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星を泳ぐ小さな命  作者: たんすい
第1章:喪失の水辺
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静かなる漂流

 切り離されたモジュールCが、ゆっくりと回転しながらアクア・ドームから離れていく。

 ESPROエスプロの艦隊が複数のワイヤー・アームを伸ばし、磁気牽引を開始した。推進音のない真空で、青白いスラスター光だけが、無音の炎のように瞬く。

 艦隊の指令艇〈ジャスティティア〉から伸びる光の索が、モジュールCの外殻を包み込んだ。モジュールCの切り離しにより、ドーム内部の気密性が完全に失われ、真空状態が広がっていた。


 離れていくモジュールCに影を落とし、〈OTOHIME〉が疾走する。


(そうだ、爆発の際、アクア・ドーム内部に吸い込まれた可能性は? アクア・ドームの内部は……もう宇宙と繋がっているんだ)


 カンナは〈OTOHIME〉の機体を、アクア・ドームの「外」ではなく、「内側」へと向けた。


(ユウは、この“中”のどこかに飛ばされたかもしれない……行ってみよう)


 見つけなければならない。この瓦礫の宇宙そらで、たった一人漂っているはずの彼を。


 カンナの乗った〈OTOHIME〉は、損傷したバランサーを微調整しながら、静かに推進剤を噴射した。

 かつて人々が暮らし、笑い合っていたはずの居住区。

 今は死の静寂に包まれた「内部の宇宙」へと、カンナはたった一人、捜索を開始する。


 〈OTOHIME〉は、牽引で開いたモジュールの隙間から、アクア・ドームの「内部の宇宙インナー・スペース」へと機体を滑り込ませた。


 そこは、もはやカンナの知る〈エデン〉ではなかった。


「……ひどすぎる」


 コクピットを満たすのは、彼女自身の息遣いと、機体が発するかすかな駆動音だけ。

 〈OTOHIME〉のサーチライトが絶対零度の闇を切り裂くと、悪夢のような光景が浮かび上がった。


 無重力空間と化したドーム内部には、ねじ切れたケーブルや爆散した壁の破片が、無数の小惑星のように漂っていた。


 そして――魚がいた。


 かつてアマゾンの生態系を彩った巨大なピラルク。

 その巨体がサーチライトに照らされ、白く浮かび上がる。

 鱗は氷の膜に覆われ、歪んだ体は凍りつき、口から伸びた氷結の結晶が牙のように光っていた。


 毒が命を奪い、その後の爆破で真空化した水槽が、すべてを瞬時に凍らせたのだ。

 ――巨大な“水の墓標”。


 〈OTOHIME〉がその傍をすり抜けると、無数の小さな魚の群れがライトを反射した。

 それらもすべて凍り付いたまま、ゆらめきながら漂っている。

 まるでダイヤモンドダストの海を進むような、死のきらめきだった。


「ユウ、どこ……!」


 カンナは焦りを抑え、操縦桿を握りしめた。センサーが金属片の電磁干渉に乱され、ノイズがHUDを埋め尽くした。瓦礫の金属片、凍り付いた水の塊、そして――


「……!」


 瓦礫の影に、人影があった。宇宙服を着ていない。

 薄い作業着のまま、虚空に投げ出されている。

 ESPROの爆破による減圧に巻き込まれたのだろう。


 その顔は苦痛に歪んだまま凍り付き、開かれた瞳は、もう何も映さないガラス細工のようだった。


 一人ではない。あちこちに、無惨な姿があった。

 ドームを守ろうとしたスタッフ。住民。女性も、子供も。

 彼らの遺体が、凍った魚の死骸とねじれた鉄骨のあいだを、等しく漂っている。


(ユウもこの中に……?)


 もし彼が宇宙服のまま、この残骸の中にいたら。

 もし、あの凍り付いた遺体と同じように――。


 その想像が、カンナの胸を突き刺した。

 吐き気が込み上げ、喉が痙攣する。

 酸素供給の警告が鳴る前に、彼女はヘルメットの内側で荒く息を吐いた。


「……っ、う……」


 視界が揺れる。心臓の鼓動が耳に響き、ヘルメット内の酸素が薄く感じられた。

 凍りついた母子の遺体が、ライトに照らされてゆっくりと回転する。

 その顔が――母に見えた。


 次の瞬間、記憶が弾けた。


 ――父の叫び。

 ――母の腕が引き裂かれる。

 ――〈STYx〉の赤いセンサーが、無表情に光る。

 ――血と火花。

 ――カンナの小さな手が、何も掴めずに宙を切る。


「やめて……やめて……!」


 カンナは操縦桿を離し、両手で頭を抱えた。

 呼吸ができない。酸素があるはずなのに、肺が動かない。

 心臓が暴れ、視界が白く染まる。


「ユウ……どこ……! ユウ……!」


 パニックに陥った彼女の手が、操縦桿を乱暴に叩いた。

 機体が制御を失い、警告音が重なる。

 〈OTOHIME〉は推進剤を誤噴射し、アクア・ドームの外へと飛び出していた。


 そこは――残骸だらけの虚空。


「いやぁぁぁっ!」


 カンナは無我夢中で残骸を避けながら機体を安定させようとするが、止まらない。

 〈OTOHIME〉は、巨大な残骸へと突っ込んだ。


 ガギンッ!


 凄まじい金属音と共に、機体が急停止する。

 衝撃でカンナはシートに全身を打ち付けた。


「……っ……」


 途切れた呼吸が、むせるような咳となって戻ってくる。

 涙で滲む視界の中、HUDが赤く点滅していた。

 『警告:機体、外部構造物と接触。損傷確認』


「……最悪……」

 カンナは涙を拭い、悪態をついた。

「何やってんの、あたし……」


 パニックで機体を損傷させてしまった。

 自己嫌悪に陥りながら、操縦桿を引いて機体を後退させる。


 〈OTOHIME〉が軋みながら距離を取った、そのとき――。


 視界の端に、白い点が浮かんだ。


「……え……?」


 HUDが自動でズームする。

 瓦礫の隙間――そこに、宇宙服が漂っていた。


 他の遺体とは違う。白く、完全な形の宇宙服。

 破損もなく、姿勢も崩れていない。

 まるで、誰かが今もそこに“いる”かのように。


 カンナは息を呑んだ。心臓が、ひときわ強く脈打つ。

 ユウであって欲しい――その一心で、彼女は機体を進めた。

「ユウ……?」


 だが、まだ確証はない。

 ヘルメットのバイザーは曇り、顔は見えない。

 通信も、反応も、何もない。


 それでも――その姿は、希望だった。

 死の海に差し込んだ、たった一つの光。


 カンナは震える手で操縦桿を握り直す。

 涙が頬を伝い、酸素供給の警告が再び点滅する。


「お願い……ユウであって……」


 〈OTOHIME〉は、星々の冷たい光を背に、静かにその白い宇宙服へと近づいていった。

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