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星を泳ぐ小さな命  作者: たんすい
第1章:喪失の水辺
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還るべき場所

 追放区画を焼き尽くした爆炎が収まると、残されたのは焦げ臭い煙と、崩れた構造材の残骸だけだった。

 カンナは〈OTOHIME〉のコクピットの中で、ゆっくりと目を開いた。視界が揺れ、モニターには無数の赤い警告灯が点滅している。

 外装は焼け焦げ、関節部から火花が散っていた。左腕のマニピュレーターは完全に機能を失い、機体全体が重く傾いている。


「動け……まだ、動けよ……!」


 歯を食いしばり、操縦桿を握り直す。反応炉の出力が脈打つように不安定に光り、〈OTOHIME〉はぎこちなくも立ち上がった。

 センサーには、生存者たちの反応が微かに残っている。彼らは爆発の直前に避難できたようだった。胸の奥に、小さな安堵が灯る。


 だが次の瞬間、宇宙の深淵から響くような低い衝撃音が、施設全体を震わせた。

 アクア・ドームの外壁が、何かに撃たれている――。


 カンナのモニターが自動的に外部映像を切り替える。虚空を切り裂くような青白い光の軌跡。その発射源には、ESPROの戦艦〈ジャスティティア〉の姿があった。


「……どうして? ESPROがアクア・ドームを……」


 その声は、怒りというよりも混乱と恐怖に震えていた。

 テロを鎮圧したはずの組織が、自らの管理下にある施設を破壊している。

 テロリストの殲滅か、証拠の抹消か――理由はどうあれ、それは明白な暴力だった。

 父と母が夢見た技術が、いま人間の狂気を支えるために使われている。その事実に、胸が締めつけられる。


 しかし、砲撃は破壊だけをもたらしたわけではなかった。

 外壁に開いた巨大な穴――それは、アクア・ドーム内部へ戻るための唯一の道を生み出していた。


「……行ける。」


 カンナはスラスターを再点火し、ボロボロの〈OTOHIME〉を推進させた。

 機体は軋みを上げながらも、外壁の穴へと滑り込む。

 減圧した空気が耳を裂くような音を立てて漏れ出していたが、自動修復システムが作動し、徐々に閉じていく。

 その一瞬を逃さず、〈OTOHIME〉は通路内部へと着地した。


「神崎……みんな、無事でいてくれ……」


 息を吐き、ナビゲーションを作業室区画へとセットする。

 瓦礫に塞がれた通路を、損傷した脚部で強引に押し進む。

 その途中、機内スピーカーからDr.リーの声が流れ出した。

 ――ベイ7に集結せよ。希望はまだある。

 その言葉が、カンナの胸に再び火を灯した。


 作業室の前にたどり着いたカンナは、よろめきながら〈OTOHIME〉のコクピットを降りた。

 足元が揺れ、壁に手をついてようやく立ち上がる。

 焦げた装甲の匂いが、彼女の体から微かに漂っていた。


 ドアが開く。

 その瞬間、神崎が振り向いた。瞳が見開かれ、言葉を失う。


「……カンナ……?」


 カンナはかすかに笑った。

「ただいま、神崎」


 その一言で、神崎は駆け寄った。

 彼女の肩を抱きしめる腕が、震えていた。


「爆発のあと、反応が完全に消えて……死んだと思った。

 でも……君は、戻ってきたんだな……」


 カンナは、彼の胸元に顔を埋めるようにして、そっと目を閉じた。

「……怖かった。でも、みんなの声が聞こえた気がして……戻らなきゃって思った」


 神崎は何も言わず、ただ彼女の背を撫でた。

 その腕の中で、カンナの呼吸が少しずつ落ち着いていく。


 少し離れた場所で、リンは静かに立ち尽くしていた。

 手には〈アクア・ステラ〉を抱えたまま、視線を逸らすこともできずに。

 彼女の指先が、わずかに震えていた。


 ――よかった。カンナが生きていた。

 でも、神崎の声が、表情が、あまりにも優しくて。

 その温度に、自分の居場所が少し遠くなった気がした。


 リンはそっと目を伏せ、〈アクア・ステラ〉の球体を見つめた。

 その中で泳ぐ小さな命が、彼女の胸に静かな痛みを灯す。


 ARK-μのバックアップユニットが、静かに光を放っていた。

 その光は、誰の感情にも干渉せず、ただ見守るように淡く揺れている。


 やがて、カンナが神崎の腕の中から顔を上げた。

「外壁が砲撃されて、穴が開いた。ESPROの戦艦が撃ってた。理由はわからないけど……そのおかげで、戻れた」


 神崎は頷き、彼女の肩を支えたまま言った。

「ありがとう、カンナ。君のおかげで、僕たちはまだ希望を持てる。Dr.リーがベイ7で待ってる。後で一緒に脱出しよう」


 カンナは深く息を吐き、焦げた空気を肺に押し込んだ。

「……わかった。みんなで」


 彼女は〈OTOHIME〉を振り返り、静かに心の中で祈った。

 ――ありがとう、父さん、母さん。守るために作られたこの機械は、今日も命を守ってくれた。


 その背後では、神崎がカンナの肩を支えながら、小さく言葉を交わしていた。

 二人の距離は自然で、あたたかく、まるで長い旅路の果てにようやく辿り着いたようだった。


 少し離れた場所で、リンはぽつんと立ち尽くしていた。

 手元の〈アクア・ステラ〉に視線を落としながらも、耳は二人の声を拾ってしまう。

 胸の奥が、きゅっと締めつけられた。


 そのとき、ARK-μのバックアップユニットが静かに光を放ち、彼女に話しかけた。


『リン技士。現在稼働中の3Dプリンタのうち、1台を停止します。新しい設計図に基づき、アクア・ステラを2つ制作したいのですが……ご確認いただけますか?』


 リンは反射的に「はい……」と答えたが、声は上の空だった。

 視線はまだ、カンナと神崎の方へ向いている。


 ARK-μは一拍置いてから、少しだけ声の調子を変えた。

『……リン技士。応答が不安定です。もしかして、感情処理ユニットが“嫉妬モード”に入りましたか?

 私にはその機能がないので、代わりに“プリンタ停止ボタンを強く押す”ことで発散することを推奨します。』


 リンは思わず吹き出しそうになり、口元を手で押さえた。

「……ARK-μ、それ、今のタイミングで言う?」


『はい。タイミングは最適化されています。

 なお、強く押しすぎるとプリンタが壊れるので、ほどほどにお願いします。』


 リンは肩をすくめて笑い、ようやく〈アクア・ステラ〉に視線を戻した。

「……わかった。設計図、送って。ちゃんと作るから。」


『ありがとうございます。リン技士の復旧を確認しました。感情処理ユニット、正常化。作業再開します。』


 ARK-μの光が、少しだけ明るくなったように見えた。

 リンは深く息を吐き、カンナと神崎の背中を見つめながら、そっと呟く。


「……あの二人がいてくれて、よかった。

 でも、私も……ちゃんと、自分の場所を守らなきゃね。」


 彼女は〈アクア・ステラ〉を抱え直し、次の命を迎える準備に取りかかった。

 その手の中には、小さな光――未来へと繋がる命が、静かに揺れていた。

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