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星を泳ぐ小さな命  作者: たんすい
第1章:喪失の水辺
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星を泳いでいた命たち

 無数の赤い炎が、まるで天から降る涙のように海へと落ちていった。

 そして二つの命も、青い海原へ静かに放り出された。


 パラシュートが開く音。衝撃。水しぶき。


 地球は傷ついた。

 だがその傷は深くはなかった。

 カガトとARK-μが命を賭して破片を分離したことで、大半は海上に落下し、都市への直撃を免れた。

 人々が暮らす街は、かろうじて守られた。


 静かな波間に、棺型のカプセル――アクア・ステラが浮かんでいた。

 波に揺られながら、神崎とリンはゆっくりと目を開く。


 全身が鉛のように重い。

 地球の重力が、肌に沈み込むように押し寄せていた。


「……生きてる……」


 リンの声は震えていた。

 神崎はそっと彼女の手を握る。

 その手は、以前より重く――そして確かに温かかった。


「ああ、生きてる」


 空を見上げる。

 燃え尽きていない破片が赤い尾を引きながら流れていく。

 その中に、柔らかく緑に光る粒が混じっていた。


 アクア・ステラだ。

 命の器たちが、ほかにも大気圏を突破して海へ降りてきている。


 そのとき、船のエンジン音が近づいた。

 波を切り裂きながら一隻の漁船がまっすぐ向かってくる。


 操縦席に立つのは――


「アヤコさん!」


 船首に立つアヤコ。その隣には、地球で再生を誓った仲間たち。


「無事だったのかい。迎えに来てやったよ」


 低い声。強い瞳。


 その瞬間、船の舷側から海へ飛び込む影があった。


「ユウ! リン!」


 水をかきながら近づいてくる少女。


「……カンナ!?」


 二人は同時にハッチを押し開ける。

 あの顔、あの声、あの笑い方。


「びっくりした? 死んだと思ったでしょ?」


 カンナは息を弾ませ、濡れた髪を揺らして笑った。


「わたしもね、あの棺型アクア・ステラで降りてきたんだよ」


 言葉の端が、震える。


「もう死ぬって覚悟したとき、来てくれたんだ……アクア・ステラが。

 あとでわかった。ARK-μが射出してくれたんだって」


 声が揺れる。


「私の漂流軌道を、どこにいるかも分からないのに……ずっと探してくれてた」


 リンがそっと繋いだ。


「二基あったアクア・ステラは……カンナのために使われたのね。

 本当に生きてて、良かった……」


 その瞬間、神崎の脳裏にあの沈黙が蘇った。


「そうだ……あのときARK-μが“尋ねてきた”んだ。

 カンナが消えた方向を」


 数秒の沈黙。

 AIにとっては永遠とも言える時間。


 そして返ってきたのはただ一言――『確認しました』


「助かる確率が低すぎて、言えなかったんだ。

 だから『確認した』とだけ答えた。あの時の沈黙は……」


 希望を持たせないために。

 絶望させないために。

 それでも諦めないために。


 ARK-μは黙って、ずっとカンナを探し続けていた。


「二人乗りなんて……。

 私、ひとりで……ほんとに、すごく……怖かったんだよ……」


 カンナがアクア・ステラに掴まりながら、頬を膨らませる。


「ずっと一緒だったんでしょ、この狭い中で。……いいなぁ」


「馬鹿なこと言ってないで」


 アヤコの呆れた声が海に響く。


「早く二人を引き上げておやり、カンナ」


 ロープが投げられ、カンナが器用に結びつける。

 何人もの手が伸び、神崎とリンは甲板へ引き上げられた。


 金属の甲板が背中に響く。

 久しぶりに感じる“地球の重さ”だった。

 その重さが、なぜか心地よかった。


 続いてカンナも引き上げられ、濡れたまま二人に駆け寄る。

 三人は言葉もなく抱き合った。

 生きていた。繋がっていた。


 空ではまだ赤い流星が流れている。

 父の命が、あの光のどこかにいる。

 失われたものは多い。戻らないものも多い。


 それでも――

 抱き合う三人の体は温かかった。


 そのとき、通信機が音を立てた。

 静電気を帯びた雑音。

 そして、聞き慣れた声。


『みなさん、ご無事のようで何よりです。

 私の入ったアクア・ステラも回収していただけると嬉しいのですが……』


 ――ARK-μ。


 神崎とリンは息を呑んだ。


「……どうして? 君は父さんと一緒に……」


『残念ながら、カガト氏は亡くなりました。

 遠隔操作で支えていたパワードスーツも“ゴースト” も、ドームと共に消失しました』


 その声は穏やかなままだった。

 だがその言葉は、神崎の心臓を凍らせた。


『しかし私のコアは、アヤコ氏が地球で提供したバックアップ機に残っています。

 あらかじめアクア・ステラに移し、脱出させていました』


『カガト氏と共にいたギアは、復旧時に管制室の予備コアへコピーした個体でした。

 遠隔で、最後まで彼の傍にいました』


 神崎は言葉を失った。


 父は独りではなかった。

 最期の瞬間まで、ARK-μが寄り添っていた。


 それが救いなのか、それとも――


 やがて神崎は静かに頷いた。


「……ありがとう」


 その一言が、精一杯だった。


『この体はアヤコ氏からお借りしたもの。

 そろそろ返さなくてはいけませんね。

 それに――アストラ・ヴィータ・プロジェクトを、見届けなければ』


 アストラ・ヴィータ。

 星に生きる命。


 そのとき、夜空が動いた。


 赤い光が消え――

 代わりに無数の“緑”の光が、天から流れ始めた。


 柔らかく、優しく光る粒。

 何百、何千、何万という光。

 天の川のように夜空を満たしていく。


 アクア・ステラだ。

 すべてが命を載せた器。


 かつて星を泳いでいた小さな命――

 淡水魚たちが、帰ってきていた。


「きれい……」リンが呟く。

「……本当に帰ってきたんだ……信じられない……」

 カンナの声が震えた。


 アヤコは黙って、メガネを指で押し上げ、静かに外した。


 神崎は空を仰ぐ。

 緑の光の川。命の川。

 父が造り、人のために奪い返そうとし、最後に命を賭して守ったもの。


 それは人だけのものではない。

 魚だけのものでもない。


 ――命そのものの輝き。


 父の夢も、母の夢も、ARK-μの願いも、

 すべてがあの光の中に息づいている。


 神崎は呟いた。


「父さん……母さん……」


 涙が頬を伝う。

 それでも言葉は続いた。


「僕たちは、命を繋いだよ」


 緑の光が波に映り、海が星空のように輝く。


「この星に、もう一度――」


 拳を握りしめる。

 リンとカンナがそっと肩に手を置いた。


「泳がせるよ。あの小さな命たちを」


 夜空は祝福のような光で満ちた。


 赤い破片は消えた。

 だが緑の光は流れ続けている。


 命は続く。


 波の音だけが静かに響いていた。


 そして船は、星降る海を、ゆっくりと進んでいった。


 新しい明日へ向かって――


【終】

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