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星を泳ぐ小さな命  作者: たんすい
第1章:喪失の水辺
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命の器、魂の声

 アクア・ドームは、静かな地獄と化していた。

 カガトが放った毒が巨大水槽を満たし、美しかった水の楽園は、緩やかに死の海へと変貌していく。

 だが、その絶望の中にも、まだ消えていない命があった。


「ユウ、D区画の分、準備できたわ!」


 作業室で、リンは汗に濡れた額を手の甲でぬぐいながら叫んだ。

 床には、3Dプリンタで出力したばかりの透明な球体――〈アクア・ステラ〉が数十個、整然と並んでいる。


 汚染されたメイン水槽に隣接する隔離ハッチで、神崎は特殊フィルター付きの吸引機を慎重に操っていた。

 彼の視線の先では、毒に侵されながらも、かろうじて生き延びた稚魚や幼魚たちが、力なく漂っている。


「よし、捕獲した! リン、受け取ってくれ!」


 細いチューブの中を、体長わずか数センチの小さな命が次々と流れていく。

 リンはそれを受け取ると、清浄な水で満たされたアクア・ステラへと素早く移した。


 それは、圧倒的な死の奔流に抗う、あまりにも小さく、しかし確かな希望だった。


 二人が命を掬い続ける傍らで、もう一つの戦いが繰り広げられていた。

 メインスクリーンには膨大なコードが滝のように流れ、中央では破損したAIコアの構造図が断続的に明滅している。


『……メインメモリへのアクセスルートを再構築。論理回路、七十八パーセントまで復旧。自己診断プログラム、再起動シークエンスへ移行します……』


 スピーカーから響くのは、ノイズに満ちた断片的なARK-μの声。

 カガトに破壊された彼女は、今や“ゴースト”として意識だけを保ち、かつての身体――すなわちアクア・ドームそのもの――を、記憶の断片を頼りに再構築しようとしていた。


 リンたちが救おうとしているのが〈生命〉なら、ARK-μが繋ごうとしているのは、この施設の〈魂〉そのものだった。


「ARK-μ、もう少しよ、頑張って!」


 リンが震える声で呼びかける。

 その声に応えるように、スクリーン上の復旧率がわずかに跳ね上がった――その刹那。


 ステーション全体を、これまでにない鋭い衝撃が貫いた。

 床が激しく跳ね上がり、神崎とリンは吹き飛ばされる。

 守っていたアクア・ステラのいくつかが転がり、貴重な命とともに水が床に広がった。


 追放区画の方角で、巨大な爆発が――宇宙の静寂の中、音もなく貪欲に燃え盛る炎の花を咲かせた。


 神崎は凍りついた心で窓辺へ駆け寄る。

 そこにあったはずの区画――カンナが向かった場所が、跡形もなく消えていた。

 灼熱のデブリと砕け散った金属片だけが、虚空を漂っている。


「カンナァァァッ!」


 彼の絶叫は、爆発の残響が去った静寂に吸い込まれて消えた。


 崩れ落ちる天井パネルから、神崎は咄嗟にリンを抱き寄せて庇う。

 爆風が収まると、脳裏に浮かんだのは、単独で追放区画へ向かったカンナの、あの決意に満ちた背中だった。


 胸の奥で冷たい予感が広がる。

 神崎はARK-μに叫んだ。


「カンナの……応答はあるか!」


『カンナからの通信は途絶。追放区画は完全に消失。内部構造の崩壊を確認しました』


「そんな……!」


 神崎の膝が折れかけた。


 その時、リンが彼の腕を強く掴んだ。


「待って、あきらめないで。ARK-μ、通路の監視映像を映して!」


 モニターに、爆発直前の映像が再生される。

 煙と瓦礫の合間を、女性、子ども、老人を含む八名ほどの生存者が、必死に逃げ惑う姿があった。


「生きている人がいる……! カンナは!?」


 神崎が叫ぶ。


『生存者の中にカンナの姿は確認できません。通信反応も、機体の信号も検出されません』


「でも、生存者がいる。カンナが守った命かもしれない。だからユウ、諦めないで!」


 リンが神崎の手を強く握りしめた、その瞬間――。


 新たな警報が鳴り響いた。

 メインスクリーンに外部からの接近信号が浮かび上がる。ESPROの強襲艦隊だ。


 その先頭を行く最新鋭艦は、艦首に超硬度の装甲で作られた巨大な衝角――スパイク状の突撃構造を備えていた。


 艦隊はアクア・ドームに急速に接近し、ドッキングベイのような脆弱な部分を避けて、構造的に最も安定した外壁の一点を狙う。


 金属が引き裂かれるような轟音が響き渡り、ステーション全体が激しく震えた。

 衝角が外壁を貫通し、その内部が展開して、気密性の高いボーディング・ブリッジを形成する。


 そこから、ESPROの部隊とSTYxの無人兵器が、一切の躊躇なく内部へと雪崩れ込んできた。


 圧倒的な武力と技術力による、あまりにも冷徹な制圧。


 アクア・ドームがテロリストの要求に屈したと見なされたことで、地球政府による強制介入が、今――始まった。


 それは、救済ではなく、支配の始まりだった。

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