大気圏突入 アクア・ドームの終焉
カプセルが大きく揺れた瞬間、神崎は自分たちが本当に「落ちている」のだと理解した。
「ユウ、怖い」
リンの声が震えている。息が届きそうなほどの隣で、彼女の細い指が俺の手を強く握りしめる。爪が白くなるほど強く。
「大丈夫。ARK-μの設計を信じよう」
そう言ったものの、喉は乾いて張り付いていた。
ARK-μが設計した脱出カプセル。完璧な計算。完璧な軌道。
それでも――これから起こることは、本能が拒絶する落下だった。
ゴゴゴゴゴォォォ――。
最初は遠い雷鳴のような音。それが徐々に巨大な獣の咆哮へと変わっていく。
大気圏との接触。時速数千キロで空気分子を切り裂き、粉砕する音。
カプセル全体が軋み、外殻の悲鳴が振動として体に叩きつけられる。
窓の外が赤く染まった。
オレンジの炎が視界を覆い、カプセルを包み込む。
数千度のプラズマが外殻を舐め回している。それでも船内の温度計は摂氏二十三度のまま動かない。耐熱シールドは確かに働いている。
頭では分かっている。だが――
その向こう側に自分たちがいるというだけで、心臓は早鐘を打った。
「見て……」
リンが囁く。
炎の向こうに、無数の光の筋が散っていた。流れ星――いや、違う。
アクア・ドームの破片だ。
かつて父が建設技師として誇りを持って携わった居住ステーション。
人々が暮らし、後に淡水魚保全施設に転用され、そして「奪われた」場所。
父はそれを取り戻そうとし、テロリストと呼ばれるようになった。
そして今――その残骸が、彼らと同じように炎を纏って落ちている。
金属片、居住区の壁、そして水槽だったモジュール。
大小さまざまな破片が流星のように赤く輝き、夜空へ散りばめられた花火のように降り注ぐ。
あの中のどれかに、父がいる。
神崎の喉が詰まった。
あの光の粒の一つに。
あの赤く燃える流星の一つに。父の命が。
美しさと残酷さが混じった、鎮魂の花火だった。
数百、数千、数万の光の粒が暗黒から地球へと落ちていく。
すべてが終わり、すべてが消えていく光景。
魚のために奪われた場所。
人のために戦った場所。
そして今、誰のものでもなくなっていく場所。
父が命をかけて守ろうとしたもの、
人々のために奪い返そうとしたもの、
そのすべてが、消えていく。
ガクン、と突然カプセルが傾いた。
「きゃっ」
リンが悲鳴をあげ、神崎は胃が浮く感覚に襲われる。
姿勢制御スラスターが必死に吹き、角度を修正しているのだ。
一度でも失敗すれば、彼らもただの流星になる。
そして、足元に――青が広がった。
窓越しに覗く、深く、深く美しい青。
――地球。
雲の白、海の青、陸地の茶。生命の星。
彼らの生まれた星。記憶よりもはるかに鮮やかで、まぶしかった。
同時に神崎は感じた。
重力を。
見えないが確実に存在する巨大な力。
この惑星の質量が生み出す、抗いがたい引力。
それは彼らを優しく抱きしめようとしているのか。
それとも容赦なく引きずり落とそうとしているのか。
青い星は、美しい揺籃であり、恐ろしい深淵でもあった。
ゴォォォォォォォ――!
咆哮が最大音量に達する。
カプセル全体が震え、歯がガチガチと鳴った。
Gが襲い、体が座席に押しつけられる。呼吸が苦しくなる。
リンの手が、神崎の手を掴んだ。
「ユウ……」
「大丈夫」
今度は、神崎も彼女の手を握り返した。
温かい。生きている。
二人とも、まだ生きている。
窓の外では、アクア・ドームの破片が赤い花を咲かせ続けている。
その下では、地球が青い腕を広げて待っている。
そして彼らは、その狭間を――炎に包まれながら落ちていく。
生き延びるために。
生還するために。
あの、命の海へ還るために――。




