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星を泳ぐ小さな命  作者: たんすい
第1章:喪失の水辺
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命を繋ぐ橋脚

 真空に光の雨が降っていた。

 無数のデブリが流星のように閃き、リングの外殻を穿つ。

 その閃光の下を、カガトのスーツが一人、漂うように進んでいた。


 ARK-μの警告音が、途切れ途切れに響く。

『警告。外部リンク切断。被曝率上昇。生命維持限界まで残り四分三十秒。』


 神崎の声が震えていた。 「父さん、戻って! もう限界だ!」


 だがカガトは、振り返らない。 損傷した左腕を押さえながら、右手で工具を掴み、 リング外縁の最後のボルトへと身を寄せた。


「なぜ彼女が時間を聞いてきたと思う? お前は交渉時の“時間”の重さを、まだ理解していない。相手はグレイフィールドだ。あの男にとって、五分は命の価値を測る秤だ。」


 神崎は息を呑んだ。


「交渉とは、言葉のやり取りじゃない。時間の使い方そのものが、信頼と意志の証明なんだ。遅れれば、意図は疑われる。早すぎれば、準備不足と見なされる。だからこそ、約束の時間に“結果”を示すことが、唯一の説得になる。」


 カガトは、最後のボルトに工具を当てながら、静かに続けた。


「……この一つが、終わらせる鍵だ。俺が創った構造なら、俺が断ち切る。」


 外殻の裂け目から、青白い光が差し込む。

 その光は、遠く離れた〈ジャスティティア〉の艦体にも届いていた。


 リングコアが低く唸りをあげる。

 カガトは静かに息を吐いた。

「優希……お前が橋を渡れ。俺は、道を創る。」


 ツールがボルトに接触する。

 振動が指先から腕へ、そして胸の奥へと伝わった。

 シーケンスの制御盤が応答し、残っていたリングの回路が一瞬、青く閃く。


 ARK-μ『再接続確認。リング1、同期再開。』


 優希の叫びが、通信越しに弾けた。

「父さん――やったんだな!」


 ARK-μ『リング1、分離シーケンス再起動。最終段階へ移行。』


 リングの外殻が軋みを上げる。 閃光が走り、制御ラインが次々と点灯した。


 ――そして、光が走った。


 ARK-μ『リング1、分離完了。モジュールD切り離し成功。』


 優希は息を呑み、操作パネルを見つめた。 その瞬間、通信ランプが再び緑に点灯する。


『……優希、聞こえるか』


 かすれた声だった。 優希は反射的に叫んだ。


「父さん……!」


 〈OTOHIME〉のセンサーが、リング外縁に漂うスーツの微弱信号を捉える。 カンナが即座に操縦を切り替え、マニピュレーターを展開した。


「生命反応、確認。引き込む!」


 スラスターが噴射され、〈OTOHIME〉がゆっくりと接近する。 白い霧の中、カガトのスーツがゆっくりと回転しながら、機体の影に吸い込まれていく。


 ARK-μ『生命維持システム、臨界を脱出。減圧停止。冷却系統、応急処置完了。』


 エアロックが閉じ、内部気圧が上昇する。 優希はヘルメットを外し、父のスーツに駆け寄った。


 カガトは目を閉じていたが、呼吸は確かにあった。 その胸が、ゆっくりと上下している。


「……父さん、聞こえるか。分離が成功したよ。論理が、世界を動かしたんだ」


 カガトは微かに目を開け、優希を見た。 その瞳には、技術者としての冷徹な光ではなく、父としての誇りが宿っていた。


「……そうか。なら……時間は、無駄じゃなかったな」


 優希は頷き、そっと父の手を握った。 その手は冷たかったが、確かに生きていた。


 カンナが背後で息を吐く。

「まったく……こんなところで死んだら、何にもならないって言っただろ」


 ARK-μが静かに告げる。

『分離モジュールD、牽引準備完了。ESPRO艦隊との同期を開始します』


 優希は父の手を握ったまま、遠くの宇宙を見つめた。 そこには、分離されたモジュールが、牽引光に包まれて静かに漂っていた。


 そして、〈ジャスティティア〉の艦首が、ゆっくりとこちらを向いた。


 ――橋は、繋がった。


 直後、彼らの背後、遥か遠くに浮かぶアクア・ドームの外壁で光が弾けた。巨大な円筒がゆっくりと、本体から切り離されていく。


 グレイフィールドの凍りついた顔に、一瞬の驚愕が走る。すぐに彼は理性の仮面を戻し、号令を発した。


「全艦隊に通達。破壊作戦は中止。分離したモジュールを損傷なく補足せよ。牽引ビームを展開、軌道修正プロトコルへ移行! ただし、牽引に間に合わぬものは──大気圏突入前に破壊する!」


 Dr.リーは安堵の息を吐き、グレイフィールドに最後の約束を求めた。

「ありがとうございます、准将! 我々も、保護していただけますね?」


 グレイフィールドは彼らを一瞥し、冷たく頷いた。


「貴官らは、地球の秩序を回復させる資産と見做す。ドーム内の生存者と、貴官らのアクア・ステラを保護下へ収容するよう命ずる」


 グレイフィールドは背を向け、指揮席へと歩き出した。 その背中に、リンはそっと呟いた。


「……あなたの秩序が、命を繋いだのですね」


 准将は振り返らなかった。 だがその歩みは、ほんのわずかに、遅くなった。


 遠く、宇宙の闇に浮かぶ分離モジュールが、牽引光に包まれていた。 その中に、まだ息づく命がある。 そして、命を繋ぐ者たちがいる。


 ――秩序とは、何を守るためにあるのか。


 その問いだけが、静かに、艦内に残された。

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