断絶の環(リング)
無音の闇に、作業灯の光が点いた。
〈OTOHIME〉がリング外殻を照らし、微細な粒子が白く流れる。
優希は再び息を整え、父の指示に従った。
ふと視界の端に光が走る。
〈アクア・ドーム〉の外縁から、小型艇が離脱していく。
その推進炎が闇を裂き、〈ジャスティティア〉へと向かって伸びていた。
――リンとDr.リーの船だ。
通信が割り込む。
『……ユウ、聞こえる?』
途切れがちなノイズの中に、リンの声があった。
「リン……! そっちに出たのか!」
『ええ。いまESPRO旗艦〈ジャスティティア〉へ向かってる。グレイフィールド准将はまだ交渉の席にいる。――時間を知りたいの、リングコア1の分離、あとどれくらいで可能?』
「父さん、あとどれくらいだ?」
「外部安全ピン解除まで三分。点火準備を含めて八分だ。」
『八分……了解。――ユウ、お願い、間に合わせて。こっちも、それまでに“扉”を開けてみせる。』
「リン……無理はするな!」
『あなたもね。私たちは同じ橋の両端にいる。――必ず、繋がるから。』
通信が途切れ、静寂が戻る。
「ここだ、パネルを開け。」
カンナのマニピュレーターが装甲を剥ぎ取り、内部のボルト群を露出させる。
カガトが慎重にツールを操作し、安全ピンを抜いてワイヤーを接続した。
「リングコア1、準備完了。シーケンスを同期させる。」
制御盤へ戻り、カガトが最終コマンドを入力する。
低い振動が全身を包み、リングのボルトが充電を始めた。
そのときだった。
ARK-μ『高速物体接近――マイクロデブリ、衝突まで残り60秒。ステーション内へ退避して下さい。』
カンナが叫ぶ。
「神崎、捕まって!」
〈OTOHIME〉のスラスターが一斉に噴射する。
金属の外殻がきしみ、空間全体が振動した。
優希は磁気ブーツを解除し、船体の手すりを掴む。
「父さん、もう離脱を!」
だがカガトは制御盤の前から動かない。
「あと20秒で同期が終わる……ここを離れたら、全てが無駄になる!」
ARK-μ『衝突コース確定。衝撃まで残り15秒。』
「戻れ、無茶するんじゃない!」
優希の叫びが響いた。
そして、世界が閃光に包まれた。
無音の衝撃。
数万の粒子が流星群のようにリングを貫いた。
鋼鉄の外殻が裂け、真空に白い光の尾を散らす。
その瞬間、カガトのスーツの左肩に何かが掠めた。
圧縮空気が爆ぜ、白い霧が噴き出す。
血ではない――冷却液が、真空で一瞬にして蒸散していた。
「父さん!」
優希が彼の腕を掴む。
カガトの体がゆっくりと傾き、背後のパネルに激突した。
HUDが赤く点滅する。
――【スーツ冷却系統損傷】
――【減圧進行率:14%】
ARK-μ『カガトの生命維持システムに異常。即時退避を推奨。』
「〈OTOHIME〉、アーム展開! 掴んで、今すぐ引き戻す!」
優希が叫ぶ。
カンナのマニピュレーターが伸びる。
だがその動きは震えていた。
彼女の声が通信チャンネルを突き破るように響く。
「こんなところで死んだら、何にもならないだろ……!」
「アンタが命懸けで造った〈エデン〉も、守ろうとした〈アクア・ステラ〉も、全部、無駄になるんだよ!」
「あたしは……あたしは、アンタの死に意味なんか持たせたくない!」
その叫びは、真空の宇宙に届かないはずの音を、
仲間たちの胸に刻みつけた。
ARK-μが静かに告げる。
『感情的判断は非合理ですが……その言葉には、論理を超えた力があります。』
優希は父の腕を掴みながら、カンナの言葉を噛み締めた。
「……そうだ。父さん、僕らはまだ終わってない。
あんたの命を、ただの犠牲にはしない。」
カンナの再びの叫びと同時に、マニピュレーターが全力で伸びる。
無重力の中で、三人の身体がエアロック方向へ引きずられていく。
外では、デブリの雨がなおも断続的に降り注いでいた。
青白い粒子が光の尾を曳き、リング表面を穿つ。
充電中のボルトが過負荷でスパークを上げ、
『分離シーケンス中断』の赤文字が制御盤に点滅する。
「システムが……止まった……」
優希の声が震える。
「父さん、しっかりして!」
カガトは息を荒げ、かすかに呟いた。
「……まだだ。……リング1は……終わっていない……」
その手が、空を掴むようにゆっくり動き――
冷却液の霧の中で、力なく垂れた。
「父さんっ!」
〈OTOHIME〉のアームがエアロックへ滑り込み、
内部気圧が上昇を始める。
背後で、外殻が軋み、崩落音のような低い唸りが伝わった。
ARK-μ『外部リンク途絶。リングコア1、制御不能。』
赤い警告灯が、静寂の中で点滅している。
リングの外では、崩壊した金属片がゆっくりと漂い、
その隙間から、遠い地球の青い光が揺らめいていた。
優希はヘルメット越しに父の顔を見つめる。
「……父さん、ねえ、聞こえる? もう少しで、終わるんだよ……」
応答はない。
呼吸音も途切れがちだった。
背後のスクリーンには、
“分離シーケンス未完”の文字が、なおも点滅し続けていた。
――リング1、失敗。




