失われた座標
爆発の衝撃でモジュールが分離され、カンナは宇宙の闇に投げ出された。
ゆっくりと意識を取り戻す。
視界はまだぐるぐると回り、世界が何層にもずれて重なって見えた。
吐き気が喉元までこみ上げ、指先の感覚がじわじわと戻ってくる。
耳の奥では、断続的な警報音と金属が軋むような不協和音が響いていた。
〈OTOHIME〉のコクピットは乱れたままで、表示パネルの一部は黒く滲み、
残った文字が小刻みに点滅している。
(どれくらい、気を失ってた……?)
カンナは操縦桿を握りしめ、機体の制御を取り戻そうとした。
だが〈OTOHIME〉は無反応のまま、ゆっくりと回転を続けている。
甲高い警告音が鳴り響いた。
『警告:オートバランサー機能不全。姿勢制御システム故障』
「くそっ、一番大事なとこが……!」
悪態をつきながら、強制的に手動制御へと切り替える。
IMCS(慣性姿勢制御システム)とスラスターを連動させ、逆噴射でジャイロ回転を相殺。
数秒の格闘の末、機体はようやく静止した。
荒い息を吐き、HUDを起動。
その瞬間――凍りつく。
――腕の中にあったはずの温もりが、ない。
爆発の瞬間、〈OTOHIME〉のアームで庇ったはずの神崎優希の姿が、どこにもない。
「ユウ……?」
声が空間に吸い込まれていく。
通信回線を開く。
「ユウ! どこ!? 返事して!」
しかし、通信ステータスは『OFFLINE』のまま冷たく点滅している。
爆発の衝撃で通信機ごと吹き飛ばされたのだろうか。
カンナはパニック寸前でARK-μの回線を開いた。
「ARK-μ! ユウがいない! どこにもいないの!」
『無事でしたか、カンナ。落ち着いてください』
鋼鉄の声は、こんな時でも冷静だった。
「落ち着けるか! ユウがいないんだ! 座標を教えて!」
『……スキャンを実行します』
永遠のように長い数秒。
『神崎博士の座標を特定できません。爆発の影響で宇宙服の通信機およびビーコンが故障した可能性があります』
「そんな……」
カンナは唇を噛んだ。胸の奥がざわつく。
恐怖と怒りが入り混じり、心臓を叩いた。
「どうやって探せば……いや、探す。絶対に探す。まだこの宙域にいるはずだ……!」
彼女がセンサーを乱暴に動かそうとしたその瞬間、――回線に割り込む声があった。
『ARK-μ、優希からか? 優希とカンナは無事か?』
――カガトだ。
カンナが言葉を発するより早く、ARK-μが重々しい声で応答した。
『はい。二人とも無事です。リングコア2の分離は成功しました。ただし、爆発の影響で神崎博士の通信機が故障した模様です』
カンナは息を呑んだ。
ARK-μが――嘘をついた。
それは、彼女が信じていた“命を守る機械”が、命を切り捨てた瞬間だった。
『カガト。地球の運命は我々の手にかかっています。優先すべきは、残るリングコア1の分離です。急ぎましょう』
AIは「感情」を捨て、「論理」を選んだ。
もしここで神崎の失踪を報告すれば、カガトは息子の救出を優先する。
作戦は破綻する――ARK-μは、その可能性を排除したのだ。
だが、カガトは黙らなかった。
「ARK-μ。カンナの回線に繋げ。直接話す」
『その必要はありません。リングコア2の分離は神崎博士とカンナの連携により成功しました。今、優先すべきは――』
「いいから繋げと言っている!」
怒声が真空に響いた。
AIの論理と人の情が、無音の宇宙で衝突する。
沈黙ののち、合成音声が低く応じた。
『……回線を接続します』
スピーカーが切り替わり、カガトの声がカンナのコクピットに届く。
『カンナ、一体何があった。優希は本当に無事なのか』
「……ユウがいなくなった。リングコア2の分離時の爆破で宇宙に投げ出された。今、探してる。でも無線が繋がらない……!」
『……そうか』
カガトの声は静かだった。
だが、その奥には炎のような決意があった。
『わかった。いますぐそちらに戻る。リン技術士にも伝えてくれ。宇宙での遭難は、一刻を争う』
その言葉を遮ったのは、ARK-μの冷たい音声だった。
『カガト氏、任務放棄は許されません。戻るのであれば――こちらに返答のない極端な行為と判断し、阻止措置を執行します』
「どうするというんだ?」
『リングコア1から離れるなら――撃ちます』
ARK-μのパワードスーツが、カガトのいる方向へ重い機体を向けた。
肩部兵装が起動シークエンスに入る。
だが、カガトは鼻で笑った。
「嘘が下手だな、ARK-μ」
『……どうしてですか』
「俺を撃てば、リングコア1の生体認証は二度と通らん。地球は救えない。お前の論理は、破綻している」
『…………』
「戻るぞ、ARK-μ。お前もだ。二人を探す」
そう言い残し、カガトは推進器を点火した。
ARK-μの巨体は、その場で静止した。
完璧な論理が、“親子の絆”という名のバグによって、初めて沈黙した。
宇宙は静かだった。
だが、その静けさの中で、確かに命が動いていた。
星の光が、かすかな希望を灯す。




