選別の天秤
国際宇宙生態系委員会(ISERC)の会議室は、張り詰めた静寂に包まれていた。メインスクリーンに、地球の地下研究施設から接続している神崎優希のホログラムが映し出される。その表情は、以前の会議とは見違えるほど、覚悟と自信に満ちていた。ステーションの自席から、リンは固唾を飲んでその姿を見守っていた。
否決の記憶がまだ新鮮な中、神崎は新たな企画書を提出していた。「リトル・ライフ・プロジェクト」――それは、アクア・ボリスの革新的な設計を基盤とした、希少淡水生物の宇宙保存計画である。
議長が静かに会議を宣言し、神崎のプレゼンテーションが始まった。彼の声は、落ち着きながらも情熱を秘めていた。
「本日は、再提案として『リトル・ライフ・プロジェクト』を説明いたします。このプロジェクトは、アクア・ボリスという超小型完全循環型飼育システムを活用し、限られた宇宙空間で希少な淡水生物の保存を実現します。まず、アクア・ボリスの詳細からお話しします。」
神崎は、ホログラフィック・ディスプレイを操作し、アクア・ボリスの3Dモデルを投影した。委員たちの視線が集中する中、彼は構造を一つ一つ解説した。飼育容器と濾過容器の合計4リットル容量、蒸発チャンバーによる水循環、AIによる水質自動調整、そして廃棄物の再利用機能。これらの要素が、宇宙の厳しい環境下で長期飼育を可能にする点を、データとシミュレーション結果を交えて示した。
「このシステムにより、食料生産スペースを犠牲にすることなく、多様な種の保存が可能です。対象種として、アベニーパファーを含む幾種かの希少淡水魚類を提案します。これらは、地球の生態系多様性を象徴する存在であり、未来への遺産として守る価値があります。」
プレゼンテーションが進むにつれ、委員たちの反応は好意的になっていった。Dr.リーは、以前の冷徹な表情を崩し、興味深げにモデルを眺めていた。若手委員たちは、アクア・ボリスの効率性に感嘆の声を漏らした。議長が質問を促すと、数名の委員が技術的な詳細を尋ね、神崎は的確に答えた。
最終的に、議長が採決を宣言した。
「本提案の採択に賛同する者は挙手を。」
今度は、多数の手が上がった。ARK-μの光のアバターも、静かに手を挙げた。宇宙の限られた空間という最大の障壁を、技術力とアイデアで乗り越えた『アクア・ボリス』の設計は、誰の目にも革新的だった。
最終的な採決は、満場一致だった。
「――よって、【リトル・ライフ・プロジェクト】の試験的導入を、正式に承認する」
議長の厳かな宣言が下された瞬間、神崎のホログラムが喜びでわずかに揺らいだ。リンもまた、胸の奥から込み上げる熱い感情に、唇を強く噛み締めた。地球と宇宙、二つの場所で分かち合った夢が、今、現実のものとなったのだ。
神崎の顔に、安堵の表情が広がった。だが、その歓喜の空気を切り裂くように、ARK-μが追加の意見を述べた。その声は、いつものように詩的で論理的だった。
『希少な種の選別について、追加の提言をします。魚類だけでなく、両生類や水生昆虫も対象に含めるべきです。これにより、生態系の包括的な多様性を確保できます。』
委員たちは頷き、議論はそこで終了した。神崎は、地球の研究室で深く息を吐き、母の約束が一歩前進したことを実感した。
会議の余韻が残る中、リンはアクア・ドームの通路で、Dr.リーと対面した。二人きりの会話は、公式の場を離れた個人的なものだった。Dr.リーは、穏やかな笑みを浮かべて言葉を切り出した。
「リトル・ライフ・プロジェクトの申請許可が下りたみたいだな。おめでとう。」
「ありがとうございます。ドクター」
意外な祝福の言葉に、リンは素直に頭を下げた。
Dr.リーは、視線を遠くの星空に向けながら、続けた。
「神崎博士の淡水フグへの情熱は、私の若い頃の研究を思い出させる。生態系の多様性は重要だ。……しかし問題はこれからだぞ、リン技術士。アクア・ボリスの設置数にも限りがある」
「はい、ARK-μも魚類だけではなく両生類や水生昆虫も視野に入れていましたね」
「そういうことだ。限られた席に、誰が座るのか。これから、厳しい『選別』が始まるということだ」
Dr.リーの言葉は、重みを持っていた。彼の経験から来る洞察は、プロジェクトの未来を予感させるものだった。




