忍び寄る悪意
アクア・ドームは、テロリスト集団〈テラ・リベレイト〉の支配下にあり、外部からの接近を許さない鉄壁の要塞と化していた。
神崎優希とカンナは、貨物船〈アルゴ〉の船長の判断により、ドームから数百キロ離れた軌道上で下船を余儀なくされる。
ドーム周辺は高精度の監視網に覆われ、接近する船は即座にレーダーに捕捉され、対空兵器の標的となる危険があった。
「船長、〈アクア・ステラ〉をエデン・ステーションに届けてください。電力さえ確保できれば、あの子たちは数年間は生き延びられます。……必ず、後で迎えに行きます」
「……わかった。カンナ、神崎、死ぬなよ」
短い沈黙のあと、貨物室のハッチが開く。無限の闇が、目の前に口を開けていた。
三者は互いに一度だけ視線を交わし、虚空へと歩みを進める。
「ここから先は、パワードスーツで移動するしかない」
神崎は宇宙服のヘルメットを固定しながら、静かに言った。隣でカンナが〈OTOHIME〉の最終チェックを行い、ARK-μの意識を宿した2号機が、無言の巨体として佇んでいる。
「了解。ARK-μ、ルートを確認」
カンナの声に、2号機のスピーカーから冷ややかな合成音が響く。
『最適経路を計算。アクア・ドーム追放区外壁への接近を推奨。推定到着時間――十五分。敵監視網を回避するため、低出力推進を使用してください。』
神崎は貨物室の奥を振り返った。
そこには、〈アクア・ステラ〉のケースが静かに固定されている。
「リン……無事でいてくれ。必ず、助ける。」
その声は誰にも届かず、無音の宇宙に溶けていった。
「……神崎の夢を守る。そのために来たんだろ。」
カンナは自らにそう言い聞かせ、操縦席に身を沈めた。
胸の奥には、戦いへの緊張と、彼の隣に立てる誇りが静かに共鳴していた。
神崎は小型スラスターで姿勢を制御し、〈OTOHIME〉とARK-μの2号機が両翼のように並ぶ。
漆黒の宇宙が三者を包み、その静寂が緊張を研ぎ澄ませていった。
その時、ARK-μが警告音を発する。
『未確認物体を検知。識別信号、ESPRO。形状分析の結果、ポッド型強襲ユニットと推定。搭載対象は人類ではなく、軍用AI〈STYx〉の可能性が高い。』
「〈STYx〉……地球政府の最終手段か。」
神崎の声がわずかに震える。
「追放区の住民ごと、ドームを“浄化”するつもりだ。」
「内部には複数体の〈STYx〉がいるはず。外壁を破って侵入するタイプだ。」
カンナの声が硬くなる。
彼女はモニター越しに黒い影を見据えた。その形は、かつて地球で見た〈STYx〉の残骸を思い出させる――命を命と認識しない、無表情の機械たち。
そして今、その地獄が、再び宇宙にまで及ぼうとしていた。
次の瞬間、ポッドがアクア・ドーム外壁に激突。
鋭い先端が装甲を貫き、衝撃波が伝わる。
わずかな振動が、広大な沈黙の中を震わせた。
ハッチが開き、黒い影が飛び出す。センサーが、複数の〈STYx〉展開を確認する。
『侵入を確認。〈STYx〉が追放区内部へ浸透中。』
神崎たちは息を潜め、ドームの別区画へと迂回した。
目指すはARK-μのデータベースだけが知る、忘れられたメンテナンス用ハッチ――建設初期の設計図にのみ記された秘密の入口。
「ここだ。ARK-μ、ロックを解除してくれ。」
神崎の指先がパネルに触れると、ARK-μのアームが伸び、インターフェースを接続した。
数秒の静寂ののち、緑のランプが灯り、ハッチが音もなく開く。
『解除完了。内部大気圧は正常。敵監視網をバイパス。侵入を許可します。』
三者はハッチをくぐり、アクア・ドームの内部へと潜入した。
薄暗い通路には、テロリストの気配はない。
ただ、機械の低い唸りと、自らの鼓動だけが響いていた。
神崎は胸の奥で誓う。
――リンを救う。
――そして、このドームを取り戻す。
背後でハッチが閉じ、虚空の静寂が、再び世界を覆い尽くした。




