキヴマルなんだ」
周囲には誰もいなかったけれど、それでもレイは人目を気にしてか声をひそめた。
「もとは小さなミミズみたいなヤツらしい。自然界にある魔力を媒介する性質を持っている。他の生き物に寄生すると、魔力が共有されるんだ。わざと病人に寄生させて回復を助けるとか、そういうことをやっている地方があるって話さ。これもキヴマルに教えてもらった」
キヴマルはこの店のシェフ・パティシエだ。なぜ彼が地虫についてそんなに詳しく知っているのか謎だったが、彼がドワーフ出身であることと関係があるのかもしれない。
というか、この件はスレンヤオーナーから箝口令が出されているはず。そうでなくとも客のプライバシーは秘密厳守のばすなのに、すでに店の人間に話が広まってるのはどういうこと? もしかして、この店は社交界のウワサの拡散にひと役買っているんじゃないかしら? という気がしてくるアリッサだったが、それはともかく。
「つまり、モンスターがシャーロナさんに寄生してたってこと?」
「寄生させたんだ。わざと。魔法使いになるために。男爵の言葉を借りるなら『地精の加護』だ」
「そんなこと……」
アリッサにしてみれば、そこまでするの? という思いだったが、貴族にしてみれば魔法が使えるかどうかは大きな問題だった。
鐘塔でのシャーロナの言葉が耳によみがえる。
世代を重ねるにつれ、プルドイリス家の人間が生まれつき備えているはずの魔力は衰えていった。それゆえ、いつの頃からか、魔力を媒介するための地虫を利用する方法を編み出したのだろう。
「だけど、あのお嬢さんは鏡を見てしまった。おそらく、それがマズかった──」
これも推測だが、と前置きしてレイは説明を続けた。初めは小さなミミズに過ぎなかった地虫が、宿主自身の成長とともに肥大化していった。あのおせっかいな鏡はそれを暴いてしまった。映し出された地虫に彼女は驚き、拒んだ。その結果、地虫は彼女の体からこぼれ落ちてしまった。
しかし、アリッサはいまいち納得できない。
「でも、また寄生させれば魔法が使えるようになるんでしょ? わざわざ父親といっしょに取り戻しにきて、それなのに彼女はどうしてイヤがったのかな?」
あのモンスターに大人しく呑み込まれろというのは、たしかに抵抗がある。けれど、失うものと天秤にかけてみれば、我慢して受け入れるしかないのでは? シャーロナは地虫の力を偽物と言った。ウソの魔法。いつわりの魔法使い。でも、それの何が悪いのだろう? 貴族のほこりが許さないってこと?
レイは両肩をすくめた。
「……彼女の気持ちは本人にしか分からない。貴族にも悩みはあるのさ」
そう言うレイを、アリッサはじっと見つめる。もとより魔法の使えないアリッサには共感しがたい話だが、レイはまるで理解しているかのごとき口ぶりだ。
「ふーん。そういうものなのかな。それはそうとして、地虫ちゃんはどうなったの?」
「地下で大人しくしてる。……暗いところが好きらしい」
「お店で面倒みるの?」
「オーナーはそのつもりだ。ま、あのお嬢さんの決心がつくまでだな」
「だれが世話するの?」
「それは……」
レイは遠くを見るような目をして「俺だろ……。たぶん」とつぶやいた。
「ふーん。でも地虫ちゃんもかわいそうだね。長年連れ添ったシャーロナさんに拒まれたんだから」
アリッサは考える。あのまま自分が食べられてたらどうなっただろう? 自分でも立派な魔法使いになれる可能性があったのか? そのことを口にすると、レイはつまらなそうに、
「興味があるならべつに止めない。また泣きつかれても俺は知らないけど」
アリッサはグーでレイの腕を一発叩いた。思い出してまた顔が熱くなってきた。
「あのさ、」
質問したいことはいくつもあった。
ことさらに、目の前にいるレイのこと。
彼は通いではなく、店に住み込みで働いている。毎日、自宅と店を往復しているアリッサとはちがう。ということはつまり、レイはハルティア出身ではないというこだ。どういう経緯でこの店で働き始めたのだろう?
不意にオーナーの忠告を思い出す。レイがこの店にいられなくなるかもしれない。それは何だかアリッサ自身が望んでいないことのような気がした。
「なに?」
レイが叩かれた腕をさすりながら聞き返す。
「……何でもない! じゃ、また明日ー!」




