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星を泳ぐ小さな命  作者: たんすい
第1章:喪失の水辺
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断絶の環(リング)

 無音の闇に、作業灯の光が点いた。

 〈OTOHIME〉がリング外殻を照らし、微細な粒子が白く流れる。

 優希は再び息を整え、父の指示に従った。


 ふと視界の端に光が走る。

 〈アクア・ドーム〉の外縁から、小型艇が離脱していく。

 その推進炎が闇を裂き、〈ジャスティティア〉へと向かって伸びていた。

 ――リンとDr.リーの船だ。


 通信が割り込む。

『……ユウ、聞こえる?』

 途切れがちなノイズの中に、リンの声があった。


「リン……! そっちに出たのか!」

『ええ。いまESPRO旗艦〈ジャスティティア〉へ向かってる。グレイフィールド准将はまだ交渉の席にいる。――時間を知りたいの、リングコア1の分離、あとどれくらいで可能?』

「父さん、あとどれくらいだ?」

「外部安全ピン解除まで三分。点火準備を含めて八分だ。」

『八分……了解。――ユウ、お願い、間に合わせて。こっちも、それまでに“扉”を開けてみせる。』

「リン……無理はするな!」

『あなたもね。私たちは同じ橋の両端にいる。――必ず、繋がるから。』


 通信が途切れ、静寂が戻る。


「ここだ、パネルを開け。」

 カンナのマニピュレーターが装甲を剥ぎ取り、内部のボルト群を露出させる。

 カガトが慎重にツールを操作し、安全ピンを抜いてワイヤーを接続した。


「リングコア1、準備完了。シーケンスを同期させる。」


 制御盤へ戻り、カガトが最終コマンドを入力する。

 低い振動が全身を包み、リングのボルトが充電を始めた。


 そのときだった。


 ARK-μ『高速物体接近――マイクロデブリ、衝突まで残り60秒。ステーション内へ退避して下さい。』


 カンナが叫ぶ。

「神崎、捕まって!」


 〈OTOHIME〉のスラスターが一斉に噴射する。

 金属の外殻がきしみ、空間全体が振動した。

 優希は磁気ブーツを解除し、船体の手すりを掴む。

「父さん、もう離脱を!」


 だがカガトは制御盤の前から動かない。

「あと20秒で同期が終わる……ここを離れたら、全てが無駄になる!」


 ARK-μ『衝突コース確定。衝撃まで残り15秒。』

「戻れ、無茶するんじゃない!」


 優希の叫びが響いた。


 そして、世界が閃光に包まれた。


 無音の衝撃。

 数万の粒子が流星群のようにリングを貫いた。

 鋼鉄の外殻が裂け、真空に白い光の尾を散らす。


 その瞬間、カガトのスーツの左肩に何かが掠めた。

 圧縮空気が爆ぜ、白い霧が噴き出す。

 血ではない――冷却液が、真空で一瞬にして蒸散していた。


「父さん!」


 優希が彼の腕を掴む。

 カガトの体がゆっくりと傾き、背後のパネルに激突した。

 HUDが赤く点滅する。

 ――【スーツ冷却系統損傷】

 ――【減圧進行率:14%】


 ARK-μ『カガトの生命維持システムに異常。即時退避を推奨。』


「〈OTOHIME〉、アーム展開! 掴んで、今すぐ引き戻す!」

 優希が叫ぶ。


 カンナのマニピュレーターが伸びる。

 だがその動きは震えていた。

 彼女の声が通信チャンネルを突き破るように響く。


「こんなところで死んだら、何にもならないだろ……!」

「アンタが命懸けで造った〈エデン〉も、守ろうとした〈アクア・ステラ〉も、全部、無駄になるんだよ!」

「あたしは……あたしは、アンタの死に意味なんか持たせたくない!」


 その叫びは、真空の宇宙に届かないはずの音を、

 仲間たちの胸に刻みつけた。


 ARK-μが静かに告げる。

『感情的判断は非合理ですが……その言葉には、論理を超えた力があります。』


 優希は父の腕を掴みながら、カンナの言葉を噛み締めた。

「……そうだ。父さん、僕らはまだ終わってない。

 あんたの命を、ただの犠牲にはしない。」


 カンナの再びの叫びと同時に、マニピュレーターが全力で伸びる。

 無重力の中で、三人の身体がエアロック方向へ引きずられていく。


 外では、デブリの雨がなおも断続的に降り注いでいた。

 青白い粒子が光の尾を曳き、リング表面を穿つ。

 充電中のボルトが過負荷でスパークを上げ、

『分離シーケンス中断』の赤文字が制御盤に点滅する。


「システムが……止まった……」

 優希の声が震える。

「父さん、しっかりして!」


 カガトは息を荒げ、かすかに呟いた。

「……まだだ。……リング1は……終わっていない……」


 その手が、空を掴むようにゆっくり動き――

 冷却液の霧の中で、力なく垂れた。


「父さんっ!」


 〈OTOHIME〉のアームがエアロックへ滑り込み、

 内部気圧が上昇を始める。

 背後で、外殻が軋み、崩落音のような低い唸りが伝わった。


 ARK-μ『外部リンク途絶。リングコア1、制御不能。』


 赤い警告灯が、静寂の中で点滅している。

 リングの外では、崩壊した金属片がゆっくりと漂い、

 その隙間から、遠い地球の青い光が揺らめいていた。


 優希はヘルメット越しに父の顔を見つめる。

「……父さん、ねえ、聞こえる? もう少しで、終わるんだよ……」


 応答はない。

 呼吸音も途切れがちだった。


 背後のスクリーンには、

 “分離シーケンス未完”の文字が、なおも点滅し続けていた。


 ――リング1、失敗。

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