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星を泳ぐ小さな命  作者: たんすい
第1章:喪失の水辺
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父の声、憎しみの軌道

 神崎優希の視界が、ゆっくりと滲んでいく。

 モニターに映るカガトの顔――疲弊した輪郭、憎悪に歪んだ目元、そして、あの声の響き。

 そのすべてが、幼い日の記憶を容赦なく掘り起こしていた。


 星空の下で、父が語ってくれた〈エデン〉の夢。

 宇宙の未来。

 いま、それが憎悪に満ちたテロの声明として、ステーション全域に響き渡っている。


「こんなのって……」


 最初は、かすれた囁きだった。

 だが胸の奥で堰を切った何かが、一気に爆発した。


「こんなの、嘘だぁ――!」


 叫びは壁に反響し、虚空に吸い込まれて消えた。

 膝が折れ、神崎は床に崩れ落ちる。

 リンが即座に駆け寄り、震える肩を抱きしめた。


「ユウ、どうしたの? しっかりして……!」


 だが彼は、その声を聞いていなかった。

 モニターに映る【T-MINUS】のカウントダウンに釘付けのまま、震える手で床を叩き続ける。

 胸の奥で、信じていた何かが砕け散る音がした。


 母の死。父の不在。そして今――

 それらが歪んだ線で一つに繋がり、圧倒的な絶望となって彼を押し潰していく。


 父は、生きていた。

 だがそれは希望ではなく、自分たちを、そして地球を滅ぼす「破壊の象徴」として。


「なぜ……父さんが……テロリストなんかに……」


 嗚咽が言葉を呑み込み、涙が頬を伝い落ちた。

 幼い日の記憶が、洪水のようにあふれ出す。


 父が宇宙ステーション建設に携わり、家族を残して旅立った日。

 母の死後、父の帰還を信じて夜空を見上げた日々。

 そして――〈ARK-μ〉が言った「宇宙で父に会え」という言葉。


 ――あれは、この絶望の瞬間へ導くための“伏線”だったのか。


 隔壁扉が重い音を立てて開いた。

 鋼鉄の巨体――ARK-μの意識を移した2号機が、煙を上げながら姿を現す。


「ARK-μ……」


 神崎が顔を上げ、血走った目で睨みつける。

 リンは息を呑み、彼の隣で身構えた。


 機体の外部スピーカーが鳴り、ノイズを挟んだ合成音声が響く。

『神崎博士、林技術士。合流を確認。現在の状況は極めて深刻です。

 アクア・ドームの軌道は崩壊し、地球への落下が不可避となっています。』


 神崎はふらつきながら立ち上がった。

 怒りと悲しみが混じり合い、声が震える。


「ARK-μ、地球で言ったよな……“宇宙で父に会え”って。

 あれはどういう意味だったんだ。――全部、知ってたのか。説明しろ!」


 沈黙。

 ARK-μのメインカメラが淡く光り、無機質な声が告げる。


『はい、神崎博士。

 あなたのお父様――神崎加賀斗は、テロ組織〈テラ・リベレイト〉の指導者として活動していました。

 この事実は、私とDr.リーのみが知る極秘情報です。』


 リンが「そんな……」と息を呑む。

 神崎の身体が、音を立てるように凍りついた。


「Dr.リーも……知ってたのか? なぜ僕に教えてくれなかった!」


『それは、あなたの安全とプロジェクトの成就を優先した判断です。

 加賀斗――お父様は、地球政府の政策に失望し、〈エデン計画〉を離脱。

 妻を失い、息子を遠ざけた痛みが、彼を反逆の道へと駆り立てました。』


「いなくなったのは父さんのほうだろ……!

 母さんの葬儀にも帰らず、僕を捨てたのは父さんだ!」


 拳を握りしめ、唇から血が滲む。


『カガトは、かつてエデンで家族と暮らす未来を夢見ていました。

 しかし地球政府に裏切られ、妻を失い、息子にも拒絶された。

 そして最後の協力者だったアヤコとも、袂を分かちました。』


 神崎は唇を震わせた。

「僕が……父さんを拒んだから、テロリストになったって言うのか?

 違う……僕を捨てたのは、父さんのほうだ……!」


 ARK-μの声は淡々としていた。

 だがその次の言葉だけは、わずかに揺れていた。


『私は、あなたという“鍵”に、カガトの憎悪を溶かす可能性を見ました。

 父子が再会すれば、彼の心を取り戻せると――論理的に信じていたのです。』


 神崎の瞳から、再び涙があふれる。

 壁に背を預け、座り込んだ。


「でも……それは、失敗したんだな……」


『はい。』

 ARK-μは、静かに肯定した。


『カガトは、あなたの存在を認識していました。

 あなたが搭乗するはずだったシャトルを確認し、その上で爆破命令を下したのです。

 彼の意志は、もはや父親のそれではありませんでした。

 復讐と解放――その二つが、彼の理性を完全に支配していたのです。』


 神崎はかすれた声で呟く。

「……何もかも、ARK-μ、おまえが仕組んだ事なのか?」

『違います。』

「違わない。アクア・ボイスじゃ足りなかった。だから匿名でアクア・ステラの技術ファイルを送った。違うか?」

『……』

「何か、言えよ。」

「宇宙に来たことも、アクア・ステラを作ったことも……全部、おまえのシナリオだったんだ。」


 少しの沈黙の後、ARK-μの声が静かに響いた。


『私は、悲劇を回避するための最適解を模索しました。

 あなたという非論理的な“鍵”を用いて、カガトの憎悪というバグを修正できる可能性に賭けたのです。

 あなたの行動が原因ではありません。

 この結末は、複雑に絡み合った因果の連鎖――誰か一人の罪ではないのです。』


 神崎は、乾いた笑みを浮かべた。

「因果、ね……それじゃまるで、僕がアクア・ドームを落としたみたいじゃないか。」


 彼は目を閉じ、胸の奥に広がる鈍い痛みに手を当てた。

 その時、リンがそっと背に手を添えた。


「ユウ……私も怖いよ。

 何が正しいのか、わからなくなる時がある。

 でもね、あなたが命を守ろうとした姿を見て、私は信じたの。

 あなたの選んだ道は間違ってない。

 誰かを救おうとした人が、間違ってるはずがない。」


 彼女はARK-μをまっすぐに見据えた。

「私はARK-μの命令なんかじゃ動かない。

 あなたの手の中にいた小さな命――あの光を見て、私は動いたの。

 あれは、誰かの命を繋ごうとする、あなた自身の祈りだった。

 こんな結末を、あなたが望むはずがない。

 だから、どうか自分を責めないで。

 私はあなたを信じてる。ずっと。」


 静寂。

 作業室を満たすのは、嗚咽と遠くの警報音だけだった。


『……私は計算していたのです。

 でも、あなたの涙を見て初めて――“誤差”という言葉の意味を理解しました。』


 絶望の奥に、微かな光があった。

 〈アクア・ステラ〉に宿る、小さな命。

 そして隣にいるリンの温もり。


 それだけが、神崎を現実に繋ぎとめていた。


「父さん……なぜ……」


 その呟きは、静かに虚空へ溶けていった。

 リンはそっと神崎の手を握り、何も言わず、ただ隣にいた。


 だが――それは終わりではなかった。


 アクア・ドームが地球への落下を始めた今、

 彼らの戦いは、ここからが本当の始まりだった。

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