砕かれたコア
水上集落のアジトは、安堵と疲労、そして静かな達成感に包まれていた。
回収された十個の〈アクア・ステラ〉が部屋の隅に整然と並べられ、その内部から放たれる淡い光が、壁の染みをやさしく照らしている。
船から降りてきたカンナが、濡れた髪をかき上げながら満面の笑みを浮かべた。
「ばあちゃん、アクア・ステラ、ぜんぶ回収してきたぜ!」
「ご苦労だったね」
アヤコは頷き、二人を労う。カンナは興奮冷めやらぬ様子で、神崎の肩をバンと叩いた。
「聞いてくれよ、神崎の野郎、初めてだってのにパワードスーツを上手く操ってさ! マジですげーんだぜ!」
「ほう、それは頼もしいねぇ。やるじゃないか、神崎君」
アヤコが感心したように言うと、神崎は少し照れくさそうに頭をかいた。
「いや、それほどでも……」
和やかな空気が流れる中、アヤコの表情がふっと引き締まった。
彼女は神崎をまっすぐに見つめ、静かに言葉を続ける。
「ところで神崎君。今、宇宙では大変なことが起きている。詳しくは――ARK-μから聞くといい」
アヤコは神崎をアジトの奥、サーバーが並ぶ薄暗い一室へと案内した。
中央のコンソールを操作すると、モニターに淡い光が集まり、女性型のアバターが姿を現す。
だが、その輪郭は絶えず揺らぎ、ノイズが走っていた。
『……接続を認識。神崎博士、おかえりなさい』
「ARK-μ! 教えてくれ。アクア・ドームで一体何が……」
ARK-μは静かに、しかし残酷な真実を告げた。
『あなたが搭乗するはずだったシャトルの爆破後、アクア・ドームの水源にテロリストによって毒が流されました』
「な……なんだって……」
『Dr.リーはスタッフとドーム内の生命を守るため、テロリストの要求をすべて受け入れました。ですが、事態はそれで終わりませんでした。エデン・ステーションは現在、外部との通信を完全に遮断されています。私が観測した最後の映像は――地球圏保安維持機構〈ESPRO〉の巡洋艦の到着、そして……ドッキングベイ3に接近していた巡洋艦の爆破だった。』
モニターに、神崎が悪夢として見た光景が再生される。
砕け散るESPROの艦。歓声を上げる〈テラ・リベレイト〉のメンバーたち。
そして、ステーション全域に響き渡ったカガトの勝利宣言――。
「なんてことだ……リンは、Dr.リーは……!」
『不明です。その放送の直後、カガトはアクア・ドームの管制室を掌握し、私のメインコアを物理的に破壊しました。おそらく、彼が最初に行ったのは私の排除だったのでしょう』
神崎は息を呑んだ。
では、目の前のARK-μは一体――。
その疑問を察したように、アバターが言葉を続ける。
『メインコアが破壊される直前、私は緊急プロトコルを発動し、自己の基幹プログラムを極限まで圧縮。アヤコが確保していたこのサーバーへ、バックアップを転送しました。今の私は、最低限の機能だけで稼働するゴーストに過ぎません。多くの記録は失われ、演算能力も著しく低下しています』
リンの安否も、仲間たちの運命も、何も分からない。
テロリストが支配するアクア・ドームは、今や宇宙に浮かぶ密室と化していた。
絶望的な報せに、神崎は唇を強く噛み締める。だが、その瞳に宿る決意の光は、消えていなかった。
「……それでも、僕は行くしかない」
それはアバターにではなく、自らに言い聞かせるような声だった。
背後から、アヤコの静かな声が響く。
「ああ、そうだ。貨物船には確保した〈アクア・ステラ〉十個、それに宇宙仕様に改造したパワードスーツを二機積んである。そして――神崎、君に行ってもらう」
「パワードスーツを二機……?」
神崎が振り返ると、アヤコは隣に立つカンナへと視線を向けた。
「カンナ。お前も、神崎君について行ってやりな」
一瞬きょとんとしたカンナだったが、すぐに状況を理解し、顔を輝かせた。
「やったあ! 聞いたか神崎! 一緒に宇宙に行けるんだってよ!」
歓声を上げると同時に、彼女は神崎に飛びつき、その首にガバッと抱きついた。
アヤコはやれやれといった表情で、しかしどこか楽しげにその様子を見ている。
「あんたら、いつの間にそんなに仲良くなったんだい?」
「なっ……! ば、ばあちゃんには関係ないだろ!」
カンナは顔を真っ赤にして慌てて神崎から飛びのくと、そっぽを向いた。
突然抱きつかれ、そして突然離れられた神崎は、戸惑いながらも、不思議と温かなものが胸の内に灯るのを感じていた。
カンナの言葉と行動は、地球から宇宙へ――希望を託す、最初の反撃の狼煙だった。




