断絶の再会
アクア・ドーム隔離区画。
崩れた天井の隙間から、冷たい光がわずかに差し込んでいた。
カガトはその光の下で、最後の部下たちと向き合っていた。
背後のモニターでは、Dr.リーの緊急放送が流れている。
「……生き残った者たちへ告ぐ。
君たちが誰の家族であろうと、もはや関係ない。
女性も、子供も、すべての命が救助対象だ。
――我々は、生きて、ここを出る!」
その声が崩壊した空間に反響した。
誰もが、その言葉にすがりたかった。
だが、目の前に立つのはカガト――彼らの“理想”そのものだった。
「……リーダー、俺たちも行かせてくれ。リー博士の言葉が本当なら、まだ間に合う。」
若い兵士が、震える声で言った。
その瞳には、恐れと希望が混じっていた。
カガトは黙って彼を見つめた。
その目には、もはやかつての温かさはない。
ただ、鋼のように静かな決意だけが宿っていた。
「行きたいのか?」
「……はい。」
「なら、行け。」
兵士は息を詰めた。
だが、カガトはゆっくりと続ける。
「俺はここに残る。――エデンは俺の夢だ。終わらせるのも、俺の役目だ。」
「でも……リーダー、あなたがいなければ……!」
「違う。俺がいるから、お前たちは“生きられない”んだ。」
その声は低く、静かだった。
だが、その静けさこそ、誰よりも重かった。
「俺は地球に憎しみをぶつけた。その罪は、俺が背負う。
お前たちまで巻き込む気はない。」
沈黙。
崩れた天井から、細い光の粒が落ちる。
誰もが、その中にカガトの“優しさ”を見た。
彼は、最後まで“悪役”を演じ切ることで、彼らを自由にしようとしていた。
「行け。リーの言葉を信じろ。
お前たちの命は、まだ誰かに必要とされている。」
一人、また一人と兵士たちは立ち上がり、闇の通路へと消えていった。
誰も振り返らなかった。振り返れば、涙がこぼれるのが分かっていたからだ。
最後の一人がいなくなった後、
カガトは静かにモニターを見上げた。
リーの声が、まだ流れ続けている。
「……我々は、生きて、ここを出る。」
カガトはわずかに笑った。
その笑みは、壊れかけた世界の中で、最後に残った“人間の温度”だった。
「そうだな。お前たちは、生きて出ろ。
俺は……ここで、夢の終わりを見届ける。」
誰もいない隔離区画に、光の粒だけが降り注いでいた。
その孤独は、誰よりも多くの命を守るための、静かな祈りだった。
アクア・ドーム深部。
崩落した天井から垂れ下がるケーブルが、微かな火花を散らす。
金属の焦げ臭い空気が肺を刺した。
神崎優希はヘルメットのバイザーを押し上げ、息を潜めて歩みを進める。
隣をARK-μが重々しい足音を響かせて並んだ。
カンナは後方で〈OTOHIME〉を操縦し、警戒を怠らない。
「この先が汚染区域です。放射線レベルは許容範囲内ですが、曝露時間を最小限に。」
ARK-μの合成音声が淡々と告げる。
ルートマップでは複数の封鎖扉が赤く点滅していた。
ESPROの砲撃か、あるいはカガトのバリケードか――いずれにせよ、道は険しかった。
神崎は頷き、最初の扉に近づいた。
ARK-μが機械臂を静かに伸ばし、端末のインターフェースに接続する。
関節部がわずかに駆動音を立て、緊急オーバーライドコードが自動で入力されていった。
重い金属音が響き、扉が開く。
毒の霧が立ち込め、藻類の腐敗臭が混じる空気が喉を焼いた。
「急ごう。父さんが、どこまで本気か分からない。」
神崎の声は低く抑えられていたが、その中に宿る決意は揺るぎない。
カンナはコクピットで操縦桿を握りしめ、センサーを最大出力に。
STYxの残党やトラップを警戒しつつ、三者は奥深くへと進む。
二つ目の扉を突破した時、ARK-μが足を止めた。
「生体反応を確認。単独の人間。武装なし。……カガトです。」
神崎の心臓が激しく鼓動を打つ。
カンナは〈OTOHIME〉を外に待機させ、ハッチを開いて外に出た。
「ここからは、私が守る。行って、神崎。」
「ありがとう、カンナ。」
神崎は一瞬だけ彼女に視線を送り、ARK-μと共に最後の扉をくぐる。
カンナは通路に残り、闇の奥を見つめていた。
その瞳には、祈りと決意が宿っていた。
――隔離区画。
崩れた天井の隙間から、冷たい光が差し込む。
瓦礫の中に、ひとりの男が座っていた。
背後のモニターには、無音のまま「我々は、生きて、ここを出る」と繰り返すリーの映像。
カガトは動かない。
だが、足音が近づくと、ゆっくりと顔を上げた。
光の粒の中、神崎とARK-μの姿が浮かび上がる。
カガトの瞳が大きく見開かれた。
死んだはずの息子――自らの手で失ったと思っていた存在が、そこに立っていた。
「優希……生きていたのか?」
その声は震えていた。
かつての威厳は消え、ただ一人の父親としての、壊れた問いだけが残っていた。
神崎は一歩踏み出す。
その瞳は、もはや迷っていなかった。
――ここに、断絶された親子の対面が始まる。




