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星を泳ぐ小さな命  作者: たんすい
第1章:喪失の水辺
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命を賭した論理

 静止した〈OTOHIME〉を前に、誰もが動けなかった。

 人工空を照らす光は弱まり、金属の粉塵が、夕暮れのように漂っている。

 落下まで、残された時間はわずか十二時間――。


 ハル少尉は眉をひそめ、銃を構える兵士たちを制した。

 その瞳には、AIへの警戒と疑念が浮かんでいる。


「……ARK-μ。貴様の機体は、テロリストが用いた兵装と同型だな。

 まさか、貴様もその共犯というわけか?」


『論理的誤謬です。私は地球統一政府の管理下にあるAIシステム。

 私の行動原理は“最大多数の生存”の保証――すなわち、地球の破滅の回避にあります。』


「では、その機体はどう説明する?」


『パワードスーツの行動は、モジュール分離シーケンスの起動を目的としたものです。

 設計者・神崎加賀斗の協力のもと、作業は進行しています。』


 兵士の一人が叫んだ。

「ふざけるな! テロリストが寝返って協力しているだと? そんな話、信じられるか!」


『リングコアの分離には、設計者である神崎加賀斗の生体認証が必要です。

 残る二つのコアの切断と、その後の再構築には、彼の専門知識が不可欠です。』


「……それを信用しろと?」


『神崎加賀斗は制圧時にプロトコルを書き換えています。

 彼を拘束すれば分離は不可能。結果、アクア・ドームは地球へ落下し、

 カテゴリー・オメガの事態が確定します。』


 リンが一歩前に出た。

「少尉、ARK-μの言うことは事実です。

 ドームの推進系のメインスラスターと制御コントロールは、すでに破壊されています。

 軌道修正は不可能――残る道はステーションを四つに分割し、

 ESPRO艦隊の牽引力で軌道を逸らすしかありません。」


 ARK-μは〈OTOHIME〉の傍らに立ち、ゆっくりとハル少尉に向けて腕を上げた。

 その巨腕は、まるで銃口のように見えたが、そこには威嚇ではなく“論理”の意思があった。


『神崎加賀斗を排除する決定は、地球の秩序回復という貴軍の使命を否定します。

 それは、人類存続の可能性を自ら放棄する行為に等しい。』


 優希が前へ出た。

 その瞳には、父とAI、そして人類の未来が映っていた。


「ハル少尉。父はもう、復讐のために動いてはいません。

 私たちとの対話で、“創造”の側に立つ決断をしたんです。

 彼をテロリストとしてではなく――地球を救う最後の技術者として扱ってください。

 時間はありません。父なしでは、この任務は完遂できません。」


 ハル少尉の青い瞳が、〈ARK-μ〉、〈OTOHIME〉、そして優希の顔を順に見た。

 その理性は、この異様な状況がAIの導き出した“唯一の論理的最適解”であると理解しつつあった。


「……信じられん。テロリストに地球の命運を委ねるなど……」


 そう呟きながらも、彼の手は静かに動き、部下に銃を下ろすよう合図を送っていた。


 ESPROの隊員たちは次の命令を待っている。

 静寂が戻り、遠くでリングの回転機構が軋む。空間全体が微かに震えた。


「……少尉、ご命令を。」

 副官の声が、緊張に揺れた。


 ハルは端末を手に取り、上層部への通信回線を開く。

 だが、音声が流れる前にスイッチを切った。本部が知れば、すべてが無駄になる――。


「……やめだ。」


 副官が息を呑む。


「我々の任務は、テロリストの捕獲ではない。」

 ハルの声は低く、しかし明確だった。

「命の回収だ。」


 一瞬、時間が止まったように静まり返る。


 ハルは小さく息を吐き、わずかに笑った。

「それに――リン技術士が言っていたな。

 タスマニアのムカシエビと、インドネシアの淡水ウミウシを、まだ確認していないと。」


 副官が戸惑いながら問い返す。

「……そんなものを、この状況で?」


「ああ。私は、見てみたい。」


 その一言に、場の空気が変わった。

 命令と良心の秤が、静かに釣り合いを変える。


「全隊、構えを解け。発砲を禁ず。

 我々はアクア・ステラの回収に戻るぞ。」


「しかし、本部は――」


「聞こえなかったのか? 命令だ。」


 副官が敬礼し、隊員たちが一斉に動き出す。

 機械の駆動音が再び満ち、リング制御区画の照明が灯った。

 人工空に、金属の雷鳴が轟く。


 ハル少尉は、静かに呟いた。

「リングコアの破壊は――君たちに任せた。

 どうか、地球を救ってくれ。……私の家族も、地球にいるんだ。」


 一瞬、彼の声にかすかな震えが混じった。

 それは軍人の言葉ではなく、一人の人間としての祈りだった。


 そして、ゆっくりと続けた。


「私たちは、生きて帰る。――それが、本当の勝利だ。」


 リングコアの赤い警告灯が次々と緑に変わり、

 アクア・ドームの心臓が低く脈動を始めた。


 その光がハルの頬を照らし、

 誰もが気づかぬうちに、彼の表情には安堵と希望が混ざっていた。


 優希は父のコクピットを見つめ、静かに頷いた。

 創造者としての父が、ようやく未来を選んだのだ。

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