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星を泳ぐ小さな命  作者: たんすい
第1章:喪失の水辺
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虚無への号令

 アクア・ドームの支配者となったカガトの元に、恐れていた報せが舞い込んだのは、勝利の喧騒がまだ冷めやらぬ時のことだった。


 管制室の扉が乱暴に開かれ、一人の部下が息を切らして駆け込んできた。顔は青ざめ、手にした通信端末を強く握りしめている。周囲の空気が一瞬で緊迫に染まった。


「リーダー、追放区から緊急連絡です……奴らが……!」


「落ち着いて話せ。何があった!」


 カガトの声が鋭く響く。通信端末の向こうでは、断続的な爆発音と、遠くから響く悲鳴が混じっていた。


「ESPRO――地球政府の強襲ユニットが侵入したとの報告。確認されたのは、軍用〈STYx〉の複数体。外部からステーションに侵入し、追放区を……住民を、蹂躙しています!」


 管制室の空気が凍りついた。


「くそ……やられたか」

「カガト、どうするんだ!」


 誰かが叫ぶ。だがカガトは応えず、視線を落としたまま、低く呟いた。


「……アヤコが裏切らなければ。〈STYx〉用アーマースーツさえ届いていれば、こうはならなかった……」


 その言葉は誰にも届かず、ただ彼の唇から零れ落ちた。地球の同胞からも見捨てられ、今度はステーションの奥深くで新たな戦端が開かれようとしている。だが、彼には退路などなかった。追放区には、まだ彼の理念を信じる者たちがいる。その家族も、子供たちも。


 カガトは管制卓に歩み寄り、メインマイクを掴んだ。ドーム全域に響き渡るよう、冷静な声で命じる。


「全戦闘員に告ぐ。アクア・ドームの守備を放棄し、直ちに武装を固め、追放区画へ集結せよ。敵は地球政府の無人兵器〈STYx〉だ。勝利を確実なものとするため、すべての戦力を集中させろ」


 その号令は、勝利に酔っていた〈テラ・リベレイト〉のメンバーたちを一瞬で現実に引き戻した。彼らは互いに顔を見合わせ、新たな敵の出現に顔をこわばらせながらも、雄叫びを上げて武器を手に取る。


 アクア・ドームの各所に散らばっていた戦闘員たちは、波が引くように追放区画へと向かっていった。


 あれほど喧騒に満ちていたアクア・ドームには、不気味なほどの静寂が戻っていた。残されたのは、毒に侵され緩やかに死に向かう巨大水槽と、床に散らばる祝宴の残骸だけだった。


 その静けさは、まるでこの場所が“楽園”ではなく、“墓標”へと変わったことを告げているようだった。


 カガトは追放区画へと続く通路を、怒りと焦燥に駆られて突き進んでいた。彼の後ろを、武装した部下たちが殺気立った足音で続く。通路の壁にはプラズマ兵器による真新しい傷跡が刻まれ、空調からは煙と、金属が焼ける不快な匂いが流れ込んでくる。先遣隊からの通信は、数分前に途絶えたきりだった。


「急げ! 奴らを区画から一歩も出すな!」


 カガトの檄が、通路に響く。


 だが、区画の入り口を突破した彼らを待っていたのは、激しい戦闘の音ではなかった。

 死のような、静寂だった。


「……どうなっている」


 部下の一人が呟く。目の前に広がる光景に、誰もが言葉を失った。


 そこは、彼らが「聖域」と呼んだ故郷ではなかった。地獄だった。

 居住モジュールは業火に包まれ、構造材を軋ませながら黒煙を天に上げていた。彼が知る仲間たちが、武装したまま無造作に折り重なるように倒れている。その体には、戦闘による傷というより、一方的な処刑の痕跡が色濃く残っていた。


 そして――その瓦礫と亡骸の合間に、彼は見てしまった。

 守るべきだったはずの、女たちの、そして子供たちの、あまりにも無惨な亡骸を。


 カガトの足が、その場に縫い付けられたように止まる。

 アクア・ドームで上げた勝利の凱歌も、地球に見せつけた意地も、未来への野望も、全てが意味を失い、音を立てて足元から崩れ落ちていった。


 燃え盛る故郷の中心で、孤独な王は、ただ立ち尽くすしかなかった。乾いた土を掴む指先が、血と瓦礫で汚れていく。生き残った部下たちが、彼の周りに絶望の表情で立ち尽くしていた。誰もが、リーダーの次の言葉を待っていた。


 やがてカガトは、幽鬼のようにゆっくりと顔を上げた。その瞳から、かつての指導者としての光は消え失せ、底なしの虚無と、静かに燃える憎悪だけが宿っていた。


 彼は、傍らに転がっていた少女の玩具――汚れた人形を、震える手で拾い上げる。


「…見てみろ」


 彼の喉から漏れたのは、声というより、魂が擦り切れるような音だった。


「我々が築こうとしたエデンは…もうない。奴らは我々から全てを奪った。未来も、家族も、希望さえも」


 カガトはゆっくりと立ち上がり、生き残った者たちを見渡す。その視線に射抜かれ、誰もが息を呑んだ。


「ならば、我々も奴らから全てを奪い返す。守るものは、もう何もない。…ただ、弔うのみだ」


 彼は拾い上げた人形を強く握りしめ、決然と言い放った。


「このアクア・ドームを…我々の墓標を、奴らのいる地球ほしへ捧げてやろう。我々の怒りと悲しみを込めた、盛大な鎮魂歌だ」


 部下たちの目に、恐怖と、そして狂信的な光が宿り始める。


「これより、最終作戦に移行する」


 カガトは、最後の命令を下した。


「作戦名――『プラン・レクイエム』」

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