父の逃亡
アクア・ドームの医務室は、緊急医療用の白い光に満ちていた。
硝煙の匂いが微かに漂う中、カガトはリングコアでの作業中にデブリがかすめた左腕のスーツの裂け目を、バイオパッチで塞いでいた。息子との再会と、創造者としての道を選んだ重みが、彼の胸を締め付けていた。外の喧騒は遠く、孤独な静寂が彼を包む。
その静寂が、荒々しい足音で破られた。
「くそっ、このデブリ、まだ動くのか!」
吐き捨てる声とともに、ESPROの兵士二人が医務室に飛び込んできた。ハル少尉と共に回収作業に従事していた警備兵で、一人が肩を押さえ、血と油が混じった液体が床に滴る。
「緊急で処置が必要だ!」
カガトは顔を隠すように背を向けたが、処置ベッドに向かう兵士の一人、ジェイク二等軍曹がその横顔を捉え、動きを止めた。
「……お前は……」
ジェイクの瞳に、警戒と憎悪が走る。彼は肩の痛みを忘れ、腰の銃に手をかけた。
「動くな!貴様はテロリストの首謀者、神崎加賀斗だ」
カガトはゆっくり振り返り、冷めた目で二人を見据えた。否定も肯定もせず、沈黙が流れる。だが、彼の脳裏に、地球政府の裏切りと息子の顔がよぎる。ここで捕まれば、優希との約束も、アクア・ドームの未来も終わる。
「すぐに管制室へ連絡を……テロの首謀者を発見した!」
ジェイクが通信機に手を伸ばした瞬間、カガトの身体が動いた。
「させるか!」
彼は咄嗟にジェイクに体当たりを食らわせ、医療機器をなぎ倒して床に倒れ込ませた。
ジェイクは血を拭いながらカガトを睨み、医務室の通路の奥に目をやるとピンク色のパワードスーツが目に飛び込んできた。
「そのパワードスーツ!ピンクの機体……追放区でSTYxを全滅させたテロリストの機体だ!貴様らは、あの時の生き残りか!」
カガトは何も答えず、目を見開いた。OTOHIMEがすでにESPROに認識されてしまった事実に驚愕する。
扉はすでに兵士によって出られない。 彼は一瞬だけ視線を走らせ、医務室の側壁――観察用の強化ガラス窓に目を留めた。
「……行くしかない。」
カガトは助走もなく、全身の力を込めて窓へと突進した。 強化ガラスが鈍い音を立ててひび割れ、次の瞬間、彼の身体ごと粉砕された破片を突き破って通路に飛び出す。
「息子よ……すまない。今は、こうするしかない……」
通路の薄暗い空気の中、彼は血の滲む腕を押さえ、通路の奥――カンナの機体〈OTOHIME〉へと駆け出す。
通路には、作業室から駆けつけたリン、ユウ、カンナ、そしてハル少尉の姿があった。 突然窓を突き破って現れたカガトに、全員が目を見開く。
カガトは無我夢中でその中へ突っ込んだ。 カンナが避ける間もなく跳ね飛ばされ、床に叩きつけられる。
「父さん!?何を――!」
優希の叫びが響く中、カンナはうめき声を上げながら身を起こそうとする。
カガトはよろめきながらOTOHIMEのコクピットに飛び込むと、ハッチを乱暴に閉めた。
「すまない、優希、今は捕まるわけにはいかないんだ!」
ユウが叫ぶ。
「父さん、やめるんだ!そんなことをしても、何にもならない!」
カンナは床に倒れたまま、震える声で言った。
「……OTOHIMEは……命を守るための機体なんだ…… 人を傷つけるために使わないで……お願い……!」
その瞳には、痛みと混乱、そして裏切られたような色が浮かんでいた。
パワードスーツのメインカメラが、血のように赤い光を灯す。
機体が重々しい駆動音を響かせ、無骨なプラズマキャノンがゆっくりとESPROチームの方向へと向けられた。
ハル少尉が低く呟いた。
「……これは、交渉では済まない。」
テロリストの首謀者が、STYxを打ち破った兵器を乗っ取り、
ESPROチームと対峙する――一触即発の危機が、
大気圏突入を目前に控えたアクア・ドームの通路に、突如として現れた。
そして、誰もが忘れかけていた。
この機体には、かつて“命を守るための記憶”が刻まれていたことを。
その記憶が今――誰の手によって、何のために動かされようとしているのかを。




