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星を泳ぐ小さな命  作者: たんすい
第1章:喪失の水辺
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希望の設計図

 エデン・ステーション、アクア・ドーム設計区画


 リンの作業スペースは、ステーションの生命維持セクションに位置する。壁一面に広がるホログラフィック・ディスプレイが、無数の設計図とシミュレーションを映し出している。そこに、ARK-μのアバターが加わる。柔らかな光の女性像が、リンの傍らに現れ、即座にデータを共有する。


『リン、地球からのデータを受け取りました。最小水量2リットル。効率を最大化するため、循環システムの最適化を優先しましょう』


 リンは、頷きながら指を動かす。仮想の3Dモデルが、空中に構築されていく。

「ええ。使用容器は、『アクア・ボリス』と名付けましょう。『小さな泡』という意味で。このプロジェクトの精神に合います」


 その時、リンは通信回線を活性化させた。地球の地下研究室から、淡い光の粒子が集まり、神崎優希のホログラムがアクア・ドームの中央に浮かび上がる。彼の立体像は、わずかなタイムラグを伴いながらも、鮮明に現れた。神崎の表情には、期待と緊張が交錯している。


『……ここが、アクア・ドーム』


 神崎は、息を呑んだ。

 彼のホログラムが映し出す視界の先には、想像を絶する光景が広がっていた。巨大な円筒形の空間。その湾曲した壁面には、地球の生態系を再現した巨大な水槽群が幾重にも連なっている。アマゾンの濁流、コンゴ川の深い青、メコンの豊かな水草。絶滅の危機に瀕した、あるいは既に地球から姿を消した淡水魚たちが、ここでは静かに命を繋いでいた。


 ここが、父が建設に携わった居住区画の一部。そして、自分が目指すべき場所。神崎の胸に、様々な想いが去来する。


「ようこそ、神崎博士。私の仕事場へ」


 声に振り返ると、リンが穏やかな笑みを浮かべて立っていた。その背後には、彼女のパートナーであるARK-μのアバターも控えている。


『リン、ARK-μ。設計の進捗は?』


 リンは、微笑を浮かべて彼のホログラムに向き直った。

「神崎博士、まもなく完成です。あなたのデータを元にARK-μが、昔設計した図面をアベニーパファー仕様にカスタマイズ中です。アクア・ボリスと名付けました」


『アクア・ボリス、いいですね』


「丁度完成したようです。アクア・ボリスの仕様を、詳しく説明しましょう。こちらをご覧ください」


 彼女はディスプレイを操作し、3Dモデルを拡大投影した。アクア・ボリスは、小スペースで水換えを一切不要とする革新的な装置である。飼育容器は2リットル、濾過容器も同容量――合計4リットルで、小型淡水魚の長期間の健康維持を可能とするAI搭載型。核心は、閉鎖循環システムにある。


「まず、基本構造です」

 とリンは説明を始めた。


 モデルが回転し、内部機構が透明化される。


「飼育水の下部から、魚の糞や餌の残渣などの廃棄物と共に水が排出されます。この排水は、専用の蒸発チャンバーで水蒸気に変換され、冷却コイルで再び凝縮。純粋な水として、濾過層を通って飼育容器に戻されます。これにより、水質の完全循環が実現します」


 神崎のホログラムが、身を乗り出すように前傾した。

『水蒸気変換……宇宙の真空環境でも安定するのですか?』

「はい」

 とリンは即座に応じた。


「ARK-μのシミュレーションで確認済みです。水質パラメータの安定性は99.8%。酸素濃度とpHの変動は、許容範囲内に抑えられます。廃棄物の固形分は、乾燥ユニットで水分を除去し、植物の肥料として再利用可能。これで、宇宙の限られた資源を無駄なく活用できます」


 ARK-μのアバターが、補足するように介入した。

『繁殖時のストレス要因も、AIによる自動調整で抑制可能です。神崎博士の観察データに基づき、ホバリング行動や産卵サイクルに最適化したパラメータを設定しました』


 リンはモデルをさらに拡大し、詳細部を強調した。

「全体の寸法は、260ミリ×140ミリ×120ミリに収まります。これで、アクア・ドームの居住区画に複数設置可能。食料生産スペースを犠牲にせず、多様性を確保できます」


 神崎の瞳が、感謝と決意に輝いた。

『これで……本当に、母の夢を叶えられるんですね。リンさん、ARK-μ。』


 脳裏に、母の言葉が蘇る。

 ――ねえ優希、この子たちを星まで連れて行けたら、素敵だと思わない?


 あの日の約束が、今、科学と情熱の結晶となって目の前にある。この小さな箱舟の中で、アベニーパファーたちは星の海を泳ぐのだ。


 リンは、ホログラムの彼を真っ直ぐに見つめ、力強く応じた。

「ええ。リトル・ライフ・プロジェクトは、ここから本格的に動き出します。小さな命が、星を泳ぐために」


『ありがとう……。これなら……これなら、母との約束が、本当に果たせる……』


 その言葉に、リンは静かに、そして力強く頷いた。

「いいえ、博士。これは、あなただけの約束じゃありません。私たちの希望です」


 技術者と研究者。地球と宇宙。

 二つの異なる場所で、同じ夢を見つめる魂が、確かに重なった。


 二人の視線が交錯する。過去の喪失が、未来の希望に変わる瞬間。アクア・ボリスは、ただの装置ではない。それは、失われた水脈を繋ぎ、宇宙に新たな波紋を広げる、静かな約束の結晶だった。

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