羽飾りの間
カラフルな彩色と緻密な彫刻がほどこされたケーキスタンドが、二つ。それぞれに、銀の蓋がかぶせられている。
アリッサ・アルデッシュはその美しいケーキスタンドをひとつずつ、ささげもつようにして慎重に、テーブルクロスの上に並べて置いた。
それから両手を伸ばし、左右の銀の蓋を同時にとりあげる。とたんに、テーブルの上の空気が華やいだように思われた。
たとえば、砂糖漬けのゴルゴンベリーを冠したタルトレット。たとえば、エントゴートのバターでソフトに仕立てたエルフィン・ミルフィーユ。あるいは、双隷星の光を封じ込めたアルカナ風味のジュレケーキ。さらには、魔王梨の暗黒ソルベ。その他、もろもろ。エトセトラ。
魔石を模したマジパン細工が周囲を艶やかに飾る。
ひとつひとつが甘美な輝きを放つ小菓子の数々。
「こちら、季節のスイーツセット──『麗しき旅の記憶 小妖精の宝物殿』にございます」
ほこらしげに告げたアリッサの言葉は、しかし、テーブルをはさんで向かい合う二人の若い客の耳には届いていないようだった。
「──モニカ・ハルダンは補修ですって。ランザール先生の結界学の課題も出しそびれていたそうよ」
「お気の毒……とは思わないわね。知ってる? アン・ネンガリィのこと。いつもモニカに腰巾着みたいに付き従ってる、あのコ。彼女が体調を崩していたらしいのよ。それで、モニカは課題を手伝わせることができなかったってわけ。手伝わせるっていうか、ほぼ丸写しなんでしょうけど」
二人はおしゃべりに夢中で、スイーツどころかアリッサの存在にさえ気づいていないのでは? と疑いたくなるほどだ。
ある夏の、ある日の午後。
店でいちばん陽当たりのよい『羽飾りの間』。
中庭を見下ろす窓際のテーブル席で、女性客──二人とも、どう見ても十代そこそこ──が、かしましくおしゃべりしている。
「ソーシャはおべっかね。先生たちにとりいることばかり考えてるみたい。それなのに、成果が上がっているとは思えないって、みんな陰口をたたいているわ」
「ふふ。あんな口さがない人たちと付き合うのはおよしなさいな、カデリ。器量がどうだの、家柄がどうだの、もちろん大切なことでしょうけど、あからさまなのはよい趣味とはいえないわね」
「だったら、マギーはどう? とても努力家だと思うわ」
「そうね。詠唱室の壁を吹き飛ばしちゃうくらいですものね。まったく、クラスメイトとして恥ずべきことだわ。そんなことだから、創立以来、三番目にひどい学年、なんてありがたいお言葉を頂戴するのよ。そもそも学生としての自覚が足りない生徒が多すぎるのだわ。学業にご興味がないなら、さっさと故郷へお帰りになればいいのに」
アリッサは黙ってカップとソーサーをセッティングする。ふと思う。このティーセットは、ワイバーンの骨粉を混ぜて焼いたとてつもなく高価な磁器──ということを、この客人たちは気づいているのかしら? もっとも、気づいたところで、貴族である彼女たちにとっては「それがどうしたの?」という感想にちがいないけれど。
「……ね、カデリ。その点、あなたは本当に非の打ち所がなくってよ。魔法の技量も、もちろん、みなが言うように家柄だって──いえ、形式的なことを言っているのではなくてよ。わたし、あなたのご両親にお会いした時に思ったのよ。ああ、カデリ・トゥールサーナは本物だって。身についた気品も、やさしい人柄も、素晴らしいご両親から受け継いだ賞賛すべき素質なのだって」
「ありがとう、シャーロナ。わたし、そんな立派な人間ではないけれど、あなたが心から誉めてくれているって分かっているし、それがとても嬉しいわ。……ひとつだけ本心を言えば、今期の魔法資源学のレポートは自分でもよくできたと思ってる。わたしに向いてるのかしら?」
「ええ、もちろん異論はないわ。とてもよい発表だったわね。さすがとしか言いようがないわ。先生もずいぶん誉めてらっしゃったし」
「あなたにそう言ってもらえることが一番の喜びだわ。……それでも、ねぇ、シャーロナ。あなたの実力にはとてもかなわないわ。これはお世辞じゃなくって、心からそう思ってるの。今期の最優秀賞も、絶対にシャーロナ・プルドイリスが受賞すると確信しているわ」
「ふふ。──過分なお褒めの言葉を頂戴いたしまして、感謝いたします」
そのセリフは誰かの口真似らしかった。二人はクスクスと笑っている。アリッサには何がおかしいのサッパリ分からなかったが、分かる必要はもちろんない。
ティーポットを手に取り、カップにお茶をそそぐ。
フルーツとハーブの香りのアルモニーが、磁器を透かした淡い光にくるまれて、蒸気とともに立ち上る。
この光と香りの共演をよどみなく演出するのがいかに難しいことか。この店で働き初めて、三ヶ月。はじめて納得のいく手並みを披露できたとアリッサは満足した。
「──今年の降霊祭の女神役は、誰がふさわしいかしら? シャーロナ、わたしがあなたを推薦すると言ったら、許してくれる?」
「ダメよ。あの祭礼服は着こなせないわ。悪い魔女みたいになるのはわかりきってるもの。……カデリ、あなたこそ立候補してみてはどう? みんなそれを望んでる。わたしが推薦してもよくてよ」
アリッサはテーブルに向かって無言で一礼した。そして、ワゴンカー(車輪つきサイドテーブルのようなもの)を押し押し、その場を離れた。
……シャンティブール仕込みの当店パティシエによる渾身のスイーツセットがお披露目されても、舌の肥えた令嬢たちはとりたてて興味も関心も湧かないらしい。
客室の出入り口まで戻ってきたところで、アリッサは盛大にため息をついた。と、バックヤードから出てきた同僚に見られてしまった。
「下向いてるとあぶない」
レイ・シーヴァル。彼はアリッサとほとんど同時期(アリッサほうが一週間早かった)にこの店で働き始めた同僚だ。
レイは柱の影から少しだけ顔を出して、『羽飾りの間』に視線を投じた。
「あの制服……」
窓ぎわの二人組が魔法学校の生徒だと気づいたようだ。
アリッサは「はあっ」と、またため息をついた。
「……ほんっと、イヤになっちゃう。あの二人、こっちに目も合わさないわよっ。っていうか、学生のくせにこんな店に来るわけ? 学校帰りに? 歳なんてあたしとそうかわらないのにっ? せめて、もっと嬉しそうな顔すべきじゃないっ? ここのスイーツセットって、めちゃ高いのよ!」
レイはふんと乾いた声をもらし、
「あいつら特別なのさ」
「知ってる!」
知ってるけど、わざわざ指摘してくれなくてもいい。特別なんて言葉を聞くとムカムカするアリッサだった。
と、その時。遠くから車輪と蹄の音が聞こえてきた。店の外からだ。
ホールチーフのダグノ・バルトロムカスが通りかかって、
「おい、ヴィスカムトン様だ。『雷槍の間』へご案内しろ」
アリッサの唇が、うへーと曲がる。
窓ごしにエントランスを眺め下ろすと、馬車から降りてきたばかりのヴィスカムトン子爵が女性をエスコートしているところだった。
「また先週と違う女の人をお連れなんですけど……」
萎えるアリッサ。イヤなお客が来た。
レイはアリッサほどでもなかったが、いまいち気が乗らない顔をして(いつもだが)、
「あいかわらず派手なオッサンだな」
「どうでもいいけどさぁ、あたし、あのお客さんの相手してると、いつも後でクシャミが止まらなくなるの。あの香水が、すっごく苦手!」
ダグノが咳払いした。
「お前ら、客に向かって余計なことを口走るんじゃないぞ」
口走りそうです、とアリッサの心の叫びが聞こえたのかどうか、レイが玄関ホールのほうへ歩き出した。
「えっ? レイくん! 行ってくれるの? ありがとー!」
レイはアリッサに背を向けたまま無言で片手を振った。




