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星を泳ぐ小さな命  作者: たんすい
第1章:喪失の水辺
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希望の航路へ

 地球での使命を終えた神崎優希は、静かな達成感と新たな決意を胸に、すべてをアヤコに託した。


 託された〈アクア・ステラ〉のデータは、アヤコたち『プロジェクト・ガイア』の手に渡り、荒廃していた居住区を研究開発拠点へと変貌させつつあった。かつてテロの影に覆われていた彼らの瞳には、もはや狂信の光はなく、未来を創る者の静かな情熱が宿っていた。汚染された水辺に並べられた緑の球体群は、再生の象徴として淡く光を放ち、地球の新たな夜明けを予感させた。


 出発の時が来た。

 神崎とカンナが輸送トラックに乗り込もうとしたその背中に、アヤコの声が届く。


「神崎君、カンナ」


 二人が振り返ると、アヤコは無数の“星”の光を背に、まっすぐに彼らを見つめていた。その顔には、かつての指導者としての険しさは消え、未来を託す者の慈愛と覚悟が刻まれていた。


「私たちは、憎しみで空を見上げ、破壊しか知らなかった。だが——お前たちは違う。守り、創るために宇宙へ行くのだ」


 アヤコはゆっくりと歩み寄り、カンナの肩、そして神崎の腕の中の〈アクア・ステラ〉をそっと包んだ。その手は、かつて武器を握ったものとは思えぬほど、静かで温かかった。


「忘れるな。〈テラ・リベレイト〉はもはや憎しみに囚われた亡霊だ。だが、アクア・ドームに残されたのは兵士だけではない。追放区には、女子供もいる。——お前たちが行って、その命を守ってやってくれ」


 その言葉は命令ではなく、祈りだった。一度は道を誤り、多くを失った者だからこそ紡げる、魂の言葉だった。


「憎しみの連鎖は、我々の代で終わりにしよう。お前たちは、その先を行け。——この地球ほしから、お前たちが創る未来を見ている」


 アヤコは二人から手を離し、一歩退いた。

 カンナは黙って力強く頷き、神崎もまた腕の中の命の重みを確かめるように深く一礼する。


「……行ってきます」


 その一言に、すべての決意が込められていた。


 輸送トラックはゆっくりと走り出し、打ち上げ場へ向かう。荷台で揺られながら、神崎は腕の中の〈アクア・ステラ〉を抱き締めていた。その中のアベニーパファーは、まるで赤子のように静かに揺れている。アヤコの言葉がまだ胸の奥で熱く響いていた。守るべきもの、創るべき未来——その象徴が、今、この腕の中にあった。


「そんなに大事なものなのか? そいつ」

 隣でカンナが問いかけた。


 神崎は視線を球体の中の小さな命に落とし、静かに頷く。

「ああ。これは……母との最後の約束なんだ」


 彼は語り始めた。幼い日に母と交わした約束。その直後に起きた事故。自分を庇って血の海に沈んだ母の姿。その胸元に残されていた、小さなビニール袋に入ったアベニーパファーのことを。


「だから、この子たちを守ることが、僕にとっての贖罪だった。でも、今は違う。これは——母さんが僕に託した希望なんだ。未来へ繋ぐための、ね」


 語り終えた神崎の横顔を、カンナはしばらく黙って見つめていた。やがて、彼女は自分の膝の上で組んだ手に視線を落とし、静かに呟く。


「……私も、父と母を亡くしたんだ」


 その声は、いつもの快活な彼女からは想像できないほど、深く沈んでいた。


「二人ともロボット工学の研究者だった。夢は、人道支援用のロボットを作ること。

 災害現場で、人の命を助ける機械を——。でも、軍はそれを許さなかった」


 カンナの拳が白くなる。

「二人の技術は軍に奪われ、軍事用AIロボット〈STYxステュクス〉に転用された。父さんと母さんはそれに反対して軍を逃げ出し……そして、テロリストになった」


 神崎は息をのむ。


「ばあちゃんたちと合流して、STYxに対抗するためのパワードスーツ——“GAIA-Gear”を作った。あたしのOTOHIMEの原型機さ。……でも」


 言葉が途切れる。トラックのエンジン音だけが、沈黙を埋めていた。


「攻めてきたSTYxに……二人とも殺された。目の前で。」


 ――あの夜の光景は、今も夢に見る。

 炎に包まれた研究棟。赤黒い空を背に、複数の〈STYx〉が、無表情な鉄の人形のように歩み寄ってきた。

 私は父の残した試作機に乗り込み、震える手で操縦桿を握った。

 機体の外装は未完成で、制御も不安定。それでも、立ち向かうしかなかった。


「お願い、動いて……!」

 母の声が無線越しに響いた直後、通信が途切れた。

 目の前で、〈STYx〉の腕が研究棟を薙ぎ払う。

 何も考えず、私は突っ込んでいた。

 視界が真紅に染まり、装甲が剥がれ、骨伝導のように伝わる爆音が鼓膜を裂いた。


 ――あの夜を、私は一生忘れない。

 勝っても、何も残らなかった。

 父と母の笑顔が焼け落ちたあとには、静かな灰だけが降り積もっていた。


 その声は絞り出すようだった。

 愛する者の理想が、憎むべき力へと変わっていく——その痛みが、今も彼女を苛んでいる。


 神崎は何も言わず、ただ隣にいた。

 同じ喪失を抱えた者として。

 親の夢を託された者と、親の夢を奪われた者。

 二つの魂は、それぞれの形で、遺されたものの重みを背負っていた。


 静かな共感の痛みが、二人の間に生まれた。

 やがてトラックの窓の外に、貨物船のシルエットが現れる。

 それは夜明け前の光を受けて、ゆっくりと姿を現した。


 ——希望の航路は、ここから始まる。

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