五分間の孤独
Dr.リーとリンは、ESPROの旗艦「ジャスティティア」内の冷たい拘束区画で、リアム・グレイフィールド准将と対峙していた。目の前のテーブルには、生命の光を放つ十数個の〈アクア・ステラ〉が整然と並ぶ。希少種の遺伝資源を収めた小さな球体──それらが、交渉の切り札だった。
「これらが、貴官らがテロの炎の中で守り抜いたものか」
グレイフィールドの冷たい青い瞳が、球体を無感情に見下ろす。彼の声には称賛も侮蔑もない。ただ、合理的な評価だけがあった。
「はい、准将」Dr.リーは一歩も引かず背筋を伸ばす。「これらは、地球で絶滅した種、あるいは絶滅寸前の種の最後の遺伝資源です。破壊してもテロリストは痛まないでしょうが、人類は未来を失います。破壊ではなく、回収こそが、貴官の目指す“秩序の回復”に整合するのではないですか」
リンは、グレイフィールドに付き従う兵士たちを見やり、静かに言葉を継いだ。「私たちはテロリストではありません。この中にあるのは、私達が守り抜いた、失われた命の記憶を未来へ繋ごうと作った“希望”です」
グレイフィールドは腕を組み、冷然と頷いた。
「よかろう。資産は確保する」
彼の顎が動くと、兵士たちが即座に〈アクア・ステラ〉の回収を始めた。
「だが、貴官らがテロリストと手を組み、地球への落下を企てた事実は消えぬ。私の命令は破壊の実行だ。テロの温床は根絶せねばならん」
「お待ちください、准将!」
Dr.リーは声を張り上げる。「我々はテロリストの狂気を増幅したのではなく、収束させようとしている。ドーム破壊は不確実な排除にすぎない。ここに、脅威を完全に排除する唯一の論理的最適解があります」
彼はシャトル内のモニターにアクア・ドームの構造図を投影した。
「我々はドームを四つの主要モジュールに分離する計画を実行中です。これにより脅威を分散させ、貴艦隊の力で各モジュールを安全な軌道へ牽引していただく──この方法こそ、地球の十億の命を救う、最も確実な秩序回復です」
リンは神崎から渡された通信端末を握りしめながら、グレイフィールドの目を真っ直ぐに見据えた。
「最初の分離が成功すれば、我々が地球を救おうとしていると信じていただけますか?」
グレイフィールドは、冷徹な人生のなかで初めて、破壊命令を下す指を止めた。彼はテロリストへの憎悪と、目の前の科学者が示す「論理的最適解」の可能性を秤にかける。
「…わかった」
准将の声が、緊張で満ちた空間に響いた。「私の秩序の論理に、一縷の希望を賭けよう。約束の時間が来れば、貴官らは“テロリストではない資産”となる。だが、失敗すれば――」
彼の言葉には、執行を待つ冷たい決意が滲んでいた。
そして──約束の時間が来た。
秒が進むごとに沈黙が空間を食い破る。
グレイフィールドの顔は氷のように硬く、青い瞳がDr.リーとリンを貫いた。
Dr.リーの額には大粒の汗が滲む。
「約束の時間が過ぎた、Dr.リー」
グレイフィールドは感情を殺して言い放つ。「貴官らの論理は破綻した。私の命令は破壊の実行だ」
破壊命令を下す指が、ピクリと動く。
その指に、人類の運命が握られていた。
「お願いします、准将…!」
リンは青ざめて懇願する。手の中の端末を握りしめ、神崎の苦闘を信じ続けた。
「システムは巨大です。わずかな誤差があるはずです! あと五分、あと五分だけ待ってください。必ず成功させます!」
グレイフィールドは一瞬だけ目を閉じた。
感情の介入は、彼にとって最大の敵だ。しかし、その理性は、目の前の科学者の必死の訴え、生命の価値、そしてテロリストの企図を覆す可能性を秤に掛けていた。
やがて彼はゆっくりと手を下ろし、冷徹な声で告げた。
「…五分だ。私の秩序をこれ以上乱すな。その五分で何も起こらなければ、貴官らはテロリストと同一視され、この艦は命令を遂行する」
リンは息を呑み、端末を握りしめた。
その手の中には、まだ応答のない通信回線と、カガトの命を賭けた作業の記録が残っている。
Dr.リーはグレイフィールドの視線を受け止めながら、静かに呟いた。
「……五分で、地球の運命と星の生命が決まるのか」
その言葉に、誰も応えなかった。
ただ、艦内の時計が、静かに時を刻み始めた。
──残り、四分五十九秒。




