還るべき場所
追放区画を焼き尽くした爆炎が収まると、残されたのは焦げ臭い煙と、崩れた構造材の残骸だけだった。
カンナは〈OTOHIME〉のコクピットの中で、ゆっくりと目を開いた。視界が揺れ、モニターには無数の赤い警告灯が点滅している。
外装は焼け焦げ、関節部から火花が散っていた。左腕のマニピュレーターは完全に機能を失い、機体全体が重く傾いている。
「動け……まだ、動けよ……!」
歯を食いしばり、操縦桿を握り直す。反応炉の出力が脈打つように不安定に光り、〈OTOHIME〉はぎこちなくも立ち上がった。
センサーには、生存者たちの反応が微かに残っている。彼らは爆発の直前に避難できたようだった。胸の奥に、小さな安堵が灯る。
だが次の瞬間、宇宙の深淵から響くような低い衝撃音が、施設全体を震わせた。
アクア・ドームの外壁が、何かに撃たれている――。
カンナのモニターが自動的に外部映像を切り替える。虚空を切り裂くような青白い光の軌跡。その発射源には、ESPROの戦艦〈ジャスティティア〉の姿があった。
「……どうして? ESPROがアクア・ドームを……」
その声は、怒りというよりも混乱と恐怖に震えていた。
テロを鎮圧したはずの組織が、自らの管理下にある施設を破壊している。
テロリストの殲滅か、証拠の抹消か――理由はどうあれ、それは明白な暴力だった。
父と母が夢見た技術が、いま人間の狂気を支えるために使われている。その事実に、胸が締めつけられる。
しかし、砲撃は破壊だけをもたらしたわけではなかった。
外壁に開いた巨大な穴――それは、アクア・ドーム内部へ戻るための唯一の道を生み出していた。
「……行ける。」
カンナはスラスターを再点火し、ボロボロの〈OTOHIME〉を推進させた。
機体は軋みを上げながらも、外壁の穴へと滑り込む。
減圧した空気が耳を裂くような音を立てて漏れ出していたが、自動修復システムが作動し、徐々に閉じていく。
その一瞬を逃さず、〈OTOHIME〉は通路内部へと着地した。
「神崎……みんな、無事でいてくれ……」
息を吐き、ナビゲーションを作業室区画へとセットする。
瓦礫に塞がれた通路を、損傷した脚部で強引に押し進む。
その途中、機内スピーカーからDr.リーの声が流れ出した。
――ベイ7に集結せよ。希望はまだある。
その言葉が、カンナの胸に再び火を灯した。
作業室の前にたどり着いたカンナは、よろめきながら〈OTOHIME〉のコクピットを降りた。
足元が揺れ、壁に手をついてようやく立ち上がる。
焦げた装甲の匂いが、彼女の体から微かに漂っていた。
ドアが開く。
その瞬間、神崎が振り向いた。瞳が見開かれ、言葉を失う。
「……カンナ……?」
カンナはかすかに笑った。
「ただいま、神崎」
その一言で、神崎は駆け寄った。
彼女の肩を抱きしめる腕が、震えていた。
「爆発のあと、反応が完全に消えて……死んだと思った。
でも……君は、戻ってきたんだな……」
カンナは、彼の胸元に顔を埋めるようにして、そっと目を閉じた。
「……怖かった。でも、みんなの声が聞こえた気がして……戻らなきゃって思った」
神崎は何も言わず、ただ彼女の背を撫でた。
その腕の中で、カンナの呼吸が少しずつ落ち着いていく。
少し離れた場所で、リンは静かに立ち尽くしていた。
手には〈アクア・ステラ〉を抱えたまま、視線を逸らすこともできずに。
彼女の指先が、わずかに震えていた。
――よかった。カンナが生きていた。
でも、神崎の声が、表情が、あまりにも優しくて。
その温度に、自分の居場所が少し遠くなった気がした。
リンはそっと目を伏せ、〈アクア・ステラ〉の球体を見つめた。
その中で泳ぐ小さな命が、彼女の胸に静かな痛みを灯す。
ARK-μのバックアップユニットが、静かに光を放っていた。
その光は、誰の感情にも干渉せず、ただ見守るように淡く揺れている。
やがて、カンナが神崎の腕の中から顔を上げた。
「外壁が砲撃されて、穴が開いた。ESPROの戦艦が撃ってた。理由はわからないけど……そのおかげで、戻れた」
神崎は頷き、彼女の肩を支えたまま言った。
「ありがとう、カンナ。君のおかげで、僕たちはまだ希望を持てる。Dr.リーがベイ7で待ってる。後で一緒に脱出しよう」
カンナは深く息を吐き、焦げた空気を肺に押し込んだ。
「……わかった。みんなで」
彼女は〈OTOHIME〉を振り返り、静かに心の中で祈った。
――ありがとう、父さん、母さん。守るために作られたこの機械は、今日も命を守ってくれた。
その背後では、神崎がカンナの肩を支えながら、小さく言葉を交わしていた。
二人の距離は自然で、あたたかく、まるで長い旅路の果てにようやく辿り着いたようだった。
少し離れた場所で、リンはぽつんと立ち尽くしていた。
手元の〈アクア・ステラ〉に視線を落としながらも、耳は二人の声を拾ってしまう。
胸の奥が、きゅっと締めつけられた。
そのとき、ARK-μのバックアップユニットが静かに光を放ち、彼女に話しかけた。
『リン技士。現在稼働中の3Dプリンタのうち、1台を停止します。新しい設計図に基づき、アクア・ステラを2つ制作したいのですが……ご確認いただけますか?』
リンは反射的に「はい……」と答えたが、声は上の空だった。
視線はまだ、カンナと神崎の方へ向いている。
ARK-μは一拍置いてから、少しだけ声の調子を変えた。
『……リン技士。応答が不安定です。もしかして、感情処理ユニットが“嫉妬モード”に入りましたか?
私にはその機能がないので、代わりに“プリンタ停止ボタンを強く押す”ことで発散することを推奨します。』
リンは思わず吹き出しそうになり、口元を手で押さえた。
「……ARK-μ、それ、今のタイミングで言う?」
『はい。タイミングは最適化されています。
なお、強く押しすぎるとプリンタが壊れるので、ほどほどにお願いします。』
リンは肩をすくめて笑い、ようやく〈アクア・ステラ〉に視線を戻した。
「……わかった。設計図、送って。ちゃんと作るから。」
『ありがとうございます。リン技士の復旧を確認しました。感情処理ユニット、正常化。作業再開します。』
ARK-μの光が、少しだけ明るくなったように見えた。
リンは深く息を吐き、カンナと神崎の背中を見つめながら、そっと呟く。
「……あの二人がいてくれて、よかった。
でも、私も……ちゃんと、自分の場所を守らなきゃね。」
彼女は〈アクア・ステラ〉を抱え直し、次の命を迎える準備に取りかかった。
その手の中には、小さな光――未来へと繋がる命が、静かに揺れていた。




