表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星を泳ぐ小さな命  作者: たんすい
第1章:喪失の水辺
72/74

分離の光

 大気圏突入仕様の棺型アクア・ステラに入った神崎優希と林芽衣。

 透けたカプセル窓越しに、遠ざかるアクア・ドームの巨影を静かに見つめていた。


 アクア・ドームの落下の速度は容赦なく加速し、大気圏の摩擦熱が装甲を赤く染め始めていた。


 地球の重力に引きずられる巨体を、必死に抗うESPRO艦隊のトラクター光線に支えられながら、ゆっくりと回転していた。青白い光の網が外装を締め上げ、艦隊のエンジンが無音の咆哮を虚空に放つ。


 耐熱ジェルの揺らぎの中で、二人は指を絡め、互いの存在を確かめ合う。言葉はなく、ただ沈黙が二人の心を繋いでいた。


「ユウ……お父様とARK-μは、あの中に……」

 リンの声が震える。神崎は彼女の手を強く握り返し、頷く。

「あの二人が、すべてを賭けたんだ。命と引換えに」



 生体認証を終えたカガトとARK-μは、アクア・ドームの深部、リングコアの制御室にいた。崩落した天井から剥き出しになったケーブルが火花を散らし、赤い警告灯が点滅する中、神崎加賀斗カガトとARK-μは、最後のシーケンスを前に向かい合っていた。カガトの宇宙服は血と汗にまみれ、ARK-μの鋼鉄のボディは傷だらけだったが、二者の視線は揺るぎない。


「思ったより時間がかかったが、これで終わりだ。ARK-μ分離シーケンスを起動する。」

『……カガト氏。わかっていると思いますが、分離成功後は、おそらく地球からの砲撃を受けこのアクア・ドームは破片となり地球に落下します』

「そんな事は、言われなくても承知のうえだ」


 アクア・ドームを二つに分裂させるための、緊急プロトコル。モジュールAとBの分離――それは、地球への脅威を最小限に抑えるための、最後の賭けだった。


 ARK-μのカメラアイが、カガトを捉える。合成音声が、静かに響いた。

『……カガト。あなたの選択を、私は誇りに思います。』

 カガトはわずかに目を細め、苦い笑みを浮かべた。

「AIのお前に、そんな感情があるとはな。……だが、感謝する。」

 二者は言葉を交わすことなく、シーケンスを起動した。アクア・ドームの構造体が震え始め、爆破ボルトが一斉に作動。金属の断裂音が内部を震わせ、巨大な亀裂がリングコアを中心に広がっていく。カガトとARK-μは、その中心で静かに立ち尽くす。自己犠牲の瞬間――アクア・ドームは、大気圏突入前に、二つの巨大な塊へと分離していった。


 ESPRO艦隊旗艦〈ジャスティティア〉 ブリッジ。


「分離を確認。モジュールA、地球への落下は不可避……間に合いません!」


 オペレーターの報告に、リアム・グレイフィールド准将は歯噛みした。


「……くそ。しかし、まだ終わりじゃない。モジュールBの牽引継続。 こいつだけは 絶対に地球へ落とすな」


「地球側より通達。これよりモジュールAの破壊作戦に移行するとのことです」



 * * *


 地球防衛局の迎撃管制室では、緊急プロトコル“アトラス・フォール”が発動されていた。モジュールAの落下軌道は、南太平洋上空を通過し、数分後には人口密集地に到達する可能性が高かった。


「ターゲットロック完了。モジュールA、質量推定2.4億トン、構造強度レベル7。破壊には三段階迎撃が必要です」


 主任技術官の声が、緊張に満ちた空気を裂く。


「第一段階、重粒子レーザー照射開始。目標外殻の熱応力限界を超えさせ、構造破断を誘発」


 軌道上のOIP-07から、直径数メートルの重粒子レーザーが発射される。赤紫色の光線が虚空を貫き、モジュールAの外殻に命中。瞬間、装甲表面が白熱し、内部の支持構造が軋みを上げる。


 * * *


 リングコア制御室――その中心に立つカガトとARK-μの視界が、突如として白紫色の閃光に包まれた。重粒子レーザーが外殻を貫いた瞬間、制御室の壁面が膨張し、熱衝撃波が金属を歪ませながら襲いかかる。


「来たか……」

 カガトは呟いた。


 ARK-μは即座に遮蔽フィールドを展開し、カガトの身体を包み込むように覆った。だが、レーザーの出力は想定を遥かに超えていた。装甲が焼け、制御室の床が崩落し始める。警告灯が一斉に赤から白に変わり、システムは最終段階の崩壊を告げていた。


『カガト氏、遮蔽限界まであと3秒。生命維持装置、臨界点に達します』


「……ARK-μ。もう守らなくていい」


 カガトは微笑みながら、ARK-μの胸部に手を添えた。その瞬間、制御室の天井が崩れ、超高温のプラズマが流れ込む。ARK-μのボディが軋み、カガトの宇宙服が焼け焦げていく。


『……記録完了。あなたの選択は、未来に継承されます』


 ARK-μのカメラアイが最後に捉えたのは、カガトの静かな笑顔だった。次の瞬間、制御室は閃光に呑まれ、モジュールAの中心部は完全に蒸散した。


「……父さん」


 神崎優希の叫びは、密閉されたカプセルの中で虚空に吸い込まれた。だがその声は、確かに宇宙の果てに届こうとしていた。


 彼の視線の先――カプセルの窓越しに見えるモジュールAは、まるで巨大な彗星のように、赤熱した尾を引きながら地球へと落下していた。だがその軌道上に、突如として白紫の閃光が走る。


「……来るぞ」


 彼はリンの肩を抱き寄せ、目を凝らした。


 モジュールAの外殻に、重粒子レーザーが直撃した。瞬間、装甲が白く膨張し、表面の金属が泡立つように崩れ始める。まるで巨大な花が、真空の中で音もなく咲き乱れるようだった。


「外殻が……剥がれていく……」


 リンが呟く。次の瞬間、複数のキネティック・インパクターが、裂け目に向かって突入した。秒速12kmの衝撃が、内部構造を粉砕し、モジュールAの胴体がゆっくりと折れ曲がる。


「……制御室は、あの中心部だ」


 神崎の声は震えていた。だがその目は逸らさない。


 そして――


 第三段階。広域プラズマ拡散弾頭が、モジュールAの心臓部に到達した。青白い閃光が一瞬、宇宙を昼のように照らし出す。その光の中で、モジュールAは音もなく崩壊した。巨大な構造体が、まるで砂の城のように崩れ、微細な粒子となって四方へと散っていく。


「……消えた……」


 神崎は呆然と呟いた。そこにあったはずの父の姿も、ARK-μの鋼の身体も、今はもうどこにもなかった。ただ、光の残滓だけが、星々の間に漂っていた。


 リンが、そっと彼の手を握る。


「でも……残ったよ。あなたの中に。あの人たちの意志が」


 神崎は頷いた。涙が頬を伝うのを、拭おうとはしなかった。


 カプセルの外では、アクア・ドームの破片が流星のように燃え尽きていく。その中に混じって、無数の球体型アクア・ステラが、白い尾を引きながら地球へと降下していた。稚魚、微細藻類、そして未来の命を宿した小さな箱舟たち。


 神崎は、窓の向こうに広がる青い地球を見つめながら、静かに言った。


「……ありがとう、父さん。ARK-μ。俺たちは、ちゃんと受け取ったよ」


 神崎がそう呟いた瞬間。


 ふっと、耳の奥が揺れた。


 声ではない。音でもない。

 ただ、水面をかすめる風のような、意識の端を撫でる感覚。


 ――ユウキ。


 たった 一音。


 振り返っても、そこには何もない。


 だが、リンは息を飲んだ。


「……今、なにか聞こえたよね」


 神崎は答えなかった。ただ、目を閉じて微かに笑った。


「うん。大丈夫。まだ――ここにいる。」


 カプセルは静かに降下を続ける。


 地球は青く、揺らぎ、受け入れるように広がっていた。


 命は、消えてなどいない。

 ただ、生まれなおすだけだ。


 未来の海へ、まだ見ぬ鼓動の群れへ――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ